はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

釣り名人

2014-08-29 04:03:03 | はがき随筆
 私が、磯釣りを始めた頃、1人の名人がいた。誰も釣れないのに不思議とその人だけ釣れる。何でや、まぐれだろう。けどいつもだ。笑って多くは語らない。釣りに対する気持ちが変わった。そのうち釣れるだろうではなく、釣るのだ。潮の流れ、風向き、魚の習性、季節、道具、五感を集中。魚も命懸けだ。体で覚えた四十数年、時々狙い通りの魚や大物が釣れた時はやっとあの名人に近づいたかなあと、心ひそかに思っている。逃げた魚は大きい。違う。自分が下手だから逃げられたのだ。次は見ちょれよ。釣りは奥が深い。
  指宿市 有村好一 2014/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

先輩へ

2014-08-29 03:55:47 | はがき随筆
 「はがき随筆」の投稿を機に、お知り合いとなったNさん。何度か当地のFMラジオ番組にも呼んでいたたき、朗読などの貴重な体験をさせてもらった。お声を聞く限り、年齢を感じさせないインタビュアーだ。そのギャップに驚いた。9年以上も続けてこられた。メカにも強く、パソコンも使いこなす様を目の当たりにしてきた。頭脳の柔軟さを見習いたい。昨年は第九の合唱団員として共に練習に励んだ仲間でもある。惜しくも、今年12月をもって番組を降りられるとのはがきが届いた。長年、ボランティアで制作に当たられ、本当に、ご苦労様でした。
  鹿屋市 中鶴裕子 2014/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載

洗濯日和

2014-08-29 03:49:36 | はがき随筆
 絶好の洗濯日和。朝から洗濯機はフル回転。こんな日は、無理やり洗い物をしたくなり、家中探し回る。日差しは強く照りつけ、風もある。紫外線対策に麦わら帽子をかぶり、たこ足ハンガーに干す。ふんわりとした柔軟剤の香りが心地よい。最後の干し物が終わると、まさに満艦飾。その昔、母が我が家に来た時、次々と洗い物をする私に「機械もだるいが、ちょっとは休ませんね」と言った言葉を思い浮かべた。「ほんとにそうね」と会話をしているような錯覚になり、しばし母の笑顔を思い出す。9月1日は母の二十七回忌を迎える。
  鹿児島市 竹之内美知子 2014/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載

拍手をもらって

2014-08-29 03:34:07 | はがき随筆


 私は、つい、目頭が熱くなった。7月13日、とうとう作詞曲の「祁答院讃歌」が演奏されたのだ。
 祁答院の小会場での、およそ60人の方々の大きな拍手。会場は一瞬どよめいた。
 歌い手の一人は、平日はみそやしょうゆの配達をしながら、あるいは深夜、練習をしたらしい。もう一人の方も、実家の母の介護をしながら少なくとも100回以上歌い込んだと話す。
 2人は、歌詞の「湖面を丘の上に見せ、……」という歌い出しでひどく緊張したという。
 作曲者、皆さん、ありがとう。私は人に恵ませて幸せだ。
  出水市 小村忍 2014/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

御蔵跡

2014-08-29 03:25:45 | はがき随筆
 一段低い理科の実験教室のガラス窓の上部を、何組もの足が右、左に通り過ぎて行く。ある季節になると、地方競馬跡の中学校のグラウンド脇に、多くの観光バスが駐車した。校舎横が、景勝地の海岸に出る道になっていた。井戸が掘ってあった。夏はキャンプ場があった。松林の丘の中にそんな広場があった。小学校の裏から登る径もあった。そこで小学校の相撲大会があった。白いさらしのまわしが躍動した時代の記憶がよみがえる。半世紀たった今は、車がひっきりなしに縦断する。そこは町誌に残る御蔵跡。もう跡形もない。
  いちき串木野市 新川宣史 2014/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

時の流れ

2014-08-29 03:06:34 | はがき随筆


 ルコウ草がフェンスに絡み、カノコユリも木陰で揺れる。小まめに草を取っていると、自然に花園ができる。トレニア、インパチェンス、ポーチュラカなどは夏の庭のおなじみさんだ。
 梅雨明けのニュースと共にこの欄の投稿者の方よりお便りをいただいた。思わぬプレゼントまでも。拙い文を書くことでできたご縁に深く感謝する。
 季節に一喜一憂しながら生きている。悲しみにも時は立ち止まることをしない。寂寥感の中、人情の温かさがしみる。 はかなむな、懸命に生きよと亡父からの叱咤激励にも思えて……。あの日から3度目の夏。
  出水市 伊尻清子 2014/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

怖い話

2014-08-29 02:59:26 | はがき随筆
 怪談は小泉八雲の短編に限る。商人の屋敷で奇妙な現象が起こり、その原因を禅僧が解決する「葬られた秘密」を読むとつい幽霊の存在を信じたくなる。
 子供の頃、夏休みはよく叔父に怖い話をせがんだ。大きな屋敷で女性の幽霊を見た話。2階に寝たのに翌朝、1階で目覚めた不思議な家の話。夜はトイレが怖くて行けなくなった。
 昔、集落で肝試しがあり、悪童たちも神妙になった。墓場に丸い石が置いてあり、その石を持ち帰る。低学年の私は2人1組みだが、夜の墓場は怖かった。夏の夜は、八雲の怪談に身震いしながら暑さをしのいでいる。
  鹿児島市 田中健一郎 2014/8/17 毎日新聞鹿児島版掲載

若き信仰者

2014-08-29 02:42:58 | はがき随筆
 真っ黒に日焼けした若者が、奈良の聖地から自転車でやって来た。彼とは一面識もなかったが、人を介して2.3日の滞在を頼まれていた。彼には思うことがあり、終着地の鹿児島まで寝袋にくるまり、野宿を重ねての道中。出発してから1ヶ月目に我が家に来た。10年来の知己のように遠慮はせず家族で囲んだ夕食の焼き肉を食べ、缶ビールを空けて胸の内を吐露し熱い思いを語った。翌日、知覧特攻平和記念会館に自転車で行った。翌々日の朝、帰りは海路。Vサインで写真に納まり、再び自転車に跨り勇躍志布志港に向かって走り去った。
  鹿児島市 内山陽子 2014/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載

人は生き続ける

2014-08-28 22:29:51 | はがき随筆
 夫は、今年2月に7年間の闘病の末に亡くなったが、今も私の心の中にはしっかりと生きている。私がこの世からいなくなった時、夫も私も共にいなくなる。そして、一人娘の三希子の心の中に2人一緒に仲の良かったお父ちゃん、お母ちゃんとして生き続けるのだと思っている。うれしい。人はその肉体が消え去っても、その人を想ってくれる人の心の中で、ずっと生き続けると思う。いつかは、忘れ去られる時も来るだろうが、命のバトンは引き継がれてずっと生き続けるのだと思うと、今いただいている命を大切にしようと17歳の娘と約束している。
  鹿児島市 萩原裕子 2014/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載

化粧した外猫

2014-08-28 22:22:45 | はがき随筆
 外猫(野良猫)のチビが我が家の敷地に住み着いてから2年たつ。そのチビの灰色の毛が突然白くなった。3匹の子猫とのつらい別れや不妊手術などのストレスからか? と案じているとボーイフレンドの黒猫も白っぽいので更に驚く。「なぜだ!」。気になって家の周りを調べると原因は私にあった。
 私が数日前、運動靴を洗った後、残りの洗剤をポリだらいに入れ、空調のファンの上に置き忘れていたのだ。2匹の猫はたらいの中で寝転んでいたのである。白く化粧したチビとクロのじゃれ合いはおかしく、可愛い。猫騒動は一件落着。
  出水市 清田文雄 2014/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載

絶景の島

2014-08-28 22:10:59 | はがき随筆


 上甑島は同行したKさんと案内してくださったYさんの故郷。安心で楽しい旅ができた。長目の浜は堆積した大小の玉石が帯となってどこまでも続いていて珍しかった。翌日は下甑島へ。約8000万年前の恐竜のいた時代の地層がむき出しで、荒々しくも美しい。平家落人伝説の奇岩も見た。おふくろさん歌碑の前では森節を真似て皆で3番まで歌った。最後は野犬像に会いに行った。全島カノコユリの季節。自生地のユリも、武家屋敷の玉垣からのぞくユリもかれんで美しかった。青い海、数々の刺し身もうまく愉快な仲間7人との旅だった。
  霧島市 秋峯いくよ 2014/8/24 毎日新聞鹿児島版掲載

畑のトマト 猿の食害に

2014-08-26 22:40:34 | 岩国エッセイサロンより
2014年8月22日 (金)


 岩国市  会 員   森重和枝


我が家の敷地内ににあるトマト畑に、とうとう猿がが侵入してきた。玄関を開けると、トマトの根元に大小5匹の猿が座っている。「あっ」と声をあげると、猿たちは塀を跳び越えて裏山に逃げていった。完熟してから摘もうと思っていたトマトはなくなっていた。 

猿は、数年前から裏山に姿を見せるようになった。近所でも「柿をもがれた」「タマネギをごっそり抜かれた」などの話を聞く。我が家は幸いこれまで被害を免れていたので、裏山で子猿たちが遊んでいる様子を目にしても「かわいいな」などと思っていたが、今後は気をつけねばならない。 

それにしても、地域では高齢化が進む一方だというのに、猿の方は子猿がたくさん生まれて年々増えている。そのうち、SF映画の「猿の惑星」のように猿ぱかりになってしまうのでは……。もがれたトマトを見てそんなことを思った。
 (2014.07.23 読売新聞「私の日記から」掲載)岩国エッセイサロンより転載

スイカ

2014-08-16 16:35:57 | はがき随筆
 春にまいた2本の中玉のスイカが運よく育ち、菜園の一角を所狭しとツルを伸ばした。実が野球ボールくらいになった頃、夜な夜な現れるムジナに鋭い爪痕を残された。また来るだろう。さてその対策。苦慮の末、棒を立て60㌢程の高さに編み布でハンモックを作った。ツルが折れないように小さなスイカを入れた。幸い11個の可愛いハンモックのスイカは日ごとに大きくなり、ずっしりと重たくなった。昨日1個収穫、包丁をあてるとスパッと割れ、真っ赤に熟れた見事なスイカに感動。早速夫と頂いた。うーん、うまい。家庭菜園の醍醐味を知る。
  出水市 年神貞子 2014/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

便秘と国家

2014-08-16 16:28:25 | はがき随筆
 「便秘にならんかった」
 そう考え出したのはスイス旅行帰りの機内だった。「6泊した各ホテルには全て日本食があり、豊富な水も無料、公衆トイレも無料だった。世界一人種の多い国と聞くスイスは私を大切にしてくれたなあ」と思える。
 これまで旅したEUの国々での食事は少量野菜にハム類、パン類、パスタ類で、消化すると腸内無風の小麦粉単一密集地帯で隙間皆無の状態になったと考える。結果的に私は便秘に苦しんだ日々を過ごしたのだ。
 「小麦粉単一がよくないな。そう、単一を志向すると国家も便秘になるかもよ」  
  出水市 中島征士 2014/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載

畑のスイカ 薫る郷愁

2014-08-16 16:14:14 | 岩国エッセイサロンより
2014年8月16日 (土)


岩国市   会 員   横山 恵子

 妹夫婦たち10人余りが集まった時、作り始めて2年目のスイカを味わった。 
 これまで、せっかく食べ頃になってもカラスにつつかれるなど、いろいろあった。
 妹が買ってくれた菜園作りの本を読むと、スイカは植え付け時に水やりをしたら、その後は基本的に必要ないそうだ。やはり知識を得て栽培することは、大切だと思う。
 めいたちが「おいしいよ。買ったのより甘い」と言ってくれ、孫たちも喜んで食べていた。
 スイカといえば、亡き祖父を思い出す。夏休みに入ると、田舎の祖父から「スイカやトマトができたので、泊まりに来るように」という手紙をもらっていた。
 孫たちに食べさせようと一生懸命作ってくれていたのだと、あらためて感謝の思いを抱く。熟れたトマトの匂いは、私にとって故郷そのものだ。 
 スイカは雨が続くと実が割れる。作ってみると、農家の苦労がよく分かる。亡き父が土づくりから始めた畑だ。守っていきたい。
    (2014.08.16 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載