はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

草刈り人生

2020-10-17 14:22:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 私が草刈り機なるものを初めて手にしたのはちょうど今から20年前。効率ばかりを追い求める暮らしが嫌になり、それまでの事業をすっかり畳んで妻とこの霧島の地へ移り住んだ時です。
 林間別荘地の我が家には敷地面積と同じくらいの草地が隣接していて、やむなく私の草刈り人生が始まりました。最初は来る日も来る日も竹の根っこをクワで取り除いたものです。その後は草刈りです。
 何年か続けるうちに、伸び放題にして刈るよりも、まだ草の丈が低いうちにこまめに刈れば作業は楽だし危険な金属刃よりも安全なナイロンコードですむことにも気付きました。そんな理由で、今では4月から9月の間、月1回のペースで作業しています。
 ところが加齢というのは恐ろしいもの。高温多湿の中での肉体労働は想像以上の過酷なものとなってきたのです。今年も先日、何とか最終回の作業を終えることが出来たのですが、大きなおまけを頂戴することに。
 かつてぎっくり腰で痛めた腰を再びひどく痛めてしまったのです。毎朝の朝食作りもままならず、泣く泣く妻に代わってもらいました。
 「果たして来年はできるだろうか」。迫り来る心身の老化に折れそうな私の心です。
 でも体が動く限り挑戦です。作業後の達成感と、いつも写真を見守ってくれる高千穂の峰のためにも。
鹿児島県霧島市 久野茂樹(71) 2020/10/17 毎日新聞鹿児島版掲載

マスク美人?

2020-06-23 12:14:20 | 女の気持ち/男の気持ち
 友人が送ってくれた手作りマスクを着けて鏡の中の自分にニンマリする。マスクを着けた顔は当然のことだがマスクが一番、目に付く。
 目立ち始めた口元のしわも控えめな鼻も全然見えない。目立つのは白髪に映える、淡く明るい色柄のガーゼハンカチマスクだけ。布のカットの具合で鼻も少々、高く見える。
 友は私という人間をよく分かっている。さすが、付き合い46年。オヒョヒョヒョヒョだ。
 どこかの無精者は、常々扇で顔を隠せる平安時代の姫君を羨ましがっていた。あれなら化粧をサボろうが、雑に済まそうがOKだ。
 紫式部の時代から1000年あまり。待てば海路の日和あり。新型コロナの感染予防でマスクが必要になり、煩わしいと思っていたが、効用もあるじゃありませんか。
 フッフッフ。マスクの色柄のお蔭で目も生き生きして見えるような……。指で押すとフニャッとくぼむ上げ底鼻に、ちょっと詐欺かもという気もするけれど。
 なんの、別に誰かをだますわけではない。何の努力もせず、マスク美人になれた? と思うと気分がいいのだ。さて、こっちもお礼にサバイバルグッズでも送ってやろう。
 一緒に送られてきた黒猫模様のバッグを袈裟懸けにして美魔女になったつもりの私は日傘を片手に外に飛び出した。自転車に乗って薫風と共に気分は舞い上がる。どけどけカラス。マスク美人が通る。
 北九州市小倉南区 吉田典子(59) 2020/6/23 女の気持ち掲載

望郷

2020-06-02 11:52:18 | 女の気持ち/男の気持ち
 52歳で現役を退き、静岡県から霧島へ移り住んだ私にとって、ふるさとは年を重ねるごとにただただ懐かしいものとなりつつあります。美しい山河はもちろんですが、それにもまして望郷をかき立てられるもの、それは友です。
 中学時代、400人近くいた学年の中、学業で私の前に壁のように立ちはだかっていた2人の秀才がいました。そのうちの一人は生徒会長。調子づいて立候補した私が完敗した相手です。心の中では「友達になりたい」と願っていましたが、それもかなわず、あっという間に50年の月日が。
 そこで私は一念発起。隠居生活の傍ら手を染めた俳句、短歌、川柳、エッセーを文庫本に仕立て、あいさつの手紙と共に送ったのです。
 当時の私への印象が芳しくなければ、縁がなかったものとして諦めようと決めていました。さて、その結果は……。
 生徒会長をしていた彼の方は県立高校の校長職を勇退していましたが、美しい手書きのお便りを何度も頂く仲になりました。もう一人の友は、何と歌舞伎の演出家に。先日の九州公演の時には、わざわざ足を延ばして我が家に立ち寄ってくれたのです。
 現在、ぼくたちが少年時代を過ごした「竜洋町」という地名はありません。だが、70歳を超えた私の胸には故郷の遠州灘や天竜川、そして竜洋中学がさんぜんと輝いています。
 ありがとう、我がふるさと。ありがとう、我が友。
 鹿児島県霧島市 久野茂樹(70) 毎日新聞 鹿児島版 男の気持ち掲載

義母の遺品

2019-11-24 21:16:15 | 女の気持ち/男の気持ち
 「いてっ」。机の前に座る際に蛍光スタンドの端に頭をぶつけた。かなりの年代物だ。机を前にして、何気なく周囲を見渡すと、かみさんの母である義母の遺品が目に付く。蛍光スタンドもその一つだ。義母と私は養子縁組をしていた。
 目の前の机も遺品だ。何の木かは知らないが、ビョウをさそうにも硬くてさせない。その上めっぽう重い。横120㌢、奥行き80㌢特に大きいというほどではないのだが、一人では持ち上げられない。
 義母の父が職人に頼んで作ってもらったとかで、釘は一本も使わず、全てはめ込み式で、がっしりと出来あがっている。
 昔の家は床が高く、義母は玄関から部屋に上がれなくなったので、手すりと階段を付けたのだが、今では私自身が大いに助かっている。さらに上がったところの部屋に置いてある椅子付きのテーブルは、来客があったときに役立っている。
 そのテーブルを眺めていたらふと共同生活を始めたばかりのころ、義母と向かい合って一緒に夕食をとっていたときのことを思い出した。義母が手にしている箸で、おかずの器を寄せたのを見たとき、思わず「お行儀が悪いですよ」と注意したら「よーし、よく言った。これで本当の親子になった」と言ったものだ。
 実をいうと義母と私は同じ子年生まれで性格も似ていた。この義母が亡くなって12年。かみさんはクロアゲハが飛んで来る季節になると「お母さんが様子を見に来たわよ」と指さし、在りし日をしのんでいる。
 鹿児島県西之表市 武田静瞭(83) 2019/11/23 毎日新聞鹿児島版掲載

いざ行かん

2018-03-21 14:57:13 | 女の気持ち/男の気持ち
 新聞の広告で安い沖縄ツアーを見つけた。ツアー名には見覚えがあった。手元にあったパンフレットを見ると確かに同じ行程のツアーだ。違うのは発着空港と代金! 信じられない思いで見直したが、間違いない!
 福岡空港発着だと鹿児島空港発着より2万円も安く設定されている。新幹線代を払ってもお釣りがくる。お得な掘り出し物を見つけた気がして、買わなきゃ損とつい、いつもの習性が顔を出す。
だが沖縄までは自分たちで行かねばならない。夫と2人では少し不安。そこではたと思い当たった。小倉の息子家族を誘ってみようと。早速電話をすると、嫁さんはちょっと困惑気味の対応。そりゃそうだ。
 明くる日の夜、息子から電話がきた。いろいろ遠まわしに聞いてくる。私は「安いツアーを見つけたのよ。お父さんと2人では少し不安だし、あなたたちと一緒に行ければ楽しいなあと思って」。
 息子は「仕事も休みが取れるし、子供たちも学校休んででも行きたいと言ってるいるから一緒に行こうか」と言ってくれた。
 電話を切ってふと思った。息子は突然の電話の誘いに、私か夫ががんか何かの宣告を受けて、この世での思い出作りを思い立ったと勘繰っているのではないかと。なんだか奥歯に物がはさまったような言い方をしていたなあ。
 でも孫たちと旅行に行けるのはうれしくてしようがない。勘違いするのはそちらの勝手。当方に責任はございません。
  出水市 清水昌子 2018/3/16 毎日新聞鹿児島版「女の気持」掲載

スポットライト

2017-03-08 16:14:54 | 女の気持ち/男の気持ち
  3校目に赴任した中学校は荒れていた。3年生最初の授業では全員2階の美術室に入ってはいるが、チャイムが鳴っても私は全く無視されていた。とっさに教卓の上に立った私は「おー、よく見える」と全員を見まわした。
 前任校で特別支援学級の担任だった私は、階下の特別支援学級の生徒の姿を話した。「花園の水やりを約束すると、雨の日も水をやって約束を果たすぐらい純なんだ」。私たちには何が大切か熱弁した。「あんたは、えらい!」机に足を投げ出し腕組みした「男番長」が言った。
 ある日の休み時間、向かい側2階の2年生の教室から「せんせー」と1階1年生の教室の私に向かって手を振る女生徒たち。「先生もてるね!」と冷やかす1年生たち。「あの8人が問題の生徒たちだ」と生活指導主任が指示した8人だった。
 8人が3年に進級すると私は3年生の生徒指導係になった。8人は私としか会話をしなかったらしい。涙なしには聞けないつらい話を聞いた日もあった。
 「文化祭で劇をやろう」。8人のいる3年生に声を掛けた。「新男番長」はスポットライトの係に、8人の中のMは劇の主役になった。私は演出係を応援した。スポットライトを浴びたMのせりふはよく通った。
 幕が下りると私は舞台裏へと急いだ。「先生、どうだった?」とM。「良かった、とても良かった!」と私は両手を握りしめた。
 共に活動した喜びは広がり、彼らを素の顔に戻した。学校は落ち着きと静けさを取り戻した。
  鹿児島県出水市 中島征士 2017/3/2毎日新聞「男の気持ち」爛掲載

母娘の涙

2016-12-10 12:01:16 | 女の気持ち/男の気持ち
 娘の家族に会いたい一心で、この夏、モロッコに一人で出かけた。2年ぶりに会った孫娘、ナディアが「バーバ、ママは年2回は泣くよ」と言った。
娘が小学5年の時に夫が急死。公舎を引き揚げ、転校した先で、仲間はずれにされていると知った時のことを思い出した。悲しみと怒りで母娘抱き合って泣いた。彼女の背をなでながら何としても強い子に育てよう、もう泣くまいと決めた。
 大学在学中のニュージーランドでのワーキングホリデー。長男が働いていたタイへの1人旅。大学卒業後は中国の大学へ留学。そこでモロッコの青年と知り合い結婚、と一人立ちの準備は万全だと思っていた。
 「なぜ泣くの?」「だって、お母さんがそばにいないんだもの」「そうか……。私が来ればいいのね」「バーバ、来るの? バ゛ンザーイ」。パパの所へ走って行ったナディアが「パパもさんせいだって、よかったね」と大喜び。
 娘は私が母の老後ほ見たように、自分も私を見たいという。「ありがとう」。涙を封じて34年。再び涙があふれ出てきた。私は土倉を望んでいる。大地に横たわり、静かに目を閉じる。深紅のバラを供えられた墓の下で、ゆっくとりアフリカの土になっていく姿を想像している。
 鹿児島県阿久根市 別枝由井 2016/11/24 毎日新聞鹿児島版「女の気持」爛掲載

鳥たちと共に

2016-02-28 07:26:07 | 女の気持ち/男の気持ち


 わが家は出水平野の山手の海抜90㍍ほどの所にある。メジロ、ジョウビタキ、ヤマガラ、シロハラ、アオジ、コゲラ……と四季折々に鳥たちがやってくる。
 テラスに影をつくるエゴノキの幹には巣箱を掛けている。「どんな鳥が入る?」と来客に聞かれると「シジュウカラだよ」と答える。何組かのカップルが下見には来たが入居には至らず、「始終空」というわけだ。
 玄関先のナニワノイバラの棚の上にキジバトが毎年営巣している。庭石に落ちたふんで「あっ来たな」と気づくのだ。巣立つまでの間、共に暮らす。
 ある年、猫のモモのうなり声に驚いて見ると、ヒナを蛇が飲み込もうとしていた。追い払ったが、ヒナは助からなかった。
 桃の木の高い所にコゲラの巣の跡を見つけたこともある。
 庭の柿若葉の下を季節の応接間とし、茶の接待をする。そのベンチに寝転んでいたら、眼上の電線にいる2羽のシジュウカラに気づいた。虫を加えている。そーっと離れて、遠くから見ていると、ベンチサイドのキンメヤナギの洞に出入りしている。ヒナがいるのだ。「あんな低い所で大丈夫?」と心配になり、ヒナの声を確かめたりしているうちに巣立っていった。
 最近シジュウカラは全く新しい場所にしか営巣しないことを知った。
 そうか。それなら巣箱の新築だ。「敷金家賃不要」と書いておこう。
 これからも楽しく生きようと思う。鳥たちと共に。
  鹿児島県出水市 中島征士 
2016/2/23 毎日新聞鹿児島版・男の気持ち欄掲載

「ごめんなさい」

2016-01-06 12:59:37 | 女の気持ち/男の気持ち
 事実は小説より奇なりと言うが、我が家にも込み入った物語がある。
 昭和7年12月25日、私の姉は東京で生まれた。両親はまだ学生で結婚もしておらず、周囲の勧めもあって養女に出された。宮城に移り住んだ姉は高校時代に養父から事実を知らされたという。早くに養母が亡くなり、義母に男の子が生まれたこともあって、高校卒業後に実母の両親を頼って東京に出たらしい。
 私たちの両親は戦後に父の故郷鹿児島に戻り、私が生まれる昭和27年に婚姻届を出した。私が真相を知ったのは31歳。父が亡くなった時だった。遅すぎると母を責めた。
 その翌年、姉が結婚して暮らしていた仙台でようやく母子の3人が顔を合わせ、おいやめいにも初めて会った。その後数回行き来したが、7年ほど前に私の手紙が誤解を招き、めいにも訪問を断られ、仙台まで行ったが会えずに戻ったこともある。震災前に老人ホームに入居したと東京在住のおいから知らされたが、没交渉のままだった。
 和解をと願っていたが、希望は断たれた。おいから先日、亡くなったことを知らせる喪中はがきが届いたのだ。父の暴力にも耐えて離婚しなかったのは、万が一の時に姉が頼れる場所を残しておきたかったからだと母は言っていた。その思いを伝えることももうできない。 
 面と向かって「お姉さん」と詠んだことがない姉を思い、声に出して言ってみた。
 「暁美ちゃん、もう一度会いたかったよ。ごめんなさい」
  鹿児島市 本山るみ子 2015/12/29 毎日新聞女の気持ち欄掲載

フォークダンス

2015-09-21 10:19:23 | 女の気持ち/男の気持ち
 近所の高校の体育祭をのぞいてみた。
 プログラムを見ると、フォークダンスに出られるのは3年生の女子全員と男子選抜とある。共学だが女子の方が多いのだろう。招集場所からぎこちなく手をつないだ2人組がフィールドに向かって小走りで駆けて行く。時々「そこの2人、ちゃんと手をつなぎなさい」と教師に怒られているのがおかしい。
 肩と腰のところで手を重ねる。あんなふうに校内で手をつないだら「不純異性交遊」のかどで校則違反として挙げられた末、謹慎ものだ。握手という習慣が無い日本では、おおっぴらに同世代の異性の手を握れる貴重な機会がフォークダンスなのだから、もっと勇気を出して楽しみながら手を取り合って踊ればいいのに。もったいない。
 「ほら男の子は横に並びなさい」と男性教師にせき立てられ、「ちゃんとエスコートしてあげなさい」と女性教師に追い打ちをかけられている男子生徒の困ったような照れたような表情。どの2人も無言で目を合わさずにすましているか、よくて照れ笑いと苦笑いを足して二で割ったようなはにかみを浮かべるので精いっぱいだ。
 「だらしない。しっかりしろよ」と、かつて自分もそうだったのに、ついやきもきしてしまう。
 あのどっちつかずな距離から近づくことも離れることもできず、気恥ずかしげにしている彼らの初々しさに、自分が嫉妬していたのだと気付いたのは、皆が退場したあとだった。
  出水市 谷口歩 2015/9/20 毎日新聞、男の気持ち欄掲載

45年目の絵手紙

2015-09-16 00:41:30 | 女の気持ち/男の気持ち
 かつて私は大隅半島東岸にある小さな中学校の教師だった。先日、45年前の卒業生から還暦同窓会の案内が届いた。担任した45人の生徒のうち3人が早世し、26人が参加するという。
 当日、出水市から集合場所の中学校へ車で向かった。最後の峠のトンネルを抜けると太平洋が見える。ゆっくりと坂を下る。明らかに過疎化が進んでいる。45人中30人が集団就職したのだ、当然だろう。彼らの実家はまだ存在するのだろうか? 泊まる所はあるのだろうか?
 4時間足らずで学校に着き、私と私の家族の人生のスタート地点に立つ。涙があふれ出す。現在の生徒数は7人だという。
 校門で待っていると、次々に教え子たちが集まって来る。
 「先生、誰だか分かりますか」じっと見つめていると中学時代の顔が浮かぶ。
 「あ、ハルキ」
 大自然の中で共に遊び暮らした彼らの名はよく覚えている。が、顔と一致するかが心配だった。生徒同士も同様のようだ。
 「あれは誰?」
 私を遠くから見て問う声。しばらく誰も答えない。
 「先生だがね」
 全員が笑った。
 3人の墓参りの後、宴会場へ。アラ、イシダイ、オウギガニ……。郷土料理を見て驚きの声が上がる。そう、彼らも久しぶりなのだ。ここでも時間は矢のように過ぎた。
 出水にもどってもまだ余韻に浸っている。そうだ、42人全員に絵手紙を書こう。私を育ててくれた彼らに感謝を込めて。
  鹿児島県出水市 中島征士 2015/9/12毎日新聞鹿児島版掲載

ツワブキの花

2014-11-01 06:49:59 | 女の気持ち/男の気持ち
 風にあおられた葉の陰から、拳を突き上げる形でツワブキの花芽がのぞいている。
 この花にひかれたのは亡夫の赴任地、種子島の茎永でのことだ。ロケット発射が初めて成功した年、太平洋の荒波に浸食された奇岩にしがみつくようにしながらも、輝くように咲いているのを見た。3人の子どもを連れて浜遊びを楽しんだ幸せな日々だった。
 十数年後、夫は急逝し、悲しみにくれて、かめ酢で有名な福山町を訪れた。ツワブキの町と聞いたからである。錦江湾や桜島に向かって咲き誇っていた。
 12年前、母の介護のため実家に帰ることになった。 
 よし、ツワを植えようと決め、ぼつぼつ移植していった。
 春になると「ツワをちょうだい」と友だちがやってくる。夏と冬は緑色の葉がいい。秋は待ちに待った花の時。
 「阿久根市の市花って知ってた? なんであんな花が市花かね」などとぼやいていた人も、花の様子を見に来るようになった。
 隣町の長島町は町をあげてツワ・ロードを作っている。
 「見に行こうか」
 「行こう行こう」
 「町民が優しいんだよね」
 「リーダーがいいのよ」………。
 いろいろなことを良いながら、「私たちも植えようか」と、一人また一人……。ツワブキファンが増え始めている。
  阿久根市 別枝由井 2014/10/26  毎日新聞の気持ち欄掲載

スイスへ行った

2014-09-04 00:19:35 | 女の気持ち/男の気持ち


 中学時代から山歩きが好きだった私は近くの矢筈岳や紫尾山によく登った。ためたお年玉で登山靴とヤッケを買ったのは高2の時だ。早速、親友と雪の紫尾山へ行った。山頂で日本アルプスへの思いを語ったのは遠い青春の日の思い出だ。
 中三の時、新田次郎の「風の中の瞳」に出会った。以来、新田作品を読み続け、本棚には彼の作品が今でも並んでいる。
 歩けるうちだ!――そう思った私は今年6月末、スケッチブックとカメラを携えスイス旅行に出かけた。雪化粧のアイガー、マッターホルン、モンブラン……。日々、新田ワールドの中にいた。咲き乱れる高山植物を眺め、ゆっくり歩いた。マッターホルンをスケッチした。涙が流れてきた。
 「元気かい。元気だよ」
 妻宛にスケッチした山の絵はがきを登山鉄道の駅で投函した。アイガーグレッチャー駅からクライネシャイデック駅まで歩いて下りると、近くに小さな墓があった。「新田次郎ここに眠る」
 思いも寄らぬことでまた涙がこみ上げてきた。
 世界一人種の多い国というスイスは、120年前にアイガーに観光用トンネルを掘った。第二次大戦中は多くの難民を救った。海抜高度が高く土地の生産力の低い国であるが、なぜか色彩豊かな印象がある。単一純粋を志向する国々の争いが絶えぬ中、中立国スイスは国のあり方をも私に問いかけ、考えさせてくれた。
  出水市 中島征士 2014/8/31 毎日新聞、男の気持ち欄掲載

婦唱夫随?

2014-07-28 19:05:34 | 女の気持ち/男の気持ち
2014年7月28日 (月)

 
  岩国市  会 員   沖 義照

 「最近、よく眠れるようになったわ」。

朝食をとりながら奥さんが言う。そういえばここ半年、隣のベッドで何度も寝がえりを打っていたような気がする。そんな奥さんが、最近よく眠れるようになった訳は、はなはだ単純なことであった。

 もともと、ちょっと油断をすると肥えてしまう体質らしい。何とか人並みにスリムになりたいため、好きなものを腹いっぱい食べることを我慢する。やがて少しスリムになるが、成功した途端、また好きなものを好きなだけ食べる。すると元の木阿弥に……の繰り返しが、ずっと続いていた。

 ここ半年は食事を工夫しダイエットに頑張っている期間だったらしい。先日、目標の体重まで減量したので、最近はおいしいものを十分に食べるようにしたという。腹は正直なものである。一晩中ぐっすりと眠れるようになったそうだ。

実は数ヶ月前から私の体重が少しずつ落ちていた。どこかおかしいのかなと少し気にはなっていたが、先日、顔を洗っている時に頬の膨らみを感じた。

「おっ、体重が戻ってきたぞ」

そう思いながら朝の食卓についていたとき、この話が飛び出したのである。

何ていうことはない、ダイエットの必要のない私が、奥さんのダイエットにつきあわされてスリムになっていただけである。

奥さんと私、夫唱婦随ならぬ婦唱夫随。同じように体重が増減している。
(2017.07.28 毎日新聞「男の気持ち」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「おうち」

2014-06-26 22:42:51 | 女の気持ち/男の気持ち
 幼稚園から帰ってきた子どもたちを迎えに外に出た。私を見つけたKちゃんは「だっこして」と駆け寄ってきた。Kちゃんを抱き上げ「さあ、おうちに入ろうか」と言うと「おうちじゃないもん。D園だもん」。
 一瞬言葉を失った。たわいないおしゃべりをしながら、腕の中の4歳児の言葉に私はとらわれていた。
 昨年9月からある養護施設でボランティアとしてこどもたちのお世話をしている。近所の暇なおばさんというスタンスで子どもの相手をしているのだが、時々考え込んでしまう子どもの言葉に出くわす。
 昼間は幼稚園や学校で過ごし、おうちに帰る。当たり前のことだと思っていた。ここで暮らしている幼児たちでさえ「おうちで暮らしていない」と認識しているとは、うかつにも気づかなかった。
 「おかえりなさい」と出迎えられ、宿題をしたりビデオを見たり。お風呂に入り、ご飯を食べて寝る。おうちでしていることをD園で子どもたちはしている。だから「D園がおうちだ」と子どもたちは思っているものとばかり思っていた。この脳天気なおばさんも、おうちで暮らせない子どもたちのやりきれなさに気づかされることがたびたびあるようになった。
 「君の笑顔が見たい」という連載が始まった時、こういう養護の方法もあるのだと知った。早く日本でも家庭養護が主流になることを祈るばかりだ。
  出水市 清水昌子 2014/6/26 毎日新聞「の気持ち」欄掲載