はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

もう一杯

2016-05-29 17:12:11 | はがき随筆


 植物好きで猫好きの妻の友人が、「猫のお酒」と名付けられた植物の鉢植えを持って訪ねてきた。英名でキャットニップ(猫が噛む)と呼ばれる、西洋マタタビのハーブ。
 我が家の猫・ロイドは、これまで乾燥マタタビの食品には一切目もくれなかった。しかしこの日、ハーブ鉢の横を通り過ぎると振り向きざまに葉の中に顔をうずめむさぼり始めた。
 やはり生物の威力はすごい。あまりに食べ続けるので「もう、酔っ払うよ」と、妻が鉢を取り上げた。ロイドは「もう一杯」とでも言いたげな目に。私にはその気持ちがよく分かった。
  鹿児島市 高橋誠 2016/5/29 毎日新聞鹿児島版掲載 写真はキャットニップ

鷺と猫と祈りと

2016-05-29 16:55:27 | はがき随筆


 「世界に慈しみを」と、教皇の意向に合わせて祈りながら川べりを歩く。
 向こう岸で白鷺がスロースローっと草むらをのぞいたり、水底をうかがったりしている。鷺の動きにつられて祈りもスローになる。それでもいつか祈りの花束はできてしまった。
 こちら側、水辺の遊歩道に目を落とすと、首輪をつけた白茶のプチ猫がくつろいでいる。声をかけると、垂直の石垣を優美に登ってきて、さよならも言わずに消えた。
 鷺と猫との一期一会、こんなささやかな出会いをつなぎながら生きて行く。
  鹿屋市 伊地知咲子 2016/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載

メーデー

2016-05-27 06:19:49 | はがき随筆
 5月1日は「労働者の祭典」の日。労働歌〝聞け万国の労働者♪〟と歌いながら街を練り歩き、広い公園に集合した。
 昭和30年代。鉄鋼会社の研究所で分析の仕事をしていた。もはや戦後ではなく暮らしも豊かになり、会社の福利厚生も充実していたので労働者の意識がうすれていた。給料から毎月組合費が天引きされたが、その中から大会参加手当がでた。お小遣いをもらった気分で大会終了後は喫茶店や映画館に流れた。
 大会のスローガンなどはとんと忘れたが、近年の複雑な労働形態を思えばよき時代だったのかと思う。
  鹿児島市 内山陽子 2016/5/27 毎日新聞鹿児島版掲載

日課

2016-05-26 13:12:55 | はがき随筆
 ずっと変わらないのが早起き。かつて5年通った汽車通学生活を体内時計にインプットして以来のことか。早起きは三文の徳とばかり、これまで1日3000時を目して、ものかき? に費やしてきたけれど、80代になると勢いもそがれ、たまる紙の始末に困るのでためらう。
 毎朝5時半からの歩き。2000歩へと脚力アップした。4時半ごろから仏前へおまいり。成長するトマト苗に、おはようとあいさつする。ごみ出し、ラジオ体操、朝食、8時のドラマまで遊びグラウンドへ。元気で続けよう、この日課。
  鹿児島市 東郷久子 2016/5/26 毎日新聞鹿児島版掲載

大人の時間

2016-05-26 12:51:06 | はがき随筆
 「趣味は何ですか?」「音楽鑑賞です」。こんな問答をずっと昔(昭和の頃)聞いた気がする。その「音楽鑑賞」だが、ポピュラー、ロック、オールディーズ、クラシック、演歌とジャンルを問わず私は何でもOK。そこに最近ジャズが加わった。テレビ映像やPCディスプレーなどの目からの情報と縁を切った私は、早めの夕食を済ませると耳からの世界にどっぷり浸る。例えば、ジャズボーカルではエラやサラ・ボーン。インストゥルメンタルではクリフォード・ブラウンやジョン・コルトレーン。正に大人の時間に酔いしれる日々である。
 霧島市 久野茂樹 2016/5/25 毎日新聞鹿児島版掲載

地震と夫婦の会話

2016-05-26 12:42:24 | はがき随筆
 去る4月14日から起こっている熊本地震。想定外の莫大な被害に、高齢者の一人として何か手助けできないものかと思っています。日奈久活断層で、鹿児島でも地震が起きはしないか心配もあります。住宅が全壊したら老後の蓄えもないし、立て替え・新築もできないと嘆く妻です。私は終戦直後のことを思い出し、方言「タッゴラン」の家(茅葺き丸太の柱、竹の床でできた家)で暮らせばよい、田舎には周囲に杉やヒノキ、竹山が豊富にあり、創意工夫して作れば生活できるから、地震のときはまず一人一人の命を守ることが大事だと語ることでした。
  湧水町 本村守 2016/5/24 毎日新聞鹿児島版掲載

ピアノの嫁入り

2016-05-23 13:42:37 | 岩国エッセイサロンより
    山陽小野田市  会 員   河村 仁美

 当時、山□県に4台しかなく安い買い物ではなかったが、40年経過し無用の長物となってしまったグランドピアノ。そのピアノの嫁入りの仲人をした。
 まず、お見合いをセッティング。先方の要望は「とにかく音を聞かせて」。300㌔を超す置き場所となる床の強度はすでに補強済みという。見合いの当日、ピアノを弾いた娘さんが音を気に入り、とんとん拍子に話が進み、2週間後に嫁入りというスピード婚となった。
 誰にも弾かれず放置されてしまうのであれば、この新しい出会いで、また明るい音色を響かせてほしいと願っている。   
    (2016.05.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

ミツマタの花

2016-05-23 13:40:20 | はがき随筆


2016年5月22日 (日)
   岩国市   会 員   片山清勝

 岩国のある公園の国重要文化財の庭にミツマタの花が咲いていた。写真を撮っていると、年配の夫婦連れに「撮ってくれませんか」と頼まれた。観光岩国のため、気持ちよく応えた。 
  「ミツマタの花も一緒に」という希望だった。蜂の巣のような形の黄色い花を背景にして数回シャッターを押す。カメラを戻して普通なら 「お気をつけて」でお別れになる。ところが懐かしそうに花を見ながら「何十年ぶりかの出合いです」と話し始められた。
 両親は、錦帯橋の架かる錦川の上流でミツマタを栽培して切り出し、蒸して樹皮を剥ぎ、それを出荷していたという。樹皮は和紙や紙幣用の紙の原料になる。「心を込めて仕事をしていたが、私か中学生の頃には時代の波に押され、関西での再出発を余儀なくされました」
 年を重ねたので、もう一度、両親の故郷を見ておこう、と訪ねたところ、「思いがけず、この花に出合えて故郷に歓迎してもらったようです」と話された。そこには訪ねてよかったというほかに、両親への深い慈しみを感じた。
 資料によれば、ミツマタは、岩国藩では作付けを奨励して面積が増えた。製紙技術も向上して盛況となった。半紙の生産は藩の主要産業となり財政を潤し、藩は紙専売制度を制定して取引拡大を図った。
 歴史あるミツマタの栽培を断念され心残りであった両親。その思いが、花の咲く時季に息子夫婦を故郷にいざなったのだろう。

    (2016.05.22 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)岩国エッセイサロンより転載

ハナイカダ

2016-05-23 07:06:09 | はがき随筆
 


おもしろい。見ようによっては、葉を小舟に見立て、その小舟を船頭さんがこいでいるようにも見える。ハナイカダとしう名をよくもつけたものだ。4月中旬、目立たないが、数枚の若葉の中央近くに緑白の小さな小さな可愛い花を数個つけた。
 下旬、友のNさん夫婦に伴われ、山野草の珍しい花が好きというY氏が拙宅を訪れた。Y氏はタブレットで何度も花を撮影し、なかなか花の周りを離れない。後日、自生地を訪ねることも約した。帰り際「ありがとうございました」と3回も礼を言われた。よほどうれしかったのだろう。私も楽しかった。
  出水市 小村忍 2016/5/23 毎日新聞鹿児島版掲載

会話なき日々

2016-05-22 18:17:25 | はがき随筆
 病院の待合室で高校時代の恩師と偶然一緒になった。当時の先生で健在なのは、市内に住む91歳になる原田先生ただ一人である。あいさつして横に座ると大変喜ばれて会話がはずんだ。
 先生には子どもさんがなく、4年前に奥さまが他界されてからは1人暮らしである。食事や買い物のことなど日々の生活をいろいろと聞いた。不自由な中でも最も寂しいのは、終日会話のない日々が続くことだ。こうして教え子と話す時間がとてもうれしい。会話しながら高校時代を思い出し、私もうれしかったがとてもつらかった。幸い、病院は連休明けで混んでいた。
  志布志市 一木法明 2016/5/22 毎日新聞鹿児島版掲載

贅沢日和

2016-05-22 18:11:41 | はがき随筆
 食器棚の片付け。黒塗りの花模様、卵形のお弁当箱が隅におかれ「あらっ〝粋〟な感じ」。ふたには白い筆文字で「贅沢日和」と描かれていた。早速、鶏の空揚げ、ゆで卵、海鮮サラダとあり合わせを詰めた。公園には桜が豪華絢爛に咲き誇り、花見客を歓迎している。園庭にはブルーシート。グループの輪が広がり宴たけなわ。寄り添う仲間は心温かく和み、感極まった。感慨無量。淡い桜の匂いが辺り一面に漂う。夜の裸電球が夜桜をやさしく照らし、桜の季節の光景をしかと目の奥深くしまう。宝石のごとく高貴に光放つ様は花見贅沢日和かな。
  姶良市 堀美代子 2016/5/21 毎日新聞鹿児島版掲載

桃の木

2016-05-20 15:41:56 | はがき随筆
 昨年8月の台風で、畑の桃の木が横倒しになった。横に倒れてはいるが、しっかりと根をはり、起こそうとしても簡単には起こせない。それでそのまま様子を見ることになった。
 桃の木は横になったまま、3月末から4月にかけて、小さな桃の花をたくさん咲かせた。見事に咲いた桃の花。母が枝を何本も切って、床の間や玄関、台所に飾った。辺りが春色にパッと明るく染まり、はなやいだ。本当にきれいな桃の花。
 強風で倒されても、そのままの姿で大地にどっしりとたくましく生きている桃の木。きらきら輝いている。
  出水市 山岡淳子 2016/5/20 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆4月度

2016-05-19 20:32:53 | 受賞作品
 
 はがき随筆の4月度月間賞は次の皆さんです。
 優秀作23日「薄情な息子」道田道範=出水市緑町
佳作5日「母への感謝状」天野芳子=みなみ薩摩市金峰町
▽10日「小さき者」堀之内泉=鹿児島市大竜町


「薄情な息子」。熊本大地震は出水でも揺れた。もし出水で大地震が起きた場合の逃げ方を、高齢の母親と話し合った。母親は、自分は94歳だから老い先が短い、1人で逃げて命拾いしなさいと言って涙を流した。母子で軽く話していても、いつ現実になるか分からない不安を抱いて、私たちが生きていることは否定できません。熊本のニュースを見るたびに、やりきれなくなります。
 「母への感謝状」は、自分の永年勤続の表彰式に、渋る母親を連れて出席した。考えてみれば、自分への感謝状は、共働きの自分たちを助けてくれた父とその死後の母へのものだと気付いたという内容です。子供は自分ひとりで大きくなったと勘違いしているとよく言われますが、両親の愛情に気付くのには時間が必要のようです。
 「小さき者」は、子供さんの卒園式で涙を流している我が子を見て、次のステップに踏み出そうとしている不安が感じられたという内容です。有島武郎が母親を亡くした子供たちに呼びかけたように、力強く踏み出せとよびかけたいような、庇護しつづけたいような、複雑な気持ちが現れています。この他に3編を紹介します。
 津田康子さんの「諷刺」は、一党支配の政治、平和憲法、IS、中国の覇権主義、原発再稼働、福島、火山爆発と、昨今の世情への不安と不満を羅列し、老人にはどうする力もないと、開き直っておいでです。力のない庶民の武器は、やはり「日本死ね」などの諷刺だと思います。
 山岡淳子さんの「かわいい春」は、お孫さんが保育園から帰って、1本のつくしをお土産に持ってきてくれた。母と自分と孫とで、一時かわいい春を楽しんだという内容です。ニュースを見るのが嫌になる日々ですが、こういう情景には人間を信じたくもなります。
 下内幸一さんの「山笑う」は、西米良村の登山で見かけた花々が紹介されています。ミツマタ、散る山桜、春一番のマンサク、それらのなかでの一時の安らぎ、美しい文章です。題名もいいですね。
鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

2016-05-19 18:14:35 | はがき随筆
 戦隊ヒーローが代替わりするように、息子のマイブームは次々と変わる。チョウ、カブトムシときて今年は蛙だ。遠足先の公園にたくさんいて、友達とキャッチアンドリリースを楽しんだらしい。帰宅してからもずっと蛙が欲しいと騒いでいた。
 雨の日に息子の後をついて行くと、果たして蛙がいた。小さな黒い蛙で、脚をのばしても5㌢に満たない。辺りをうかがい時折ぴょんと跳ねる。壁を伝い、岩かげに潜み、自在に動く姿は小さな忍者だ。皮膚には毒を仕込んでいるという。息子の心をつかんでいるのは、蛙に潜む一種のヒロイズムかもしれない。
  鹿児島市 堀之内泉 2016/5/19 毎日新聞鹿児島版掲載

仲良し兄妹

2016-05-19 18:08:16 | はがき随筆
 亡夫の十年祭には大阪のおい、めいたちも来てくれた。「兄妹3人で小旅行を兼ねて行きます。伯母さん(夫の長姉)を見舞った後、天文館で酔いつぶれてホテルに泊まります」ということで、その夜は市内のいとこも呼んで一緒に飲んだという。
 この夫の兄の子供たち3兄妹は、上から男女女で実に仲がいい。父なき後3人で母親を支えてきたが、この数年は寝たっきりだ。今は病院から引き取って末っ子のMちゃんが介護している。看られる人が看ればいいというふうで、家族も温かい。
 天国から義兄がどんなにか感謝しつつ見守っていることか。
  霧島市 秋峯いくよ 2016/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載