どうも。
↑思い出の展示スペース
↑写真を貼り、文字を書いただけですが、見ていただけて良かったです。
↑草刈りと草取りが好きだったので、鎌などを展示しました。
↑このまま置いて置くと、草が生えて同化してしまいます。畳の帯は、後々邪魔にもなります。
↑1束1束、刈っては束たもの。
↑弟に手伝ってもらいました。
↑何回も積んでは運びました。僕もたまにやってはいましたが、あらためて父が仕事頑張ってくれていたのを実感しました。
明日6日(木)、7日(金)はお茶の行商に出掛けます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
先日は、父が亡くなったと書きました。
2月の始めから、3月の中頃まで地元の病院に入院し、3月の中頃には姉の勤める病院に転院しました。今は、流行り病のせいで、多少緩和されたとはいえ容態が悪くなった時しか面会できません。
転院前と、亡くなる前の昏睡状態の時だけでした。
3月24日午後、よろしくないと連絡が来て、夕方には医師からの呼び出し。
日付けが変わった25日に息をひきとりました。
面会できず経過が見れないので。急に連絡がきて亡くなったように感じます。
姉がいる病院でお世話になって、まだ幸せだったと思います。
父を家に連れて帰り、通夜、出棺火葬、告別式といろいろなことを決めながら慌ただしくすぎました。
僕は、故人を偲んで花を供えたり、ただ手を合わせる気持ちが大事だと考えつつ、、盛大にとはせず、質素ではありましたが、執り行いました。
出棺から霊柩車で、自宅周辺、茶畑、火葬場へと向かいましたが、勝間田川の桜が満開のとても天気のよい日でした。
喪主という立場でしたが、挨拶の時など、時折泣いてしまいみっともない姿を見せてしまいました。すみません。
通夜~告別式、一連の流れに意味あいを持たせると、、故人を偲び、家族の新たな出発かなと思います。
父の同級生などから昔ばなしを聞き、、知らない一面を知りました。
今まで、父とはケンカも数えきれないほどしましたが、なんとかやってきました。お茶づくりや行商など、たくさんのことを教えてくれました。
正直、まだ亡くなった実感は薄いですが、お茶の季節や日々いろいろな時に、感じていくと思います。
御参列いただいた方、地域の皆さん、父の同級生、親戚の皆さん、ありがとうございました。
↑思い出の展示スペース
↑写真を貼り、文字を書いただけですが、見ていただけて良かったです。
↑草刈りと草取りが好きだったので、鎌などを展示しました。
告別式のあと、弟が数日残ってくれたので、川などの土手にある父が刈りっぱなしの草を可能な限り空き地に運び、運びきれない草はヒモを解きました。
↑このまま置いて置くと、草が生えて同化してしまいます。畳の帯は、後々邪魔にもなります。
↑1束1束、刈っては束たもの。
可能な限り空き地に運び積んでおき、堆肥化したものをボカシにいれようかと。運びきれない分はヒモが後々邪魔になるので、辛いですが解きました。
草刈りは、僕も継続していけたらと考えています。
↑弟に手伝ってもらいました。
↑何回も積んでは運びました。僕もたまにやってはいましたが、あらためて父が仕事頑張ってくれていたのを実感しました。
今でも、父が軽トラに乗っていそうです。
竹内園も可能な限り、続けていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
個人的な想いを綴ったブログとなりましたが、すみません。
読んでくださり、ありがとうございました。