はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

イメージ変更

2006-02-28 17:35:55 | アカショウビンのつぶやき
3月1日
 日脚も延び寒さの中にも近づく春の足音を、すぐそこに感じるこのごろですね。随筆にも春を喜ぶ気持ちが込められた作品が多くなりました。そこでブログのイメージも雪の結晶から春へと変えました。文字サイズからフォームまですっかり変わってしまい、ちょっと違和感もありますが……。
 四季折々の気分を味わいながら、いつまでも書き続けられますように、そして皆様に楽しんで頂けるブログになりますようにと願いつつ。

娘よ

2006-02-28 17:20:19 | はがき随筆
2月28日(特集版-6)
 娘からの留守電に驚く。「義父さんが亡くなりました……告別式は31日です」。涙声の録音がプツンと切れる。病は小康状態と聞いたばかりである。2年前の大みそか、妻を送り寂しく打ちひしがれた新年を迎えたのを思い出す。娘に電話すると、クリスマスパーティーを娘が呼び掛け、とても嬉しそうだったのだが、その夜から急変したという。「余計なことを言い出した私が……」と言って言葉に詰まる。娘の気持ちは手に取るように分かる。辛いだろうし、聞く私もつらい。「お前に落ち度なんかないよ」と言うのが精いっぱいであった。
   志布志市有明町 若宮庸成(66)

老いを生きる

2006-02-28 17:14:06 | はがき随筆
2月28日(特集版-5)
 日の出が早く、沈むのが遅くなり、春の足音が心なしか近づいてくるように思えるこのごろ。先日、誕生日を迎えて80の大台に乗ったが至極元気になり、まだ現役。早朝散歩に出ると、6時ちょっと過ぎに東の空がかすかに明るくなり、次第に美しい色に染まってくる。波止場や渚から朝焼けの空を眺めるのが好きでいつも早起きする。その日一日心がさわやかで生きる力がわく。いつまでの命かわからないが、燃えながら毎日をたくましく生きて行きたいものだと思う。
   志布志市志布志町 小村豊一郎(80)

冬の思い出

2006-02-28 17:08:40 | はがき随筆
2月28日(特集版-4)
 家の前には小川が流れ、その向こうには田圃が開けている。川の両岸にはキンチクが生い茂り、田んぼには藁こずみが点在している。近所の少年5、6人が午後になるといつの間にやら集まり、北風の吹く中、ここを舞台に隠れんぼをしたり、陣取りをしたり、やがて疲れてくると川岸の竹やぶにもぐり込んで根城を作り、体を寄せ合ってたわいもない話をして過ごした。少年時代の冬の思い出の原風景である。今は川岸は三面張りにされ、藁こづみもなく、子供たちの姿さえもない。昔の変わらぬ田の神様が静かに夕日に照らされている。
   志布志市志布志町 一木法明(70)

花のチカラ

2006-02-28 17:01:44 | はがき随筆
2月28日(特集版-3)
 毎年、公園の片隅に可憐に咲くスズランスイセンや、雪ヤナギ。落葉高木のコブシ、モクレンの白い花が私に春を告げてくれ、やがて4月、5月に色とりどりの花々がにぎやかに咲き乱れる。花の撮影を始めて10年。きっかけは、ふさぐ気持ちをこれら白い花が私に語りかけ慰めてくれた。疲れを癒したい、なえる気力を前向きに変えたい時、カメラを肩に家を飛び出す。すると五体に不思議と力がわいてくる。豪雪寒波の日本列島、南国鹿児島の寒さも例外ではない。この厳しい環境の中でも、きっと美しい見事な花を咲かせてくれるであろう。
   鹿児島市武 鵜家育男(60)

むっつり、お嬢

2006-02-28 16:55:05 | はがき随筆
2月28日(特集版-2)
 ウォーキングの間に6人から12人の人たちと出会う。数秒のすれ違いだが顔なじみになり、あいさつを交わす。ところが、2年も顔を合わせ、あいさつを返さない御仁がいる。40代半ばの女性で、ウォーキング仲間では「むっつりお嬢」と呼ぶ。私は5人の飲み友だちを集めて相談した。細工は流々仕上げをご覧あれ。私たち6人が縦1列に10㍍間隔で、彼女に大声であいさつをして行った。その4日目の朝、彼女が「おはよ」と返したのだ。「おーい、むっつりお嬢が口を開いたぞー」。私たち6人のチョイ悪親父は、大感激で乾杯!
   出水市緑町 道田道範(56)

トラウマ

2006-02-28 16:46:46 | はがき随筆
2月28日(特集版-1)
 何が起きたのか一瞬ぼんやり状態。自動ドアに挟まれ、冷たい地面に倒れたまま。足が動かない。見る間に大たい部が徐々に腫れスラックスもきつくなるのが分かる。「ヤバイ!」。骨折と分かるまで時間はかからなかった。6年前の正月早々の事。しばらくは自動ドアの前に立つことも1人では出来ず、その前を通るのでさえ目を背ける。倒れた瞬間を思い出し、いまだにそのレストランに入れない私。どこに行っても自動ドア。必ず主人が先に、足が不自由な私を待っててくれる。ありがたい。今では杖が手放せぬ生活になった。
   鹿屋市新川町 三隅可那女(61)

満月とシラス

2006-02-27 12:03:30 | はがき随筆
2月27日
 その夜は真冬なのになま暖かく、雲間から満月が顔をのぞかせて雨も上がった。きっとこんな晩にシラスが上げ潮に乗って一斉に川を上るだろうと予感がしたので、車に合羽と長靴と懐中電灯を積んで大潮の海に向かう。
 肝属川の川口はちょうど満潮。砂地の波打ち際で漁師さんが膝まで海水につかって大きな柄の網ですくう。ライトに照らされ、体長7~8㌢の半透明のウナギの稚魚が躍っている。私は夢中でカメラを回した。
 渚には点々と灯りの列ができ、黒い人影が波と戯れ、沖には船の漁り火がゆらゆら輝いていた。
   鹿屋市札元 上村 泉(64)

満足な時間

2006-02-27 11:55:44 | かごんま便り
 「よう-きたの-」。この地の田の神様は太鼓腹で大歓迎してくれるような格好をしていた。
 鹿児島神宮(霧島市隼人町)のすぐ下。田の一角に、右手にしゃもじをかざし、左手に飯碗を持っている。そばの説明版には、高さ83㌢、大きなシキ(蒸しものをするとき蒸し器の下に敷く)を頭にかぶり、田の神舞を舞おうとしているかのようで、1781(天明元年)につくられた、などとある。
 五穀豊穣を祈り、願い、農民と田を200年以上も守り続けている石像の神様だ。干ばつ、飢饉の時もあったろう。米の一粒一粒が貴重な時代もあったろう。変わらないのは四季の移ろい。長い年月で摩耗した神様の顔をじっと見ていると、気持ちが温かくなってくる感じがした。
 全国に田の神の信仰はある。その中で石像として祭る風習があるのは鹿児島県(奄美地方は除く)と、宮崎県の一部の旧薩摩藩領内だけだと言う。
 鹿児島神宮に詣でると、各地の神社にあるような守り札や、破魔矢の他に、珍しいものがあった。板を魚の形に切って車輪を付け、赤い色に塗ってある置物だ。巫女さんに尋ねると「鯛車」と教えてくれた。
 もしやと思い、祭神を調べると彦穂穂出見尊とある。山幸彦のことだ。これで鯛車だったのかと納得した。昔話の「海幸彦と山幸彦」。古事記に出てくる神代の物語。
 ずっと以前に苦労しながら古文を読んだ時のことを思い出した。有名な釣り針の話を中心に展開されているが、海の神が住むワタツミの宮や、アシカの皮「美知皮」が敷物として出てきたり、豊玉毘売とのラブストリー、その姫が大きなサメの化身だったりと、なかなか興味深い内容だった。
 それにしても古い神宮である。由緒も901年に大社に列したとあるから、その以前から建立されていたのは間違いないだろう。県内最大の木造建造物だという。なるほど、さもありなん。
 陽気に誘われて、ちょっとしたドライブのつもりが、その地の風俗や古事記の時代に触れる時間になった。これだけでも十分に満足した。参詣した記念の品はもちろん鯛車。
 境内の桜の蕾はまだ固く小さいがつやが出ている。新緑の色も鮮やかだ。野鳥の声も弾んでいるかのようだった。春近し。
   鹿児島支局長 竹本啓自  (毎日新聞鹿児島版 2月27日掲載)

ハーモニー

2006-02-26 20:34:51 | アカショウビンのつぶやき
2月25日
 混声鹿屋市民合唱団の発表会に賛助出演し、モーツアルトイヤーにちなんで、モーツアルトの「グローリア」を歌った。明るく弾むピアノ伴奏に合わせ「神に栄光あれ、地には平和あれ」と祈りを込めて繰り返し繰り返し歌う…。
 モーツアルトのグローリアは大曲ではないが、そこに込められた壮大なテーマを、力強く歌い上げるのは難しかった。ただY先生の熱意に応えようと練習を重ねた。結果はどうであれ今の達成感は心地よい。
 曲は讃美歌から2曲「希望」と「期待」、そしてグローリアは「祈りと感謝・喜び」と、曲のテーマが異なるため、表現力豊かに…と表情筋も鍛えたつもりだが、写真を見るとイマイチだったかなぁ。
 でも「素晴らしかったよ」と褒められると、すぐ真に受けて頬がゆるんでしまう。応援してくださった多くの方々に感謝しまーす。
 20人の声も心も美しいハーモニーを奏でたひとときだった。
(画像をクリックすると大きくなります)

春隣り

2006-02-26 16:06:41 | はがき随筆
2月26日
 寒い冬も終わりに近づいてきた。ふと目を移すと、チューリップの芽が出ている。柔らかな芽なのに土を破る力がどこにあるのだろうか……。
 わが家の庭も赤や黄の花が咲き、華やぐだろう。
 今、朝の散歩が楽しい。日の出が遅いので、高く昇ってから歩く。道端には緋寒桜の蕾がふくらみ、草も萌え出し、日差しも1日1日と濃くなっている。白梅も咲くと心にぽっと灯がともり、浮き浮きしてくる。
 過ぎ去った1年は早い。古稀を過ぎ、残り少ない人生。澄んだ冬の青空を眺めながら春を待ちたい。
   出水市上鯖渕 橋口礼子(71)

けん玉

2006-02-25 14:07:27 | はがき随筆
2月25日
 真っ赤な玉のけん玉を買った。正月3日、久しぶりの日差しに風は冷たかったが家族でドルフィンポートに出かけた。桜島を望む見事な景色の中で餅つきをはやし立てたり、サービスの豚汁をいただいたりして気持ちも晴れ晴れした。民芸品売場の屋台に懐かしい羽子板やコマなどが並べられ、けん玉を見た時、男の子が拍子を取りながら操っていた姿が浮かんで、やってみたい思いに駆られて購入した。子供みたいなと苦笑する主人にはちょっとはにかんだが……。今は、居間の卓上に彩りも可愛い輪投げとけん玉が、いつでもどうぞと籠の中でほほ笑んでいる。

二の字二の字

2006-02-24 19:41:17 | はがき随筆
2月24日
 冬もたけなわ。昨年の暮れ暴れ回った冬将軍がまた雪を運んできた。ちょうど里に帰っていた。朝起きて昨夜の酔いも覚めやらず、雨戸を開けると、銀世界が飛び込んできた。縁側から垣根まで真っ白だった。どうやら雪も夜半に上がっていて、庭の松や柘植の木も白い綿帽子をかぶり朝日にキラキラ光っている。「うーん」と伸び上がって大きく息を吸い込んだ私は、ひとつ庭に出て雪でも握ってみようかなと思ったが、せっかくのこの雪景色を傷つけるのはなんとももったいない。時節柄、我が家に二の字を描く下駄一足ないのが悔やまれて仕方がなかった。
   鹿児島市紫原 高野幸祐(73)

行って来ます

2006-02-23 14:46:32 | はがき随筆
2月23日
 昨年11月から年末まで東京にいた。C型肝炎治療のインターフェロン注射を始める長女に代わり、家事を行うためだ。私はインスリン注射を打つ身。共倒れにならぬよう気配りして過ごした。長女の治療は、向こう1年ほどの長丁場。少々、注射に慣れたところで退散。
 今度はバンコクに住む二女に、近々3人目が生まれる。手伝いに行くことにした。渡航手続きも終了。鵜戸神宮の安産守りをバッグに忍ばせ、まだ見ぬ初めての女の孫へ胸は膨らむ。今は出発の日を待つばかりだ。
 「父ちゃん、行って来ます」と。
   薩摩川内市祁答院町 森孝子(63)

はがき随筆1月度入選

2006-02-23 14:35:11 | 受賞作品
2月23日
 はがき随筆1月度の入選作品が決まりました。
△高尾野町唐笠木、岩田昭治さん(66)の「名刺づくり」(1日)
△南さつま市加世田村原、寺園マツエさん(83)の「第3の人生」(24日)
△薩摩川内市高江町、上野昭子さん(77)の「願うこと」(30日)の3点です。
 
 「1年の計は元旦にあり」と言う言葉もありますが、1月は多くの方々が新しい一歩を踏み出そうという思いを書いていて感心しました。
 「名刺づくり」の岩田さんは、「ホームヘルパー2級終了、ガイドヘルパー終了、はがき随筆会員」と書いた名刺を作り、福祉ボランティアにもっと携わることや随筆作りに専念するというものです。意欲にみちあふれたこの文章が1月1日に掲載されたのですから、多くの人に良い刺激を与えたことでしょう。
 また、寺園さんの「第三の人生」、小村豊一郎さんの「元旦の朝」、宮園続さんの「心して」は初日を拝んで新しい年への思いを深めることを書きました。皆さん、初日の描写もいいですね。寺園さんはピアノと読書、家事や地域の行事への参加などに大いに頑張ろうと第三の人生の設計を具体的に出しました。
 上野さんは今年の努力目標を考え続けて夜更けになり、そのまま墨をすって思いを書き初めに書きとどめたと「願うこと」に書いています。昨年、「夢実現」をされた道田道範さんも含めて皆さんご立派。今年の皆さんの文章を楽しみにしていますね。
 さて、いろいろと切ない事も多い人生ですが、広い心で明るく生きる人たちのしみじみとした良い文章も多く読みました。遠いふるさとを思う有尾茂美さんの「ふるさと」、福元啓刀さんは年齢は喜寿も近いのに、この名前はねえと大変な痛みを抱えて少し笑っている感じの文章「五十肩」、亡妻の三回忌に自分を鼓舞しようと散歩を始めた若宮庸成さんの「散歩で得た事」、亡父の愛した歌を思い父をしのぶ鵜家育男さんの「歌は心の支え」、頻発する大災害に胸を痛めつつ心豊かに生きようと願う西田光子さんの「年女の願い」などなど、良い刺激をいただきました。
   日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授 吉井和子

係から
入選作品のうち、一編は25日午前8時40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。作者へのインタビューもあります。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。