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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

2部はかぐやへの公開指導

2009-10-30 00:14:26 | 世界遺産をみんなでつくろ!
朝、かぐやからブログを観て欲しい・・・と言われる。昨晩、観ていなかったので
確認すると、おぉ新作下絵が入っている。

確かに上手くなった。最初は結構無残なもので、娘の絵の上手さは誰に似たの?って話にも以前なったくらい・・・だった。

そこから考えると、かぐやのブログの下絵はかなり上手くなったと思える。が、
しかし、あえて指導する事にした。それが公開指導。

左がかぐやのラフ画で、右が俺の修正したもの。一つ言うとしたら、写真のように
作るのか?それとも違うスタイルにするのか?

この絵は明らかに漫画にしたい・・と思われる。鼻一つ取っても、くの字のように
なっていて、鼻の穴も開いていない。

だから漫画スタイルなんだ・・・ここが一番大事なのね。意識がしっかりしないと
間違った方向に行く事になる。

では、漫画スタイルとは何か?俺はミュシャなんかが判りやすいと考える。
リアルに描いてあるのに、あんな髪の毛ってある?あんな植物の流れは?

それが個性的であり、リアル感もあり、立体感もあり、そしてどう見ても、
お洒落な漫画である。えっ?と思われる人がいるだろうから、あえて言うが、

単なる思い込みなのである。芸術なんだ・・・この人はって言う・・・

それがまだまだある。輪郭を太めに描くなんて言うのは、今のパソコンで描いた
アニメに出て来るスタイルにも思える手法。

影の付け方一つにしても、ほぼアニメと変わらない。ただ先人が芸術として紹介
しているだけにしか思えないのである。

例えばこんなのも良い例。アリスはニュ-ミュ-ジックの分野に所属するのに、
谷村さんと堀内さんを分断すると、演歌の分野になる・・・

こう書くと、演歌っぽいんだもん・・・と言う人もいるだろうが、昴なんてのは
演歌では無い。ただ何処に入れたら良いか?とても悩んでしまう事になる。

これがいつも俺が言っている事。何処に所属させれば良いか?ここにある。
かぐやにもそうして貰いたい。

つまり、俺達の目指しているものは、単なるモザイクなんて分野に所属するつもりは一切無い。そもそも、デッサンを勉強している訳では無いのだから、

そこのみの追求なんて所に収まる必要は無い。むしろ得意な方へ行けば良いのだ。
では得意とは?いとも簡単。漫画ベ-スにすれば良いのだ。

こちとら悲しい事にフレスコ画なんて田舎で外人に会うような確立みたいに出会わない・・・・こんなんでは諸外国のモザイクなんてもんにかなうはず無かろう。

ならば他の手を考える。じゃどうするか?それは昔、この国は鎖国なんぞしていて
良い意味でも、悪い意味でも文化、芸術やら流失する事が無かった。

さてそんな中、諸外国の芸術家さん達の中の一部は日本の芸術家の影響を多大に
受けた人達がいる事はご存知な事。

ならばそんな手法を取り入れる事にする。世の中がフレスコ画ベ-スでモザイクを
するなら、誰もがやっていない漫画ベ-スでモザイクをする。

ただ、漫画と言っても、ちょいとひねって、おそらく日本の漫画に影響を受けたと
思われる諸外国の作家の逆輸入的考えにする。

そもそも、浮世絵なんてもんは漫画の前身的考えと思われる。勿論、本人達は
そんな事は一切考えず、縁取りを彫って色の流失を防ぎ、重ね合わせる・・・

版画ってそう言うものだから・・・とやったと思われる。それらはすべてデフォルメをし、余分な線を消して行く作業だったとも思われる。

それがいつしか版画の彫る・・・から北斎、歌麿・・・と変化して行くと、
気が付くとそれらは、手塚治虫さんや宮崎さんと変化して漫画が動きアニメになる

これらはすべて想像であり、しかしながらむげに否定は出来ないものとなる。

さてさて、ではあっているかも・・・くらいで先に進む。絵画って描いた事ある?
って質問と漫画とかイラストって描いた事ある?ってどちらが多い・・・

かぐやの娘、キウイの娘の絵を観た事あるんだけれど、漫画だけれど中々上手い。
そう絵画よりも、漫画とかイラストって言葉にするとハ-ドルが下がると考える。

それが普通。そもそも単なる言葉にしか過ぎない。凄ければそれで良い。
では凄く見せるにはどうするか?これに尽きるんだけれど、

世の中には評価ってものがつき物で、尚且つ、この国の特有のハクってものが
大好きな国。

何が良いか?何処が良いか?って聞くと、評論家やテレビの受け売り的発言が多く
自分が感性として良いと感じる説明をする人は少ない。

伝統の継承なら、モザイクをするならフレスコ画から勉強した方が良い。
しかし、モザイクの手法は取り入れて独自のスタイルを確立するなら、

考え方や手法を変えて行かなければ、そこからは何も生まれない。

それを踏まえて、是正した絵はミュシャなんかの描き方を俺なりに解釈したもの。
流れを止めない。平行間隔を保つ。角ばった線を作らない。

まだあるが、これをやると凄く綺麗に見えるのだけれど、明らかに本物とは違う
インチキっぽくなるのだけれど、これがモザイクのスタイルには非常に向いている

それらはすべてシドさん、チュ-リップさんあたりの作品で徹底的にお洒落・・・
なんて言葉で鍛えられた事により俺なりに会得したもの。

しかもそれはミュシャの絵に凝縮されている。ここに俺の原点のすべてがある。
所がそれは教えて貰ったものじゃなく、盗んだもの。考え方をね・・・

俺はかぐやに噛み砕いて離乳食にしてそれを伝えているつもり・・・・
本当に俺が上手いと感じるのなら、判らなくても感じる事から始める事。

何か1つでも感じ取る事が出来たのなら、それが盗むと言う事に繋がる・・・・
腕とは?盗む事。それを履き違えると、デザインを盗んだりする・・・これは違法

常に考え方を盗む。それは何処にでも落っこちている。それを拾い集められるか?
そこに目や耳が反応するかどうか?これが一番大事な事。

それを踏まえて、こんな話がある。今朝、俺のブログに問題がある・・と言う。
かぐやの判断では、価格や取り分を露呈するのはどんなものか?と言う。

カルチャ-センタ-に世話になるのに・・・と言うのだ。おいおい何か間違って
いないかい?良く考えて欲しい・・・

そもそも、俺の取り分が40%でカルチャ-センタ-が40%の折半。残りの20%は施設の
賃貸料金。ならば対等だろっ?世話になる・・・ってのはそうじゃない。

面倒を見てくれるのが世話になる・・・じゃないのかな?
お願いします・・では無く、一緒にやらない?・・・言い方を変えればそんな感じ

しかも日本のしくみで誰もが知っている事。大家と借り手ならシンプルだが、
管理をする・・・って不動産屋が入れば当然、そこにお金が発生する。

代書屋、商社、結婚相談所、・・・何でもそうじゃない?
まずはそこの理解が必要。では次。だから書く、書かないなんてのは、ナンセンス

そもそもはっきりする事をこの国が望んでいるんじゃなかったの?
透明化ってさ。建築の不透明さが嫌なんでしょ・・・?

ならば、聞きづらかろうがそんな事は一切関係ない。俺はいくらになりましたか?
って聞かれてもブログにだって書けるよ。恥ずかしい事はしていない。

何しろ確定申告書だって見たいのなら、貼り付けても良いけれど・・・・そして

気を使うの履き違え。まだ何も取引の無い場所に気を使う前に、何故、四街道の
カルチャ-の店長さんに気を使わない・・・これが不自然。

子供教室では何とか結果を残せたものの、一度も本教室は開催されていないのに
店長さんは俺を高く評価して下さっている。

しかも、そんな状況では俺に気兼ねなさっているのも良く判っている。
だからこそ、そこも巻き込む話にはならないのですか?と切り込んで来るのなら、

まだしも、まずはそこに引っ掛かる。しかも、それも考えてました・・・・と
後出しじゃんけんする事も判っている。

その切り替えしも用意してある。事実なら仕方あるまい・・・と。
そもそも良く読めば判る事。それでも全力でやる・・・と書いてあったはず。

やらなくて言うのなら、余りに卑怯だが、全力でやる・・・と言っているのだ。
しかもお金も捨ててやる・・・と。何処を読んでいるのか?と思う。

更に続く。何故、小学校の事にも触れないのだ。つまり安全に無難に穏便に、
すべての考え方が、体裁をつくろい、何か上手く行こうとしている姿が出ている。

それを変えなければ何も変わる事は出来ない。本音を語る。それでもやる。
ブログを観てくれている人達にもがいている所を良く観てもらう事が大事。

俺は弱音は吐いてはいるが、言い訳をしているつもりは一切無い。
弱い部分を認められない方がよっぽど弱い気がするのだけれど・・・・俺はね。

それを強がりと呼ぶんじゃないのかな?タンカの切り方が全くなっていない証拠。
つめの甘さが作品にも出る。

すべてが甘い。最後の最後に俺の下に付くのか?俺の横に対等に並ぶのか?抜かすのか?その為にはどうするべきか?それを完全に理解しなくてはいけない・・・・

俺は全力で教える。弟子なのだから、惜しみなく。それが抜かされようとも・・・
しかし全力で抜かされないようにする。

それが親の務め。簡単に抜かれるようじゃ親だの、先人だの先輩だのなんて、
邪魔にしかならない。もっとしっかり思想ってものを確立する事。

そびえ立つ・・・そんな存在。ただそれはあくまで腕でしか過ぎない。
人間性なんてものは腕のように簡単では無い。

それが己自信をさらけ出す・・・ア-チストとは?自己表現なのだから・・・
そんな意味が判らないのなら、愛と青春の旅立ちって映画があるから100万回でも

理解出来るまで観ておくれ・・・と言いたい。あれを観て恋愛映画って言っている
ようでは普通。教官がなじる、ののしる・・・けれども、それを卒業すると、

教官よりも偉くなった事になる・・・そこでその教官は敬語を使い、おめでとう
こざいます・・・と言うのだ。

俺は完全にかぐやに教えて行くが、ライバルとみなした。奴の作品は世界のどの
モザイクよりもライバルとみなし、一緒に作りたいと思わせる存在になった。

だからこそ、あえて言う。強くなって己をさらし上に上がって来い・・・と。

体裁が悪いとは言わない。俺と一緒でやって行かないのなら。
そもそも、体裁で対応してモノを言って今、何とか上手く行ったとしても

長続きすると思うかい・・・?更にあえて聞く。体裁ばかりでやって来たタイル屋の付き合いで一体俺に何が残った?

残った人達は体裁で付き合った人じゃない。本当に俺と付き合って行ってくれる
友達では無く、仲間だよ・・・。だから俺がモザイクを辞めたら何も残らない。

かぐやも弟子なら、その意味くらいは判るはず。
何度も言う。モザイクを始めてから一貫して変わらない志は、卑下せず、おごり高ぶらず、自分らしく生きる事。

人としては謙虚に、腕はひけらかし、そしてどうみんなが判断するか?は付き合ってくれた人が決める事。

そして勇気とは?受け入れる事・・・・今は出来ずとも、感じろっ・・
俺は弟子としてトップを走る、更に俺の人生を左右するパソコンを担当するのなら

意思の疎通くらいはきちんと一緒でありたい。
末長く付き合いたいと思うのなら、後出しじゃんけんはしない事。

それと、こんな事も付け加える。身内として色々な事を経験した事で、俺サイドの
考え方になっている事。それによって当たり前過ぎる普通の事を言うようになった

今はもがく事。苦労は買ってでもする事。無理な事は最初から判り切っている事。
諦めるも良し。それなら最初に断る事。

やるって前提なら、きちんとそれを理解し、やるべきか?断るべきか?そこを悩め。
しかしながら、断るって言うのは、二度と依頼されない事を意味する・・・

断るとは?相手よりも上の立場でやる事であって、対等や下のやる事では無い。
今はそこをしのいでやる。実績を作る。これが大事。

しかし、媚びるのでは無く先人の先生がやって来たようなやり方をしない。
きちんと伝えて行く事。その中に必ずご理解して下さる人はいる・・・・

さくらやかぐやの弟子や教室の手伝いをしてくれるタピオカやキウイ、そして
リピ-タ-として何度も教室に足を運んで下さる人達、勿論、作品を購入して

下さった人、そしてこのブログを飽きずに覘いて下さる人・・・・
俺が完全に間違っているのなら、ここに誰もいないはずなのだから・・・・



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