katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

オ-ドリ-教室

2014-07-06 06:54:01 | モザイク教室

何だか久しぶりって感じのオ-ドリ-教室・・・。そんな中、髪をバッサリ切っていて・・・・。例えば、病院なんかに行くのは体調不良だから、何となく行った・・・って感じじゃないよね?

では美容院は?当然、こんな質問は来るって感じで、会社では何かあった?って質問されたけれど、何も無いです・・・・って自分から言ってたんだけれど・・・・。

そうね、確かに自分では意識無いんだろうね。だから気まぐれ・・・ってね。ただ、髪を切るだの染めるだのって行為を能率効率とか事務的にやったのと、美としてお洒落を意識したか?で、内容は

全く違うと思うのね。例えば、暑いからバッサリってだけなら、どんな長さでも良いし、白髪染めなら別に何色でも・・・って、ただ白髪に見えなきゃ良いだけとなる。もっと言えば、安定感って言うのなら、いつも通りって、

言えば、同じ人が同じようにしてくれるはず。なのに、こうして・・・って自分の意思で頼んだはず。 これが病院なら、何かだるい、歯が痛い、頭痛が・・・と手掛かりになる症状なんかを言うと、

それを踏まえて診療となると、こうして・・・って自分発信じゃなくて、こうします・・・ってお医者さんに言われちゃうでしょ?それを黙って受け入れる事になる。

つまり意識無く・・・と言うのなら、後者の方が選択権は無いのだから、意識無くって言うセリフが成立しやすい気がする。更に言えば、風邪だと思うが・・・なんて決めつけて病院に行き、もっと重い

病気の名前を言われ大きなショックを受ける・・・こんな時も意識無くって言葉が合う気もするし、・・いずれにせよ、気まぐれなんて後者には無いのだから、医者に行くとは意味が違う。

その気まぐれが出来る場所を選び、美でも無く、気まぐれがしたかった・・・となると、ここが遠のくのも非常に判る。ここはきちんと向き合ってしまう場所だから。

そう言う点では、ここまでのやり取りだと、調子の良し悪しで言うのなら、近年のオ-ドリ-とほとんど何も変わらず・・・・って思えそうだが、出だしの会話にあれ?って思う節がある。それは、

何もこっちは聞いていないのに、気持ちを読まれる前に気まぐれです・・・・って、俺に言った事。へぇ、自分から語る事が出来るようになったんだ・・・これは期待が出来るってね。

ちょいと前なら、自分発信と言うよりも、対応します・・・って態度だったのね・・・。しかも、どの質問にも最後は、人それぞれですが・・・と曖昧にする終わり方。そんな感じだった。

誰にもそれが当てはまると言う訳では無いが、若いのに良くも悪くも自分がしっかりあって、そんな所がオ-ドリ-の長所でもあり短所でもあった。若さとはそう言うものだ・・・と言う人もいるが、

そう言う事では無く、俺の弟子としてずっと見て来たオ-ドリ-は、どんな質問をしても必ずこう思う・・・と言える人で、自分の意思があって、じゃどうしてそれに決めた?って聞くと、何となく・・・・

って。つまり答えが見つからなくても、必ず何かを感に頼ってでも答えた。いや、大半が感に頼って大きな失敗の無かった人だった。きっと本人はそんな事無いと言うかも知れないがね・・・。

それをこうこうこうだから、これを選んだんじゃない?今までのオ-ドリ-の感って感じ方で言うのなら・・・って一つ一つ、どんな事でも確認して、うふふふって笑って・・・完全にそうだわって、

認めてしまうと笑ってた・・・それが漫才のオ-ドリ-のやり取りに似てた。・・・俺の事嫌いなの?嫌いで一緒に漫才やる訳無いだろっ・・・って若林さんが突っ込むとニコッって笑うあの漫才。

そんな事をずっとやって来て、ある時から、段々とペ-スが落ちて来た。 この作品を始める時は、別に大した大きさじゃない。やり始めたら、そんなに掛かるとは思えない・・・と言ってた。

ただ大作って言うのは、長い時間向き合うと言う事で、その長さの中で、どんな気持ちの変化と向き合わないとならないか?になる。1.2回で終わる作品なら、そんな気持ちの変化も無いが、

長い時間と言うのは、そう言う事がある・・・と言う事。当然、そんな中で崩れて行ったとも言える。要するに感にだけ頼っていた人が、感では無く根拠も手に入れていたのだけれど、

その根拠で進むやり方にも慣れてしまえば、今度は結果となる。もし俺が売れていたのなら、ゴ-ルは見えていて、やりたいか?やりたくないか?と判りやすいし、決めやすい。

つまり答えのある事は先人を見て真似をしようとすれば、いくらか無いよりはマシになるが、切り開くって言うのは、常に失敗は付き物で、むしろ成功の数はほんのわずかなのである。

勿論、大人ならそんな事は判っていても、判っていながら実際やって見た時の感じ方は全く持って違うもので、知識と実際とのギャップは自覚との差みたいな話・・・。

そうね、経験値の果てしなさを知って出来る人は自覚がある場合もあるし、自覚無しなんて命知らずみたいな事だったりもする。いつもの逆も真なりである。

どちらにしても、出来る人って言うのはこんな場合だったりする。そう考えると、何となく離れたのでは無く、向き合う事に疲れた人であった事になる。つまり何となくでは無くしっかり。

何故なら昔なら感の人だった。けれど感だけに頼らなくなっていた・・・そこからの出来事。要するに自覚を持って来なくなった。結果としては残念だが進歩としてはまずまず。ただ、これで

2つ目を手に入れた感じがある。そうね、ストレ-トのみだっのがカ-ブも知ったって感じでね。これが、若さを無くして年齢を重ねるだけなら、失って行くだけとなるので、ストレ-トのキレ

が無くなって、得たものがカ-ブって感じになるが、まだまだ若い。いきなりベテランのような考え方になる必要も無いと思うが、年齢のようなもので、いきなり歳を取るのでは無く、すべては、

徐々にやって来る。そこに気づいて歩めるか、踏み留まろうともがくか、諦めるか?それにしても、気が付く事が大事だし、もがくには体力も労力もお金も使うし、諦めるには覚悟も必要・・・・

自然体なんてもんはそんな簡単には手に入らないものでね・・・・。感情ってのが左右したりする。まぁ、こんな話は、必要な人だけが何かの足しにして貰えば良い話だけれど・・・・。

そんなこんなで向き合ったのに、有り得ない時間までいた。随分と今日は調子が良い。しばらく振りに、オ-ドリ-らしいのを見た。しかも手を止める事無く・・・・。

そんな心乱れない弟子のオ-ドリ-が作っているのなら、しばらく振りに本気で指導でもしようかな・・・とも思ったりもする。そもそも、言えば判るなんてのは当たり前。弟子なのだから。

けれど、もうひと皮って言うのなら、言わずに・・・オフサイドトラップ掛けられるようにならないと。目を見て、上がります?下がります?ってこっちだ・・・ってやってたのは昔の話。

もうそろそろ、同じセリフを自分発信で、上げます・・・下げます・・・とやると良い。そこに失敗は付き物であり、当然失敗すれば是正もしないとならないし、余計な手間暇が掛かる。

それをすぐ聞けば・・・では無くと言うと、聞かないって意固地になったり、聞かないで失敗は面倒だし、色んな葛藤ってあったりする・・・・。でも、何も考えないよりはマシ。

結果が判ってやっている事なんて、いくらやっても飽きてしまう・・・それを知ってしまったのだから。けれど、知ったが上に、厄介になった訳で・・・・。、

考えても結果が思うようになる訳では無く・・・堂々巡りになる。その中で、何も考えずに感ばかりでは、確率を下げる。もし感だけで結果が出るのなら、マ-クシ-トになった今、いくらでも点は

取れるはず。所がそうでも無いのなら、感だけでは確率を下げるのは言うまでも無い。けれど、努力してある程度まで来た時、そこで立ち止まっても平気で楽しめる自分なら問題は無いが、

大変な事を自覚してしまうと、中々自分から火中の栗は拾えないのが普通。ただね、良く人生を壁なんかに例えて、乗り越えるみたいな表現があるが、俺は全ての人に当てはまるとは、

思わない。そもそも全員平等では無いのだから。つまり自分らしさの選択があるとは思う。ただしル-ルの中でね・・・。サッカ-だ、野球だ、モザイクだ・・・って分野がある以上、逸脱し過ぎると

もはやその分野では無く、自分で新しい分野でも作らない限り成立はしないだろう。そう言う点でも、俺の知っているオ-ドリ-なら、壁の横を見たり、土をいじって掘れるかな?とか、

普通は登るものと判断しそうな事を、壁では無く邪魔なものと判断して、回避するのでは無く、人とは違ったやり方で向こう側に行く人な気がする。

それをどんな風に向こう側に行くのか?と見ていただけで、本気で掘るって決めたのなら、これで掘った方が良い。ここを掘った方が土が柔らかい・・・と指導はするし、

壁の横側に行くのなら、そこには何があるから気をつけろ・・・と言う指導はする。何故なら、ほとんどの事は、先人はやったのだから・・・・。いずれにせよ、今日は指導したくなった。

そんなこんな出来事を総合すると、オ-ドリ-がオ-ドリ-らしくなって来た・・・そんな気がする。何か長かったような短かったような・・・まだ1日では判らないが、・・・らしくはなった。

 


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