平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
並び立つ長禅寺の三重塔・五重塔
(前日の続き)
信玄は京都や鎌倉に習って、5つの寺院を「甲府五山」と定めた。長禅寺はその筆頭寺院で、他には、東光寺・能成寺・円光院・法泉寺がある。
(長禅寺の南大門)
住職の方針なのだろう、長禅寺には案内板が一切無い。立派な建物が立ち並ぶが、歴史のある建物は無いのだろうか。正面の大きな門は何とも変った門であった。最近作られたものだろうか。屋根はしっかり葺かれているが、屋根の下は円い柱が剥き出しのまま立っているだけである。まだ未完成のようでもあり、一体どんな目的で造られた門なのだろう。案内が一切無いので何も解らない。「千社札禁止」の立て札だけがあった。(ネットでみると、この建物は「長禅寺南大門」で1993年当時、建設中であったという)
(長禅寺の変わった鐘楼)
右手から回り込むと不思議な鐘撞堂があった。細長い大きな鐘が下がった鐘楼にくっついて、撞木(しゅもく、鐘を突く棒)を収納する屋根が別に付いている。本堂は塀で囲われ、正面に造られた門が閉じていて近づけなかった。塀の外に三重塔があった。三重塔の向こうには五重塔も見えた。
(長禅寺の三重塔)
三重塔は昭和53年(1978)に完成。長野県の大法寺三重塔を模したという。和様の木造塔で、落慶から30年経って、施された彩色は早くもほとんど色あせていた。各層の屋根は銅板葺で、総高18.6m、一辺3.57m。建立の目的は大型仏塔建立の技術研究というが、どうしてどうして本格的な三重塔であった。
(長禅寺の五重塔)
塀に沿って進んだ、本堂左手の空き地に五重塔が建っていた。先の三重塔はこの五重塔を造るために試しに造ってみたのだろうか。五重塔はさらに新しく、平成元年(1989)に完成した。白木本格木造、屋根は銅板葺で、総高31.8m、一辺5.0m。空き地が十分無くて写真がなかなか撮り辛い。塀の中に入って、本堂から望むと上手く撮れるのかも知れない。
五重塔の手前には信玄の母堂大井夫人の霊廟の御堂もあった。観光客が来ないといっても、見学している間に三々五々訪れる人があった。閉鎖的な割りに南大門といい、2基の塔といい、お寺を訪れた人に見せる建物を建てている。矛盾しているようにも思える。
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