はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

その音は

2011-01-30 17:32:49 | はがき随筆
 夜、テレビを見ていると、台所の方から「パン、バン」とトタンをたたくような音がする。風のいたずらかと思い、台所やら外やら見てみるが、何ら変わった様子はない。
 翌日、その音の正体がわかった。それは、天草の叔母から届いた車エビだった。ノコクズの中に入れられた生きたままのエビはピョンピョン跳びはねる。母がステンレスのボールをかぶせて置いた。「パン。パン」。エビが跳びはねてボールをたたいていたのだ。
 生きているエビ。それを食する人間。叔母に感謝しながら命をつなぐ大切さを思った。
  出水市 山岡淳子 2011/1/30 毎日新聞鹿児島版掲載

雪よ、降れ

2011-01-30 17:17:21 | 女の気持ち/男の気持ち
 カーテンを開けると、今朝は銀世界だ。静かに降り続く雪に、昨秋、広島県の帝釈峡で出合ったオオサンショウウオを思った。
 紅葉の美しい季節。土産店は観光客でにぎわっていた。その軒先に古びた水槽があった。
 何? のぞくと長くて大きな黒いものがいる。落葉が沈んだ水の底で置物のように動かないそれは、1㍍を超すオオサンショウウオだった。「うわっ」。私は思わず叫んでしまった。「まあ、気持ち悪い」。つられてのぞき込んだ娘は顔をしかめた。「いやだ、キモーイ」。爪先立ちして見た孫娘は飛びのいた。「まあ、何、これ」。その後も人々の驚きの声が続く。
 水槽の隅につかえたしっぽを曲げたまま、微動だにしないオオサンショウウオ。人間が漏らす勝手な言葉を、長い間浴び続けてきたのだろうが、身を隠すことも逃げ出すこともできないのだ。そう思い至ると不憫に思え、大きな頭についたつぶらな目が、悲しみに耐えているように見えた。
 「じっと我慢して、サンショウウオはかわいそうね」
 反省を込めて孫娘に問いかけると、嫌っていたのにコクンとうなずいてくれた。
 やみそうにない雪はぼたん雪に変わった。山深い名所も雪に閉ざされ、訪れる人もいないはず。静かな店先の水槽の中で、オオサンショウウオは心穏やかに過ごしていることだろう。
 山口県美弥市 吉野ミツエ 2011/1/27 毎日新聞の気持ち欄掲載

私が危ない

2011-01-30 17:11:26 | はがき随筆
 来月にはエコポイントが減ると押し切られてしまい、昨年の11月、テレビを買い替えた。操作は夫任せで私は電源のスイッチを教えられただけ。
 正月も過ぎ、ゆっくりできるようになった日、初めてリモコンをしげしげと眺めた。小さなボタンがいろいろある。BSにいくつもチャンネルがあることを知った。私の好きな探偵もの、刑事ものの2時間ドラマをあちこちで再放送している。
 かくして私は日に2本も3本もチャンネルを替えながら、2時間ドラマを見ている。もう散歩する暇も、ニュースを見ることもない。私が危ない。
  出水市 清水昌子 2011/1/29 毎日新聞鹿児島版掲載

シマンの君

2011-01-30 17:04:31 | はがき随筆
 冬になると、北島三郎の「風雪ながれ旅」を踊ります。
 小道具のショールは、紺色から空色にぼかしが入り、周りに濃紺のふさがついています。
 むかーし、新年会で舞い終えて丁寧にたたんでいたら、いつも無口で仏頂面のK刑事が「ちょっと、貸してくいやん」と言って、返事も待たずに持って行きました。別室から現れた彼はふんどしにして、ひょうきんな踊りを始め大ウケでした。
 「オー、ノー。それ4万円したの、シマン、シマン」。
 彼の君は、今どこにいる?
 ショールを抱きしめていると懐かしい気配がしました。
  阿久根市 別枝由井 2011/1/28 毎日新聞鹿児島版掲載

2011-01-30 16:28:56 | はがき随筆


 「山小屋の灯は……」
 希望の持てる明るいロマンチックな現在の歌。私たちの幼少期。いろりを中心に明かりを求める生活。毎日ランプを磨き、手は真っ黒。夜、宿題をやった記憶はない。石油(灯油)は電気より安くつくと集落の先輩リーダーの指導の結果である。
 川崎在住の孫が言う。「おばあさんのウチは夜になると真っ黒だね」。都会は夜も昼のような明るさの中で生活していて不思議に思ったに違いない。
 現在はオール電化へと変化していく生活。明るい、明るい世界に変わりつつある。灯の変化隔世の感がある。
  薩摩川内市 新開譲 2011/1/27 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はフォトライブラリより

傷の巧妙かも

2011-01-30 16:12:19 | はがき随筆


いくつかの病室を回って
桜島がドーンと見える
窓辺のベッドに移る
空の様子や
右肩より音もなく
噴き上がってゆく黒い雲の動きもよく見える
暮れから正月にかけての大雪も
暖かいこの部屋から眺めるのみ
雲が切れ
青空を背にした桜島は
白く光り輝き
ことのほか美しく圧巻だった
事故の傷は
思うように良くならず
皆に
迷惑ばかりかけてしまったけど
特等席からの幸せをありがとう
  鹿児島市 浜地恵美子 2011/1/26 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はフォトライブラリより

「メジロの身内」

2011-01-27 19:36:34 | 岩国エッセイサロンより
厚い氷が張った寒い朝、散歩で小道を歩いていた。雑木が道に覆いかぶさり、落葉が吹きだまっているところがある。その上に緑色のものが見えた。「なんだろう?」近づいてみるとメジロが1羽横たわっている。   

 白くくまどられた目を閉じ、片方の羽を自分の身に覆いかぶせるかのように広げた状態であった。口ばしをつまんで持ち上げてみた。硬くなった体は、横たわっていた形のままに持ち上がった。そのまま見捨てるは忍びなく、ポリ袋に入れて持ち帰り菜園の隅に埋めた。

 孤独死防止が叫ばれている今、誰も知らないメジロの一生が終わった。

 山口県岩国市 沖 義照 (2011.01.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩国エッセイサロンより転載
写真も沖さん提供

海だけが

2011-01-26 21:32:50 | ペン&ぺん
 それはそれは、波穏やかな海のことでした。さざめく波間に、何か動く姿が見え隠れしております。潮風の中で目を凝らしますと、イルカが3頭おりました。
 身体が大きなイルカはお母さん、残る2頭は男の子でしょうか。子どもイルカは母親を口でつついたり、ぐるぐる周囲を回ったり。あたかも戯れているかのようにも見えます。
 でも、母イルカの様子が普通ではありません。自分で背ビレを動かすこともなく、尾ビレで水をかくこともないのです。そう、すでに息絶えているのです。
 命果て群れから外れた母イルカを子どもたちは力を合わせて運んでいるのです。まるで群れを追おうとするかのように。
 時折、人を乗せた船が轟音(ごうおん)を響かせて近づきます。すると、母イルカの上に、自分の身体を乗り上げ沈めようとします。「お母さん、早く海に潜って。さあ、泳いで」。そんな声が聞こえるようです。そして大急ぎで船から離れるようにと、以前にも増して母を押すスピードを上げます。
 やがて、母イルカの身体は、押し運ぼうとしても、くるくる回るばかりになりました。2頭のイルカが、いつ母のもとを離れたか分かりません。
 夕暮れの海岸。母イルカの身体が打ち上げられておりました。近くに、ほかのイルカの姿はありませんでした。
 2頭のイルカが、もとの群れに戻ったのかどうか。波穏やかな海だけが知っています。
   ◇
 以上は、おとぎ話ではない。昨年10月15日から17日にかけて錦江湾で実際に目撃されたイルカの行動を素材とした。執筆にあたり、かごしま水族館の1月12日付の広報資料を参照した。
 母が死んだ子の亡骸(なきがら)を運ぶ例はチンパンジーや他のイルカでも目撃されている。しかし、親と思われる成獣の遺体を運ぶ例は珍しいという。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載

明かりが消えた

2011-01-25 21:53:11 | はがき随筆
 市内唯一の老舗デパート「都城大丸」が倒産。新聞の見出しが浮き上がって見えた。──絶句。都城の大きな明かりが消えてしまった。
 私が19歳の春、薩摩半島の片田舎から都城に出てきた。その時、大丸の通りは活気があって華やかだった。それまでデパートなどに触れることのなかった私は、高層の大丸が威厳を持って迎えてくれたようで、屋上を仰ぎながら明日からの生活を想像した。その通りは「中央通り」と呼ばれていることを数日後に知った。
 中央通りは国道をはさんで左右に商店街がずっと続く一直線だ。当時はまだ車はさほど普及していなかった。人の通りは信号が変わるとドッと流れだし、よそ見していると、すれ違いざまに人とぶつかりそうになった。夜になるとアーケードの街灯の連なりが面白く楽しかった。
 高級品を扱うデパートではあったが、給料をもらうと気が大きくなって、その時だけは財布のひもを緩めて足を向けることもあった。友人と待ち合う場所にも利用した。
 大手のスーパーの出店に押され、地元の商店は次々と幕を下ろしていく。でも大丸だけは市のシンボルとして輝いていてほしかった。八十余年も頑張って疲れたのだろうか。
 栄枯盛衰は世のならいではあるけれど、さらに重いシャッター通りと化してしまった。
  宮崎県都城市 津曲セツ 2011/1/24 毎日新聞の気持ち欄掲載

タイガーマスク

2011-01-25 21:45:23 | はがき随筆
 「巨人の星」「あしたのジョー」と並ぶスポ根漫画「タイガーマスク」。梶原一騎作。孤児院に寄付するため「虎の穴」の悪役レスラーと戦う伊達直人。
 ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかます。試合後に見せる哀愁を帯びた表情が、たまらなかった。「隣は何をする人ぞ」の現代社会。家族や地域における人の縁が希薄だ。リストラや若者の就職難。シャッター通りが目立つ不況。格差社会。 
 児童養護施設にランドセルを置き「おめでとう」の一筆で立ち去る渋い後姿。時空を超えて今よみがえる伊達直人の精神。日本人も捨てたものじゃない。  
  鹿児島市 吉松幸夫 2011/1/25 毎日新聞鹿児島版掲載

平佐西コーラス

2011-01-25 21:38:35 | はがき随筆
 偶然か、奇跡だろう。
 私の、つたない作詞曲「川辺川情歌」の合唱曲を、なんと、薩摩川内市の「平佐西コーラス」の31人に歌ってもらった。昨年10月は宝山ホールで、12月は薩摩川内市で。2回も。
 指揮者からの連絡で初めて知った演奏会。素晴らしい3部合唱。大きな拍手に、五木を流れる川辺川の哀愁を皆に共感してもらえた気がし、感激した。
 「はがき随筆」の仲間Mさんや俳人Sさんの応援もあり、夢のようにうれしかった。
 「平佐西コーラス」の合唱と友人の応援は、私に生きている喜びと元気を与えてくれた。
  出水市 小村忍 2011/1/23 毎日新聞鹿児島版掲載

旅の抄その2

2011-01-25 21:08:31 | はがき随筆
 12月2日夜、光の砂をまいたカイロに降りたった。
 朝。「見えた」と娘。まるで三角定規だ。ほんとにホテルの窓から見えるんだあ。
 昼、ギザへ。三大ピラミッドの一つ、クフ王のビラミッド。あまりの巨大さに感覚が麻痺してしまった。内部に潜入、4000年の刻を支え続け、機能し続けてきた堅固な石組みを、ぼう然と見上げた。
 夕べ、けだものとも人ともつかぬスフィンクスが問うた。「お前は何を見たのか」
 答えよう。「永遠のいのちを得たいとしう人間の強烈な願望の形を見た」  
  鹿屋市 伊地知咲子 2011/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載

炬燵番

2011-01-22 13:09:30 | はがき随筆
 三寒四温というが、暮れから寒い日が続いている。南の里でこんなに寒い日があるのも珍しい。暖房があっても寒い。
 昔の家には囲炉裏があって今も懐かしく思い出させる。すき間だらけの家だったから、あれで良かったのだろう。家族が多くて、そこか゜一家団欒の中心であった。
 今日核家族とかで、肉親の絆も薄く弱くなっているように思われる。一人暮らしの老人が増え、さびしさを嘆く人がおおい。このままではゆくまい。
 連休で休診の朝、一人暮らしの私も、そんなことを考えながら炬燵番をしている。
  志布志市 小村豊一郎 2011/1/22 毎日新聞鹿児島版掲載

カニサボテン

2011-01-22 12:55:38 | 受賞作品
 玄関の靴箱の上で、ひときわ綺麗な赤紫色のカニサボテンの花。一昨年12月、病室で私の目を楽しませてくれた。咲き終わるとご用済みとばかりに主人が自宅の庭の樹の下に置いたのを思い出させたのは、徳島の従姉妹から届いた写メール。見事な花をつけたカニサボテン。どうしてた? と安否を問うように我が家のカニサボテンを見てみると私が心配するまでもなく、しっかり蕾をつけていた。
 この1年間与えられた命のエネルギーを貯えて花を咲かせるべく頑張っていたのだ。私も、踏みだしたこの年を替え向きに生きてゆこうと心に誓った。
  鹿屋市 田中京子 2011/1/21 毎日新聞鹿児島版掲載

今年も歌います

2011-01-20 16:41:18 | アカショウビンのつぶやき




 信愛コーラスの歌い始めです。
今年はお休みが長かったので「歌を忘れたカナリア」になっていた私たちも気を引き締めて練習開始です。
まず、春の歌を思いつくままに歌います。
毎年やってるのですが、すぐに詰まってしまいます。
「もう、ありませんか」と先生にせかされると「これも、春の歌だよねぇ…」なんてこじつけ? みたいな歌もありましたが、楽しく歌いました。

練習の後は、たえ子先生の用意して下さったぜんざいや、持ち寄りの沢山のお菓子や果物を美味しく頂きました。
5月のコーラスフェスタ、11月の県のお母さんコーラスに向けての選曲もスタートします。
去年のアヴェマリアは、かなりレベルの高い曲だったので、来年はもっと易しい曲にしたいねぇ…という声もあったのですが、今年も頑張ってみよう!と全員の気持ちが一つになりました。さあ、どんな曲が選ばれるのでしょう、楽しみです。

by アカショウビン