指揮者の小澤征爾が亡くなりました。88歳。僕の母と同い年です。以前から体調が芳しくないことは伝えられていましたが、とうとうその時が来たかという印象です。「巨星墜つ」という言葉が相応しい日本を代表する芸術家、アーティスト、文化人でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
もっともクラシックファンではない僕は、小澤のことは知識としては知ってはいても実際に指揮している姿を生で見たことはありません。映像で部分的に見聞きしているくらいで、小澤が指揮した曲をフルに聴いたこともありません。小澤の音楽性や個人的な思い出について語ることもできないし、そんな気もありませんが、ただ昭和のあの頃の小澤征爾という人の立ち位置というものについては思うところがあります。
僕が子どもの頃ですから、かれこれ半世紀ほど前になりますが、世界で一番有名な日本人と言えばまず最初に小澤征爾の名が挙がったものです。今のように日本人がグローバルに活躍することが少なかった時代です。小澤以外に挙がるとしたらオノ・ヨーコかロッキー青木くらいなものでした。半分洒落だったロッキー青木はともかく、オノ・ヨーコは小澤以上に一般的には有名だったかも知れませんが、評判は決して良いものではありませんでしたから、知名度と好感度の掛け合わせでは小澤が恐らくナンバー1だったことでしょう。
とにかく日本人が世界に対してコンプレックスが強かった時代で、アメリカで大評判とか、世界的有名人とかに本当に土下座しかねないくらい弱かったので、海外で評価されることが何よりスゴイと思われていました。未だにオリンピックやノーベル賞が大好きなのも、戦後日本の海外コンプレックスが続いている証拠です。日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹、「フジヤマのトビウオ」古橋広之進や、「スキヤキ」を歌ってビルボード1位の坂本九などは、僕が小学生の頃の偉人や英雄でした。ただ彼らは基本的に日本にいた人ですが、小澤は自ら世界に飛び出していった人です。その違いは大きかったでしょう。
小澤が世界に出ていったのは、有名な「N響事件」があったからですが、そういうことでもないと世界に出ていく決断をするのも本当に大変だった時代でした。だからこそ単身でアメリカに乗り込んで勝負をした小澤に、当時の日本人は拍手を送ったのだと思います。小澤の30年以上後に野茂英雄がやはり日本を飛び出して渡米しましたが、あの時の状況と少し似ています。パイオニアとは道を切り拓く人ですから、常に先達としてリスペクトされるべきです。