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島田市の神社 5 牛尾の水神社

(牛尾の水神社)

12月4日朝9時半ごろ、第4回目の島田の神社を巡る散歩に出かけた。この日は、午前中は晴れるけれども、午後は曇るというので、午前中に出掛けた。

この日の目的は牛尾山の熊野神社であった。新東名を潜って、横岡へ向けて旧道を歩いていて、交差点から東方を見ると、牛尾山が道の突き当たりに見えていた。北へ来過ぎたと気付き、交差点を右折して東へ進み、牛尾山に沿って右に回り込む。新東名を潜った先の、牛尾山の麓に神社を見つけた。その時は判らなかったが、熊野神社へ詣でた帰りに、農作業のおじさんに聞いたところ、それなら牛尾の水神社だと答えが返ってきた。

前回の散歩では、横岡の水神社に詣でたが、「横岡堤」の牛尾山側にも、きっと水神社が祭られているだろうと思った。水神社は、飲料水や田の水をつかさどる神様であるが、同時に、水難除け、水防の神様でもあるからである。この辺りは、瀬替えが成る前は、大井川の河原だったのだろうと思う。


(鳥居の後ろに新東名)

水神社は、社は小さいけれど、石の鳥居は立派であった。潜って鳥居の柱の内側をみると、右に「文政七甲申年十二月吉日」、左に「臼井助左衛門四代子孫 臼井吉太郎建之」と刻まれていた。「文政七年」は1827年、御一新にはまだ40年ある。今から190年ほど前である。今は、鳥居の向こう側には新東名の巨大な高架が見えていた。狭い境内には、巨木一歩手前の、クスノキなど、大木が何本か見えた。それだけで、この社(やしろ)の歴史を感じることが出来る。

横岡八幡神社にも、この後、詣でる牛尾の熊野神社にも、金谷町史には水神社の合祀の記述があった。とすれば、両水神社ともに、御祭神は不在なのだろうか。立派な鳥居や社が残っているから、そのまま置いてあるのだろうか。判然としないが、牛尾の水神社へも御参りした。帰りに偶然出会った地元のGさんは、今でも合祀された熊野神社ではなくて、この水神社を「水神さん」と呼んで、お祭りもしているという。それでは合祀の意味はいったい何なのだろう。

水神社の脇から牛尾山への登り口があった。山の中腹辺りから、幼児たちの声と引率するらしい保育士の声がしていたが、その登り口に一向に姿が見えない。山中に巻道が付いているらしく、姿を見ないまま、声も遠ざかって行った。あとで、五和保育園の園児たちだと判った。牛尾山が園児たちのかっこうの散歩道になっているようだった。

読書:「70歳・2巡目の歩きへんろ日記」 仲川忠道 著
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