はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

寄り添いながら

2016-01-28 23:13:44 | 岩国エッセイサロンより
2016年1月28日 (木)

岩国市  会 員   横山 恵子

先日、列車に乗ったら、盲導犬を運れた女性2人が前の座席に座られた。
 その犬が私の足元に鼻を近づけてきたので、付き添いの女性が「だめよ、やめなさい。犬を飼っておられるんでしょう。犬は優しい人の匂いがわかるんです」と言われたので「犬もわかるんですね」と笑って答えた。
 一般家庭で1年育てられた後約1年間の訓練でやっと盲導犬に。確率は20匹のうち1匹とか。我が家の迷?犬では、とても無理。許しを得て頭をなでたら手を「ペロツ」となめてくれた。背中には「仕事中」という文字。ご苦労さま、元気でね。
   (2016.01.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

家族

2016-01-27 19:12:27 | はがき随筆
 正月に長男家族と、新婚の次男は嫁を連れて帰ってきた。孫たちは「私も清水です」と嫁にあいさつされ「清水さん」を連発していた。家族が広がるっていいなと幸せに浸っていた。
 しかしその後、小3の孫との何気ない会話で「ばあばは私の家族じゃないよ。私の家族はパパとママと弟の4人」。そうなのと驚く私に「パパはばあばの家族だけど」と付け足した。
 以前新聞で各国の家族感の記事を見たことがあった。日本は家族の範囲が一番小さかった。
 どう愛しても、どう尽くしても私は孫たちの家族になれないのか、少しさびしいなぁ。
  出水市 清水昌子 2016/1/27 毎日新聞鹿児島版掲載

待つ楽しみ

2016-01-27 19:02:25 | はがき随筆
 昨年の春、孫から携帯の初メールが来た。「かぼしまのおじいちん、おばあちん、げんきですか。私もすんちんもげんきです」。すんちんとは弟の駿ちゃんのこと。メールに加え、ファクスで手紙もきて写真とともに部屋に飾るものが増えた。
 新年を迎え、孫から初めての年賀状。賀状はハートを囲んだ中に「かぼしまのおじいちゃんおばあちゃんあけましておめでとう。ことしもよろしくね」と。かごしまはかぼしまのまま。ママは4歳の娘の聞き違いがほほ笑ましくて、あえて直さずいつ気づくのか待つらしい。なるほど、わたちたちもそうしよう。 
いちき串木野市 奥吉志代子 2016/1/26 毎日新聞鹿児島版掲載

ドキュメンタリー

2016-01-27 18:08:01 | ペン&ぺん


 先週発表になった第70回毎日映画コンクールの受賞者欄を見ていたら、ドキュメンタリー映画賞で、「沖縄うりずんの雨」の名が挙がっていた。「沖縄の近現代史をみつめ、人々の尊厳を伝える」というキャッチフレーズが示す通り、米軍の記録映像を交えて戦中・戦後の沖縄の歴史をたどる作品。「うりずん」は春分から梅雨入りまでの季節を示す方言という。
 私は映画を鹿児島市内のガーデンズシネマで見たのだが、一番の関心は沖縄問題というより、映画製作・配給会社「シグロ」30周年記念映画といううたい文句だった。
 シグロは1986年に設立され、日本最大といわれた三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)の歴史の明暗を描いた「三池~終わらない探鉱の物語」(2005年)などの作品を世に問うてきた。そのルーツをたどれば、水俣病映画を手がけた土本典昭監督(1928~2008)にたどり着く。 
 土本監督といえば早稲田大から岩波映画へ。原爆や原発、アフガン問題なども手がけ、戦後のドキュメンタリー界を引っ張った一人と言っていいと思う。「三池~」の熊谷博子監督をはじめ、西山正啓氏や藤本幸久氏ら知る人ぞ知る記録映画監督を育てたことでも知られている。かつて三池や水俣で勤務した私にとっては懐かしい名前だ。
 ところで「うりずん…」が歴史をたどる映画とすれば、たまたま同じガーデンズシネマで見た別の作品「戦場ぬ止み」は、米軍基地移設問題など沖縄の〝今〟を描いた映画だった。監督がテレビ出身だったせいか、こちらの作り方の方が私にとっては親しめたが、これは人によって評価が異なるかもしれない。
 コンクールでは、4姉妹の絆を描いた「海街diaay」で綾瀬はるかさん、長沢まさみさんが主演、助演の女優賞を受けた。こちらは映画館で見逃したので、いつかDVDで見てみたい。
  鹿児島支局長 西貴晴 2016/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載
 

AIの発達

2016-01-27 17:42:01 | はがき随筆
近年AI(人工知能コンピューター)の発達は驚くべきものがある。今後も際限無く発達するであろう。今まで家電製品、科学技術に大きく貢献し生活を豊かにしてきた。やがては病気の診断なども行うようになると予想されている。
 この限りない発達は、やがて人智を超えると考えられている。現に将棋などではプロの棋士をしのぐほどである。
 将来のAIと人間社会との共生については賛否両論あるが「AIは人類最悪の発明」と題した本も出ている。もうここらでその発達について何らかの規制が必要なのではないだろうか。
  鹿児島市 野崎正昭 2016/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載

歩く

2016-01-27 17:27:39 | はがき随筆


 晩秋。庄川べりを歩いた。黒部峡谷を歩いた。上高地のカラマツの林を歩いた。冠雪した北アルプスが私を招いていた。
 グレーな高校生活の中で山歩きを覚えた。歩くとカッ、カッとなる登山靴の金具の音に不思議な安心感があり、確かめるように歩くのが好きだった。
 冬。雪の西穂高岳登山道に入る。誰も居ない。雪が舞う。ぜいたくにも白い道はどこまでも続いている。吸い込まれるように歩き続ける。このまま埋もれてしまいそうだ。歩くことが生きることであるかのように、ただひたすら歩き続ける。靴音を確かめながら――。
 出水市 中島征士 2016/1/24 毎日新聞鹿児島版掲載

半分こ

2016-01-27 17:21:47 | はがき随筆
 年の瀬の買い物に夫と出かけた。スーパーもかなりにぎわっている。野菜作りが趣味の夫は値段が気になるらしく腕組みしてのぞいていたが、いつの間にか肉売り場にいる。年取りはすき焼き?というと、そっちはにぎりだろうと。今年はゆっくりできるので自分で作るのと私。返事のない夫の視線の的はどうもヒレ肉のようだ。ヒレ肉も買おうと言うと「一枚でいいよ……半分こしよう」と、よくする半分こをここでも言う。仕方なく厚くて大きいのを籠に入れた。近ごろ頭も2人で一人前だ。追っかけてくる老いに負けないよう気合いを入れるしかない。
  薩摩川内市 田中由利子 2016/1/23 毎日新聞鹿児島版掲載

慈雨

2016-01-27 17:15:34 | はがき随筆
 初めて空手の稽古に出た日、息子は泣いてばかりいた。お仕着せの胴着を嫌がり、親から離れず、最後はぐずぐずと眠った。次の稽古では初めて正座をし、お辞儀を覚えた。今では一丁前に先輩風を吹かせているが、四股を構え、丹田から声を出せるようになったのは年長になってからだ。暖かく見守ってくれた先生や兄弟弟子、父兄の存在なしに今の彼はなかったろう。
 息子を包んでくれているのは柔らかな慈雨だ。親の至らなさをいろんな手のひらが支えてくれる。どんな出会いも壁もきっと人生を沃野に変える恵みの雨となるだろう。
  鹿児島市 堀之内泉 2016/1/22 毎日新聞鹿児島版掲載

新年

2016-01-27 17:06:51 | はがき随筆
 無事迎えられた元旦、一日変わっただけなのに、周囲はすっかり静かで心は落ち着いている。自然界といえば静かな休息の時を迎えており、動植物は眠りについている。お正月休みが過ぎれば、さまざまな行事や仕事が待っており、再び多忙になっていくだろう。しかし庭に出るとスイセンが凛として咲き乱れ、紅梅の枝先につぼみがかすかに膨らんでいる。まして人として生きる身にとって強くたくましく冬を生きねばと思う。趣味の文芸もいろいろ勉強し、残り少ない人生ではあるが、新しい気持ちで、自然の美しさの中に溶け込んでゆきたい。
  出水市 橋口礼子 2016/1/21 毎日新聞鹿児島版掲載

同人誌「花水木」10号

2016-01-22 07:20:26 | はがき随筆


 所属する「岩国エッセイサロン」は昨年末に開設10周年という記念すべき節目だった。その祝賀会と忘年会を兼ねた宴を近くのホテルで開き、盛り上がった。10年ひと昔というが、途中入会で9年4カ月の在籍ながら、あっという間の時間感覚でしかない。それは定年後、エッセイ同好会に費やした時間が楽しかった、子供じみているが正直な思いである。

 サロン活動のまとめは同人誌「花水木」。専門家の「発行は3号くらいまで」という予測を打ち破り10号に達し、今日の例会で配布された。同人誌には昨年の1年間、会員が新聞に投稿、選ばれて掲載されたエッセイの全作品が載っている。10号には95編掲載で134頁、B6版の小型本だが重みはずっしりと感じる。

 花水木の誌名は創刊号から変わらず。花水木はアメリカ原産で、東京市長がワシントンに桜を贈った返礼として1915年、ちょうど100年前に日本で植栽された。100年と10年の差はあるが、花水木の花言葉の一つ永続性を合わせ思えば、我らが同人誌の長く続くことを示唆している。

 同人の申し合わせは「エッセイの創作や、エッセイにかかる勉強をすることを通して自己啓発を図ると共に、創作したエッセイを外部に発信し評価を仰ぎ、ひとりひとりがとり輝いて生きる」としている。この達成には日々の学習と努力を終わることなく続けることが必須となる。まずは同人18人の掲載95編を読み返すことから始めよう。岩国エッセイサロンより転載

聴くとは

2016-01-20 22:07:38 | 岩国エッセイサロンより
2016年1月15日 (金)
岩国市  会 員   安西 詩代


91歳の女性のお話を聴く。戦後生まれの私には想像もつかない苦しい経験をされている。
 先日「私のお習字を見て」と言われた。壁には半紙に「強く明るく生きるのよ」と力強い宇で書いてあった。「生きるのよ」が心にひびく。きっと自分自身のための言葉なのだろう。
 人生、つらい時、悲しい時、この言葉を心の中で唱えながら自分を応援し生きてこられた。 
 「いい人生だった! 何も思い残すことはない」と穏やかに言われるが、彼女の隠れている心の疼き、心の震えに触れ、軽々な言葉では相づちがうてない。深くうなずくだけがやっとだ。
   (2016.01.15 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩国エッセイサロンより転載

はがき随筆12月度

2016-01-20 22:01:33 | 受賞作品
 はがき随筆12月度月間賞は次の皆さんです。

 【優秀作】2日「逃げ道」新川宣史さん=いちき串木野市大里
 【佳作】4日「解禁の日に」中馬和美さん=姶良市加治木町
 △30日「傘寿を迎えて3」一木法明さん=志布志市志布志


 「逃げ道」は、静かなアイロニーの籠った文章です。川内原発に事故が起きたときの、避難経路の冊子が配られてきたので、それに従って南へと向かってみた。すると、暖かい冬日の中の美しい開聞岳にたどりついた。この薩摩富士に別れを告げて南海へ飛び立った若者たちがいたことを思い出した。さて現在、ここが安全な場所となるかどうか。
 「解禁の日に」は、自分の日記の記事を、1日分ずつ読み返すことにしたという、自分だけの楽しみが書かれています。高齢になると持ち時間に、将来よりも過去が占める割合が増えてきますが、このように過去を確認しながら先へ進むことは素晴らしいことだと思います。
 「傘寿を迎えて3」。老いは、視力や聴力それに体力や気力の衰えとして実感される。そこで自分に望まれるのは、西田幾太郎の短歌にあるように、命の重さに気づき、残りの命を燃やし尽くすことができればということだと、なにかに充実した余生を任せたい気持ちがよく表れています。
 この他に3編を紹介します。
 秋峯いくよさんの「転校生」は、宮沢賢治の「風の又三郎」を思いださせる文章です。小学校5年のとき、ドッジボールの強い転校生がいた。すぐにまた転校していなくなったが、その生徒のそれからの人生が気になるときがあるという、私たちにもある思いが書かれています。
 田中由利子さんの「年賀状」は、3年前に同級生から、次の干支までは?と、添え書きされた年賀状をもらった。軽く読み流していたが、その後その人のがん手術のことを知り、添え書きの意味の重さを知ったという文章です。
 高橋誠さんの「タブレット」は、現在タブレットPCを便利に使っている。子どもの頃を思い出してみると、家の周りの板塀に実にたくさんの張り紙がしてあった。あの張り紙の情報の豊かさから考えると、あの頃の板塀はタブレットであったにちがいない。板塀をアナログタブレットと見たところが生きた文章にしています。
 鹿児島大学 名誉教授 石田忠彦 2016/1/20 毎日新聞鹿児島版掲載

回想

2016-01-20 21:31:49 | はがき随筆
 父の四十九日を終え、妻と師走の温泉に来た。時雨にかすむ山々を眺めながら露天風呂に一人。小雨の音、湯水が流れ落ちる音が心地よく、目を閉じる。あれこれ思いがよみがえる。
 我が子の名前すら忘れた母に、母ちゃんと呼ぶと笑顔で応じる母の死は、一番気落ちしたときだった。愚直で寡黙な父は、母を最期まで見届けた。着の身着のままで北朝鮮から引き揚げて苦楽を共にした妻への奉公だったか、そんな父を温泉に連れて来て背を流してやる約束を果たせぬままになった。人の気配に目を開けると、父の恰幅に似た人影が湯煙にぼやける。
  出水市 宮路量温 2016/1/20 毎日新聞鹿児島版掲載

桃太郎

2016-01-20 21:24:51 | はがき随筆
 桃太郎の昔話がある。以前から疑問に思っていたことがある。お供が犬、猿、キジなのはなぜかということである。犬、猿は人間に近く、お供にするのは普通に考えられる。キジは野山にすみ、人との距離は近くない。
 久しぶりに山に行った。春先にタケノコを取ってそのままである。山中をカサカサという音が近づいてくる。よく見るとキジである。私が歩くとついて来る。餌をやると手渡しで食べる距離である。人懐こいキジである。帰るときも車まで送ってくれた。今も続いている。このことで桃太郎のなぞが解けた。
  出水市 御領満 2016/1/18 毎日新聞鹿児島版掲載

書を捨てて…

2016-01-20 21:18:47 | はがき随筆
 記憶力の衰えなのか、頭の回転の退化なのか、人の名前が出てこなかったり、とっさに言葉が出ないことが増えた。年のせいなのだが、進行する不安を思うと恐ろしい。老化だから仕方ないと単純に割り切れるものだろうか。新聞や本を読む努力はしているが、その傾向は止まらない。妻や子供たちに迷惑は掛けたくないが、その意思さえ忘却の線上にあると思うと恐怖だ。思い当たる原因の一つは、人との接点の減少である。外に出れば話題も豊富になり、感動も生まれるだろう。取りあえず刺激を与えてみよう。老人よ書を捨てて街に出よう!だ。
  志布志市 若宮庸成 2016/1/19 毎日新聞鹿児島版掲載