katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが来た・・・

2021-10-08 07:00:48 | 休み?

今日はかぐやが来る日で、羽田に送迎からスタート。月末の江東区のイベントと年末の幕張のイベントの準備を兼ねてって事なんだけれど、何しろしばらく振りなんで、作品を生で見る機会が無く、こんな大きさだったんだ・・・って感じ。

中々パソコンでの画像では、生の臨場感は伝わりずらいもので・・・。それと、しばらく振りだと、あれもこれもと余裕無く予定があったりすると、結局旅行のように、時間に追われてこなすみたいになってしまうのね。

それでは余裕が無さ過ぎて、やり残し感が出てしまったりするのね。これは例えばMC無しで曲だけを演奏のライブみたいになると、まるでCDになってしまうし、アンコール無しみたいになった感じになるのね。

だから少し余裕を作って、じゃこれしようか・・・みたいなライブ感も必要だし、準備していた事だけをやると、遂行するみたいになりがち。こう言う機会に、今後の事を話す・・・こう言う時間は企画会議のようなものなのね。

今年、後何をする?・・・何が出来る?みたいな。何か流動的にやって来る事だけをやって行くのでは無く、必然を起こす何か?を考えて動く事も必要で、誰でも考え付く当たり前の事では、当たり前の結果しか生まれない。

ただこの当たり前が大事で、それが普通なのね。ただ月並みだけど、種を撒かないと花は咲かない。つまり当たり前の種では、当たり前の普通の花しか咲かない訳で。だから人と違う事を望むなら、違う種を撒かないとならないのね。

そうする為には、人がやらない事をしないとならないんだけれど、そう言う事はどの業種であっても、みんなが色々考えているのね。つまりみんなが少しだけでも変わろうとしたら、そこが普通になっちゃうのね。つまり変わらない。

人と違う・・・ってやろうとすると、着物の時代に洋服にするみたいな、ある意味改革的な事をしないとならず、そんな事は大抵馬鹿にされるような事をする事になるもので・・・開拓チックになる。あんな事して・・・あんなの何になるの?

って感じの意見を言われるような事になる。全ての先人はそうしているのなら・・・俺もとなるのだけれど、変わった事探しみたいな事は、中々難しいのね・・・そう言う事は、普通会議のような場所じゃ出て来ないものだから・・・。

変わった事ってのは、くだらない日常の会話の中にあって、例えば昔はテレビの中は非日常が沢山あって、馬鹿馬鹿しい事を必死にやっていたりして、それが可笑しかったり、時には共感したり、しかもそこに莫大な予算もあった。

しかし今は、あれをやったら・・・これをしたら・・・と、そこに普通や真面目を求める。本来日常なんて見せられても、天気予報やニュースだけで沢山な訳で。むしろ緊張と緩和で言うなら、緩和の部分であり、本来は、あんな事して・・

って、反面教師に使えば良いだけなんだけれど・・・。それをコンプライアンスだっけ・・・そればっかりじゃ、そりゃつまらなくもなるのね。そう言う点では、YouTubeが面白いのは当たり前で、みんなが昔のとんねるず・・・。

ある意味、ルール無用の部分の馬鹿馬鹿しさがあるからなんだろうけれど・・・それでも、そのルール無用に見えるものでも、大抵売れている人は、ルール無用に見えるだけで、そこに品があったりして・・・。

いずれにせよ、人に提案する側になると、どうすれば?と常に模索しないとならず、しかも新しい事って言うのは、常に自分否定になりがち。新車を4年後に否定するように・・・。それだって否定するに値するならまだしも、否定する程、

良かったものだったか?まで考えると、負のループになりがちなんだけれど、相談相手がいるって言う時間はとても大事であって・・・そんな時間も無しになると、あっと言う間に時間は過ぎるもので・・・。

たわいも無い時間も必要なのね・・・必死に考える時間は必死過ぎるのね・・・変わった事って、割とくだらなかったりするものだし、馬鹿馬鹿しく見えるものだったりするのね。新しい事の最初ってそんなもんだったりする。


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