平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「江戸繁昌記 三編」を読む 1
午後、駿河古文書会に出席した。
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「江戸繁昌記 三編」の解読を始める。
江戸繁昌記 静軒居士(寺岡静軒)著
一天地間、事として命に非ざるは莫(な)く、物として命に非ざるは莫し。然り、命の人に於けるなり。定めて動かざる有り。動いて定めざる有り。動者は進退すべきなり。動かざる者は分毫も庶幾すべからざるなり。
※ 進退(しだい)- 自由にすること。思いどおりにすること。
※ 分毫(ぶんごう)- 程度や量のごく少ないこと。
※ 庶幾(しょき)- 心から願うこと。
何をか、分毫、庶幾すべからずと曰う。曰く、上、天子より、下、庶人まで、生れて分有り。これ定命なり。何をか、進退すべきと曰う。曰く、天子より庶人に達して、その心を正し、その意を誠(まこと)すれば、則ち国治まり、家斉(せい)す。
※ 天子(てんし)- 天命をうけて地上を治める者。
※ 庶人(しょじん)- 世間一般の人々。庶民。
※ 分(ぶん)- 身分。身の程。分際。
※ 定命(じょうみょう)- 前世の因縁によって定まる人の寿命。
則(そく)さざれば、然ることを得ること能わず。これ動命なり。それ然りて、天子もまた人なり。庶人また人なり。聖(ひじり)もまた人なり。我また人なり。然りて、貴賤、賢愚の分有り。天子、既已(すで)にその心を正す。然りて、国かつ変に遭い、庶人既已(すで)にその意を誠す。然りて、身かつ難を蒙り、何ぞやなり。蓋(けだ)し、因る所有りて然り。それ既に因る所、有と為るなり。
一生を以って論ぜん。一生これを論じて尽きざるなり。数世以って論ぜん。数世にして尽きざるなり。則ち、遂に一開闔の世を推して、命を取らん。然りて、陰陽の一開闔、世界の一生滅、遂に、卒に、始め無く、終り無しに帰するなり。則ち、因の因る所も、また卒に知るべからざるに帰して止む。
※ 開闔(かいこう)- 開くことと閉じること。開閉。
※ 卒に(そつに)- ついに。とうとう。
然れば、則ち、命終に知るべからざるや。蓋し、聖人にして知る。則ち卒に、知るべからざるに帰すといえども、豈(あに)、我が知るべからざるを以って、聖人の知りて教えと為す所の者を疑いて、可ならんや。則ち、我と人と皆な、当(まさ)に、その定命を守りて、動命これをして進んで、新たならしめんと欲せんなるのみ。
三編の序の部分、意味を解することは大変むずかしい。そう、寺岡静軒は何と言っても儒学者なのだから。だから、読み飛ばしてもかまわない。
読書:「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」 奥泉光 著
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