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「壺石文」 上 2 片岡寛光の序文 後

(散歩道の白花のノアザミ)

散歩道にたくさん見られる紫の花の中に、一輪だけ白い花があるのを見つけた。真っ白ではなくて、ややピンクがかって見える。

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「壺石文 上」序文の解読を続ける。

去年(こぞ)の夏、駿河の国の故郷をあこがれ出でて、おのが家、訪われしより、ふと思い立ちて、みちのくに(陸奥国)の名立たる所見むとて、書一巻だに持たず、供とする人をも供(ぐ)せず、ただひとり、旅路にありて、と行き、かく行き、さすらえば、狂(ふ)れたる人の様して、一年(ひととせ)余りがほど、かの国にありて、見るにつけ、聞くにつけて、かい記されたるなれば、

大方、その国の手ぶりも見えて、こよなう、今の人のとは、様変わりて、昔人のかいなでにかけらむようなるに、はた、世の中を思い離れたる古えも見え、紫のゆかり訪ねて、跡深うたどり得られたる、筆使いのほども、ほのかならず。はた、まれ/\には、稗田のぬしと、うち物語られし事もやと、思わるゝ事さえ混じりて、今の人とは、様(よう)変りて覚ゆるは、かの聖(ひじり)は名なしとか、唐人の心にもうち会いたる心、むげなるべし。
※ こよなう - この上なく。
※ かいなでに - ありきたりに。とおり一遍に。
※ 紫のゆかり(むらさきのゆかり)- 源氏物語の異称。源氏物語が成立してから間もない時期に書かれた更級日記などに見られる。
※ 稗田のぬし(ひえだのぬし)- 稗田阿礼。「古事記」の編纂者の1人として知られる。
※ 無下なる(むげなる)- まさにその通りである。まぎれもない。


こは、今年の五月ばかり帰り着きぬとて、おのが家、問われし時、見せられしを見るに、掻い撫で(すさ)ながら、いみじき僻事だに無くば、(はし)にても尻にても、一言かい(書き)記してよと、請わるれば、
※ 掻い撫で(かいなで)- 表面をなでただけで、ものの奥深いところを知らないこと。通り一遍。
※ 遊み(すさみ)- 慰みごと。すさび。
※ いみじき - はなはだしい。
※ 僻事(ひがごと)- 事実に合わないこと。まちがい。
※ 端(はし)- 文書のはじめ。


一渉り見もてゆくに、この陸奥(みちのく)には、おのが父翁の、生まれ出で給えりし、故郷にしあれば、いと懐かしう、折々語り出でられし、所々のようなども、うち混じりてあれば、昔の事思い出でて、今更に涙も差し含まれて、おわしゝ時の有様も面影に立てば、その方に付きても、すずろに懐かしう、心も進めれば、
※ 一渉り(ひとわたり)- 全体を通して一度おおざっぱに行うこと。ひととおり。
※ 差し含む(さしぐむ)- 涙がわいてくる。涙ぐむ。
※ すずろに - 何とはなしに。何ということもなく。


(つたな)き言の葉は忘れて、やがて筆取りて、跡つくるさえ、蛙の子のようなるを、怪しき痴れ人の、おこわざとや、見む人嘲り笑わむかし。
※ 痴れ人(しれびと)- 愚かな人。
※ おこわざ - 愚かな技。ばかげた手並み。

               片岡の寛光
※ 片岡寛光(かたおかひろみつ)- 江戸時代後期の国学者・歌人。江戸神田佐久間町の名主。号は郁子園(むべぞの)・桂満(かつらまろ)・蔦垣内(つたのかきつ)など。
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