はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

熊野古道へ

2007-06-27 05:21:03 | アカショウビンのつぶやき
 今日から、熊野詣でに参ります。
同行者は、配偶者を失ったけれど、超!元気なおばちゃんたち。
10数年前、関東、関西、名古屋、九州から、最愛の人の遺影を抱いて、グリーフワークセミナーに集い涙にくれた10名が、今では会う度に元気になり、今年は熊野に集うこととなった。
新宮まで行くのならと、少し足を伸ばして紀伊半島を一周し、名古屋空港から帰ることにした。夫が15年前に行った旅の跡をちょっとだけ辿ってみよう。

と言うことで、しばらくブログをお休みします。

晴れ女

2007-06-26 07:51:24 | アカショウビンのつぶやき






 はがき随筆で御縁ができた、姶良町のNさんご夫妻が鹿屋の霧島が丘バラ園に来てくださった。お互いに多忙な身、3年越しの約束の日である。
ところが前日からの予報は雨の確率70%ところによっては激しい雨となるでしょう…と。予報どうりの激しい雨に「どうする?」と電話すると「私、晴れ女だから大丈夫!」。
それでも心配性の私はタオルや着替えまでリュックに詰め込んで到着を待ったが、次第に空は明るくなり、軽やかな服装のお二人が我が家に着いた時は小雨になって、バラ園に到着すると、あら不思議! 雨は止んでしまった。
「ねっ私晴れ女でしょ」でも「傘だけは持っていくね」と私。
今春最後のイベントも雨で中止になったのか、日本一とも言われる広い園内は人影もまばらでゆっくり回ることができたのは幸いだった。
「バラはやっぱり赤ねぇ、存在感がある」と彼女らしいが、私は淡い色に惹かれる。でも激しい雨に打たれ盛りを過ぎた花々はちょっと寂しい。
歩き疲れ、名物のバラのソフトクリームをなめながら空を見上げると、怪しい雲行き…。車に乗り込むと間もなく大粒の雨がフロントガラスを打ち始める、さっすが「晴れ女!」恐れ入りました。
疲れた体を温泉で癒し、次は同じエッセイ仲間のお二人が待つ夕食の席へ。
話はつきず楽しいひとときを過ごす。でも姶良町までは遠い。お二人を見送って間もなく大粒の雨が降り出し、最後は雨のドライブとなった。

はがき随筆5月度入選

2007-06-26 07:50:59 | 受賞作品
 はがき随筆5月度の入選作品が決まりました。
▽鹿屋市札元、神田橋弘子さん(69)の「それぞれの暮らし」(2日)
▽出水市高尾野町柴引 、山岡淳子さん(48)の「陽ちゃん桜」(31日)
▽出水市武本、中島征士さん(62)の「野の花の記憶」(14日)
の3点です。

緑美しい5月は植物との出会いをしみじみと述べた文章が多くありました。いいものですね。さて、狭い私の家の庭も、いくつかの紫陽花の花が美しい広がりを見せてくれました。6月は紫陽花の月ですね。
 「それぞれの暮らし」で、神田橋さんは妹さんたちがバラなどを丹誠こめて育てている様子を描きました。また、山岡さんは高校生の甥御さんが小学校入学記念に植えた桜を今も「陽ちゃん桜」と呼んで楽しんでいます。中島さんの「野の花の記憶」は、小学生時代の娘さんが、学校の帰り道に摘んできた野の花の名前を聞いたと思い出し、それから30年がたった今、植物図鑑を見て思い出に浸っている話。
 上村泉さんの「シンボルツリー」は、歴史のある小学校の庭にそびえる椋の巨木にまつわる思いやエピソードを描いた文章です。本当に、植物との出会いを述べた文章が多く、楽しいことでした。萩原裕子さんの「メッセージ」は、春の海辺を弟や娘さんと楽しむ様子が描かれ、波の音が聞こえてくるようです。鵜家育男さんの「チャレンジ・挑戦」は長年のサラリーマン生活を終えて、体験したことのない様々な仕事をしようと誓って実現。ファイト満々の暮らしがうかがえます。清田文雄さんの「老いと共に」は老いをユーモラスに描きました。
 5月度は、思い出話が続きます。寺園マツエさんの「花まつり」、谷山潔さんの「平和の願い」は、自分のこと、竹之内美知子さんの「石榴の木」と徳丸伸子さんの「父の親指」は父親のこと、道田道範さんの「たまゆらさん」は母親のことなど、人生の過去、現在、未来に思いを馳せて、じっくり暮らしを味わっていく大切さを描いたすばらしい文章です。
(日本文学協会会員、鹿児島女子短大、名誉教授・吉井和子)

係から
入選作品のうち1編は30日午前8じ40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。

父の日

2007-06-26 07:22:47 | はがき随筆
期待していたわけではないが、父の日も無事に終わった。いつものことだが、母の日ほどの感動もなく、文字通り恙なくと言った感じである。元来、私は亭主関白で自分の思った通りに行動してきたから、いつも父の日であった。
 しかし、年を取ってくると、馬力もなく仏心もわいて周囲に妥協してくる。難しいことは言わずおとなしくなる。息子がおくってくれた酒を飲みながら、娘から届いた胡蝶蘭の花を眺めていた。残り少ない人生。あるいはそれでいいかも知れない。
 父の日も終わって元の粗大ゴミ
   志布志市 小村豊一郎(81) 2007/6/26 毎日新聞鹿児島版掲載

結局は島

2007-06-25 13:18:37 | かごんま便り
 ふらりと散策すれば、必ずと言っていいほど銅像や石碑、記念碑などが目につく。何と多い事か。「ほほぅ、こんな所にも」と立ち止まり、碑を眺め説明文を読み、興味がわけば帰って自分なりに調べている。
 碑は公園などの整備されている場所だけでなく、歩道上にぽつんと建っていることも多い。鹿児島市小川町、桜島桟橋通電停の近くの歩道には「赤倉の跡碑」。藩が1869(明治2)年に招いた英国人医師ウィリアム・ウィリスのために建てた病院が赤レンガ造りで「赤倉」と呼ばれていたことを知った。
 また加治屋町は、歴史に名を残した多くの人を輩出した地区だけに、それこそたくさんの碑がある。その中に面白い碑をみつけた。「毛利正直 兵六夢物語の碑」。これも歩道上に建ち、道をはさんだ向こうには県立鹿児島中央高校がある。
 鹿児島に伝わる大石兵六の物語を記念したものだ。表には腰に刀を差した兵六と数匹のキツネのレリーフがデザインされている。裏には「意気盛大な若者代表兵六が霊狐を退治する物語である。江戸文学の中でも高く評価されるべき風刺文学である」などの説明文が刻んである。
 しかし、この説明文を読む人はほとんどいない。とても時間をかけてゆっくりと読めるものではない。碑は歩道ぎりぎりに建っているので、裏の説明文は車道に降りなければ読めないからだ。車の往来は激しく危ない。「車道に入らずんば説明を読めず」。こんな事も、ある意味で興味深い発見の一つだ。
 歴史好きな私にとって鹿児島の生活は、毎日が刺激を受け発見の日々だった。赴任したてのころ、鹿児島の人から「桜島は島と思うか、山と思うか」と尋ねられた。今は陸続きだから「山」とも考えられるからだろう。1年9カ月を鹿児島で過ごしながら、あれこれと考えた私なりの結論は「陸続きになっても桜島は、山ではなく島である」。その心は「霧山を霧島と言うがごとし」。いかがでしょうか?
 ◇   ◇   ◇   ◇
 私が担当する最期の「鹿児島評論」になりました。7月1日付で福岡本部に転勤します。在任中は温かい励ましをありがとうございました。まだまだ行きたい、見たい地域が多く残ってます。再び訪れたい。そんな気持ちにさせられるのが鹿児島です。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 
   2007/6/25 毎日新聞鹿児島版掲載

子らに幸せを

2007-06-25 08:27:40 | はがき随筆
 晴天の7時20分前後毎朝のこと。「おはようございます」「気をつけてね」の会話。駐車場の花の水やり時、6、4、3年生のランドセルを背負い笑顔でしゃべっている児童3人。親子で朝食もしっかりとり、家族に優しく見送られただろう。さらに子供を信じ、人と仲良く和やかな絆をつくるように育まれただろうと楽しく思いを巡らす。彼らの下校はなかなか見かけないが「お帰りなさい」と声をかけ労ってやりたい。子らにとって不幸(虐待、暴行)の多い昨今、毅然とした親や教師に育て指導されることをこいねがうのみである。
   薩摩川内市 下市良幸(77) 2007/6/24 毎日新聞鹿児島版掲載

新生活スタート

2007-06-24 06:51:11 | はがき随筆
 毎日ペンクラブ総会があった5月13日の朝、会の前に中央駅に続く、ビル入り口の花屋をのぞいてみた。母の日までの10日間ほどをそこでアルバイトしている孫の大学生のM子。一心にお客さんの対応をしていた。総会の帰りに再び寄ってみた。母の日の花を求める人で大にぎわい。行きつ戻りつしつつ、ちょっとした間を見つけて小声で呼びかけると「わあ」と驚きの笑顔が返って来た。家で見るよりほっそりと、大人びて見える。その夜、店のご厚意で作らせてもらったという花かごをプレゼントしてくれた。4月からK大へ通う孫との生活スタート。
   霧島市 秋峯いくよ(66) 2007/6/24 毎日新聞鹿児島版掲載

2007-06-23 08:21:17 | はがき随筆
 私の同級生に魚取りの名人Kがいた。Kは幼いころから父の後を追い、川に入り甲突川の流れ、瀬、よどみ、深さなどを熟知していた。また春夏秋冬、それぞれの四季の味覚を川から届けたくれた。その中でも得意技は新緑の頃の鮎釣りだった。解禁数日前から、鮎の姿を岸から探し求め、吊り場のポイントを確認していた。特製の釣り針を作っていたようで、毎年他の釣り人よりも漁獲量が多いことを誇っていた。帰途には初鮎の篭を提げて立ち寄ってくれ、釣果を談笑するのが初夏の恒例だった。芳香な鮎の思い出を残したKの五年忌が、この夏にやってくる。
   鹿児島市 春田和美(71) 2007/6/23 毎日新聞鹿児島版掲載

イラガ

2007-06-22 23:31:35 | アカショウビンのつぶやき




 夏の間、朝一番にすることは、長袖に虫除け帽、軍手に鋏を持って、ブルーベリーのイラガの幼虫探し。
毎朝と言うぐらい、見つかる。体長5㍉程の間は、食害で茶色に変色した葉っぱの裏側に集っているので、葉っぱごととって簡単に駆除できるが、ちょっと留守にすると、成長した虫はあちこちに散らばってしまうので駆除が難しい。
葉っぱに並んだ姿は、整然としているが、地面に落とすと危険を察知してか、隊列を崩し素早く動き回り始める。葉を切り落としたら、すぐ踏みつぶさないと逃げられてしまう。
温暖化のせいか、虫が付く時期が年ごとに早くなってきた。
イラガの幼虫は、見るからにグロテスクで、うっかり触れると飛び上がるような激痛に見まわれる。
 最初に刺されたのは、ブルーベリーを収穫してる最中、腕に激痛が走った。
何が何だか分からないが取りあえずアンモニアを塗って痛みをこらえ、よく見ると、いたいた。角を生やした恐ろしいヤツが動き回っている。
 イソヒヨドリはこの虫が大好物らしく、まるまる肥えたイラガの幼虫を食べている姿を良く見たが…。一方のヒヨドリは熟れたブルーベリーを横取りに来ては、かしましく騒ぎ立てるけれど、虫には興味がないのだろうか。
これから秋まで、毎日毎日、虫取りに挑戦だ。美味しいブルーベリーを守るために。

一向宗末裔かな

2007-06-22 08:14:15 | はがき随筆
 1人の老婆が言い伝えるように語った記憶がある。知覧からのう、天草せえ、そして出水(高尾野)せえ。先祖の来歴を言っている。排除の強い薩摩で天草、が出るのは、政策上の移民ではないと思った。寺の〝こづどん〟なる伯父は、なぜ農民ながら、仏事を頼まれ経を読んでいたのであろうか。観音像を匿していた話を蚕の祭り等に出したのだろう。私はれらの点と線を結び自由に想像してみる。これは、「かくれ念仏」の痕跡かな。少年時、古里は天然の洞穴であった。裏奥の小屋跡地は怪しげであった。鶴喰(つるばん)の姓は番役の謂われかな。
   出水市 松尾繁(71)2007/6/22 毎日新聞鹿児島版掲載

ルウとノア

2007-06-21 09:16:36 | はがき随筆
 6月の初め息子夫婦の所用で、生後40日余りの琉生と2歳の之亜を3日間預かった。琉生は2~3時間ごとのミルク、泣くとおむつ、ミルクあるいは抱っこかなと即席の育児ばあばは思案する。台所仕事の時は夫の出番である。夜中何度も起きるので睡眠不足。うつらうつらして口から哺乳瓶が外れている事も。その分、之亜には手がかからない。時々「まあさ来て」と積み木の相手をさせられる。7月は3泊4日の予約が入った。大変だけど楽しい。大変だからこそ楽しさも倍増というところか。夫は月2回は帰って来て欲しいと言う。フウ……。
   薩摩川内市 馬場園征子(66) 2007/6/21 毎日新聞鹿児島版掲載

あれから

2007-06-20 08:58:25 | アカショウビンのつぶやき
 夫の召天記念会を子供たちの帰省に合わせ繰り上げてすませたので、当日はいつもの独りでゆっくり過ごす。
「独居老人、私もそうなんだなぁ」なんてつぶやきながら。

いつか、どちらかが独りになることはわかっていても、自分が遺されるとは思いもしなかった私だった。
山にテニスに旅にと、現役時代より忙しい第二の人生をつっ走っていた彼の命が、こんなに短かいものだったとは。

庭の白紫陽花が咲き誇り、裏山の時鳥が激しく啼いた朝、彼は静かに旅立っていった。
あれから12年。「なぜ、病のサインを見落としたのだろう…、私の愛が足りなかったから…」と悔いる想いは何年たっても拭いきれず、決して平坦ではなかった長い道のりだった。
涙を拭い共に歩き続け励ましてくれた見えざる力と、多くの友に心から感謝したい。

残される家族に「アカショウビンになって帰ってくるよ」と言った彼。

義妹が住む丁町は山深い谷合にあり野鳥が多い。
毎年4月末には「カンチャンが(夫の愛称)来たよ!」と。
今年は6月になっても来ないと言う。
そういえば、近くの山から聞こえてくるはずの時鳥の声さえまだ聞いてない。

変わらぬのは雨にうたれ、白く輝く「あじさい」だけ。
1枝を生け、彼の好きだったモーツアルトの「狩」を久しぶりに聴いてみる。

今にもリスニングルームから「おーい、飯はまだか」と顔をだしそうな気がしてくる。

モモ

2007-06-20 08:05:25 | はがき随筆
 「モモ」は我が家のウサギ。60㌢角の針金のバスケットがモモの家。夏草が好きだから、晴天の日は畑の草の上。翌日はその隣。モモは針金の隙間からはみ出した草を食べ、フンをまく。夜は安全な場所で眠る。ある朝、バスケットの中にモモがいない。不安になって「モモ! モモ!」と呼んだ。何回か呼び続けていると、夏草の中から姿を現したモモは、私の足元までゆっくり来ると止まった。思わず抱き上げた。私の胸には熱いものがあった。モモが逝ってから何年になるだろう。今年もモモの墓を夏草が覆っている。
   出水市 中島征士(62)2007/6/20 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はよはんさんからお借りましました。

母の遺影が笑った

2007-06-19 07:31:58 | はがき随筆
 このほど母の一年祭を営みました。あまりにも急な他界でしたので、母も何か言い残したことがあったのではないかと、そればかりを思う1年でした。養子の身でありながら、言いたいことを言わせてもらいました。そんなとき母は「ヨーシ、よくぞいいました。これで本当の親子になれました」と諭してくれましたが、顔は怒っているようにも見えました。今となっては本心を聞くことはできません。
 神主さんの祝詞に母の名前が出たとき、母の遺影が笑ったように見えました。「怒ってなんかいませんよ」と言ってくれたのでしょうか……。
   西之表市 武田静瞭(70) 2007/6/19 毎日新聞鹿児島版掲載

すくむ

2007-06-18 07:47:59 | はがき随筆
 山の吊り橋やどなたが通る――去年の冬行って来ました九重、夢吊り橋に。長さ390㍍。高さ173㍍。深い谷間の木々はすっかり葉を落とし、むき出しの岩の間からほとばしる滝を見下ろす。まさに絶景。開業以来、引きもきらぬ盛況とやらで、右側を歩いてくださいと警備の人の叫ぶ声と、切れ目ない列がなかなか進まない。びびっているのは破れジーンズにピアスの若者。私は割と平気で渡り終えたが、ほんとは少し身がズー。昼間の喧噪が止み、夜のとばりがおりるころ、息子亡くした鉄砲撃ちが通る――
   指宿市 宮田律子(72)2007/6/18
   毎日新聞鹿児島版掲載 月曜特集版-6