土曜日(2011年5月14日)の午後6時過ぎ、ショッピングセンターのマクドナルドの店に入った。
そこで見えたのは、20代の若い母親たちが談笑し、その子供たちのうち2人が、暴れている姿だった。母親は、他の客のことを考えず、大きな声で談笑しており、子供たちは、靴をはいたまま、座席を移動するなり、あたかも自分の家のように店でふるまっていた。
土足で座席を移動していた3、4歳くらいの男の子が、私の席によってきたので、「靴をぬいで」と、2、3度言うと素直にしたがって靴を脱ぎ、座席を移動。その間、その幼児の母親は、ぜんぜん無関心で、話に夢中。
店の中で私が感じたのは、幼少期の家庭での「しつけ」だ。子供たちに、今一番大切なのは、物事の善悪ができることであろう。親がまずそれができていると仮定して、「子供たちに、やっていいことと、悪いことをしっかりと教えるべきだ」と痛感する。
今の世の中で、「しつけ」ができて、うそをなくし、ごく普通に誠実な生活をする人が多くなれば、随分よりよい社会になると思うのだが。
家庭でのしつけの欠如が指摘されている。また、自分の家族させよければという「エゴ」もまん延している。
子供たちのしつけをしながら、親は自分を正すべきであろう。
そこで見えたのは、20代の若い母親たちが談笑し、その子供たちのうち2人が、暴れている姿だった。母親は、他の客のことを考えず、大きな声で談笑しており、子供たちは、靴をはいたまま、座席を移動するなり、あたかも自分の家のように店でふるまっていた。
土足で座席を移動していた3、4歳くらいの男の子が、私の席によってきたので、「靴をぬいで」と、2、3度言うと素直にしたがって靴を脱ぎ、座席を移動。その間、その幼児の母親は、ぜんぜん無関心で、話に夢中。
店の中で私が感じたのは、幼少期の家庭での「しつけ」だ。子供たちに、今一番大切なのは、物事の善悪ができることであろう。親がまずそれができていると仮定して、「子供たちに、やっていいことと、悪いことをしっかりと教えるべきだ」と痛感する。
今の世の中で、「しつけ」ができて、うそをなくし、ごく普通に誠実な生活をする人が多くなれば、随分よりよい社会になると思うのだが。
家庭でのしつけの欠如が指摘されている。また、自分の家族させよければという「エゴ」もまん延している。
子供たちのしつけをしながら、親は自分を正すべきであろう。