katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

kameyaさんの出張教室とピエロの壁画の下絵

2024-04-21 07:55:08 | 出張教室
今日はkameyaさんの出張教室。ではりょうさんから。自宅でパーツを切ってあったので張ったんだけれど、注意点はフリルの部分を張っている・・・って意識が無いと、緩やかなカーブでは無く

直線に張ろうとしてしまうのね。これは簡単で人は思い込むものなのね。これを前提にすると、きちんと、チャンとを意識しているからなのね。つまりその意識で張ろうとする時に、幾何学模様の

ような、左右対称やロボット、直角、縁取り、ブロック体の文字みたいな部分なら、それが見事に反映するけれど、それが植物や、曲線、なだらかな・・・とか、筆記体となると、隣り合わせの

タイルを段差の無いように意識はするものの、竹では無くヤナギの木のように、しならせるって言うのは、きちんと、チャンとの意識が違うのね。この意識が変わると、行動は変わるのね。

例えばきちんと、チャンと弾く。初歩ならこれで良いが、上手くなると、軽いタッチや、段々と・・・とか、同じ位置を弾いているのに、変化をさせるし、ピッチャーなら、最初はストライク

に投げ込むように意識を持つ。つまり最初はそのコードを弾く、ストライクに投げるって行為が、安定しないから、何度も繰り返す事で、その音をキチンと出すやら、キチンと的に投げるって、

基本を植え込むのね。でも上手くなるって言うのは、それをより高度にするって考え方もあるけれど、その場面場面を考えて、より適切に・・・となると、変化を付けようとするのね。

つまりきちんとから、柔らかいタッチとか、ストレートでは無くカーブとか、常に全力では無く、みたいな感覚ね。更にそれをズラして、わざとボールを投げる。外して次を活かす。

こんな事がテクニックって言うのね。全力真っ直ぐいつでも何処でも・・・これとは全く違うものね。ただそれには意識を変えないと、無意識にきちんとチャンとが身に付いちゃっているのね。

だって擦り込んだんだから・・・基本を。だから、ここはカーブしているフリルだな・・・って意識しないと、ここを張る・・・としか思わないのね。つまり無意識に切った白を張るだけになる。

これを切ったパーツは本当に全部同じなのか?と言うと、絶対に大中小になっているはずなのね。それならここは大きいので揃えようとか、良く見たら欠けているから、ここで切る時に使えるとか

パズルをする時みたいに、カドちょを集めて、色分けして・・・みたいにやるでしょ?でもあんな機械で切り抜いたような精度の訳が無いのね。それなら尚更、その使い分けをしないとね。

つまり上手い人って言うのは、切るときの意識も、きしめん、うどん、そばにならないように、うどんならうどんに統一しようとする意識で切るから、きしめんとうどんとか、うどんとそばって

事はあっても、きしめん、うどん、そばのように、きしめんとそばは同居しないのね。これで明らかな失敗パーツは無くなるのね。それを張るって段階になったら、更に厳しい仕分けをする。

うどんはうどん、きしめんはきしめんとね。そして更に欠けている・・・なんて見逃さない。こうして置けば、きしめんな場所、つまり大きく張れる部位に使い、うどんな場所はうどんだけを、

使う事で寄り統一感が生まれるし、ちょっと欠けは、必ずそのまま使えるなんて事は無いから、切る専用パーツにする。こうすれば無駄無く使えるのね。しかも失敗により見えない形でね。

こうした何個も何個もキチンと見せようとする目利きが必要になるのね。りょうさんはまずここなのね。こうしたパーツの仕込みを点で作れるような場所を自宅で切れると、進み具合は大きく変わるのね。

まぁしかしながら、いくらか安定感が出て来た感じもあるのね。自宅で切る事に慣れると、ニッパーもタイルも使い慣れるのね。それが月に1回しか触らないとなれば、忘れる方が多いのね。

それが棟梁くらいになると、

タイルを切るのは当たり前、揃えるのも当たり前、緩やかなカーブも当たり前・・・となると、より精度を求めるのなら、キチンとお手本、つまりその花の写真を良く見ないと・・・。

何と無く感で作らないで、しっかり良く見て、葉脈のブロックがどうなっているか?何と無く感で進まない事。常に何を作っているのか?単なる記憶の思い込みで作らない事。真似をするって言う

形は、楽譜を見て弾くその通りに・・・って事になる。ついつい棟梁くらいになると、タイルを自在に切れるから、対して困らずに進められるが、困らずに・・・ここね。対して困らずに・・・

何故困らないの?って話になるが、仮に困った事があったとしてもなのね。どっちも原因は一緒だから。説明すれば簡単な事なんだけど、そこにお手本を置かないからなのね。まっ書道と同じ。

そもそもどんな小学生だって、書き初めみたいな話で、見た事も聞いた事も無い字は無いでしょ?じゃお手本なんて見なくたって書けるでしょ。でもキチンと書きたいから見るのなら、キチンと

作りたいのなら、お手本の写真を良く見るべきなのね。つまり対して困らず進められるのは、ただ知ってる・・・ってだけで進められるからなのね。見本を見ずに、止める所、ハネる所、シュッと

はらう所・・・みたいに花もあるのね。切る事に困らないのだから、ただ書くでは無く、穴が空くほど見る。ただそれだけで、さっきとは逆に、中々進まないのなら、良く見れば花の構造が判る。

ただそれだけ。それが出来るようになったら、どっちから日が当たっているか?とか、風はどっちから吹いているとか、悲しそうな花とか、楽しそうな花とか、比喩すらも乗せられるのね。

まぁどれも上手くなった悩みだけれどね。さてそんなこんなでアトリエに戻って、ピエロの壁画となるんだけれど、何しろ大きいんで、一体ピエロはどの位になるのか?具体的に数字が浮かばない

のね・・・。恐らく1mはあるとは思うんだけれど。やっぱり現地に行くべきかぁ・・・。

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