墓守を頼んでいた従兄夫婦も高齢となり、父の墓を移しに晴天の日、神主さんと父の故郷・鹿屋市に出かけた。
昭和19年6月に南洋で戦死してから66年。素焼きの骨つぼは思いの外汚れてはいない。ていねいに拭いて開けてみると骨がぎっしりと入っている。顔も覚えていない父の骨つぼを胸に抱きしめた。
乗っていた船が雷撃を受けて父は負傷。旧セレベス島の病舎で2日後に亡くなったという。幸い荼毘に付されて骨を拾ってもらえたのだろうか。
この世では縁薄かった父と墓は一緒がいいと私はきめた。
霧島市 秋峯いくよ 2010/11/30 毎日新聞鹿児島版掲載
昭和19年6月に南洋で戦死してから66年。素焼きの骨つぼは思いの外汚れてはいない。ていねいに拭いて開けてみると骨がぎっしりと入っている。顔も覚えていない父の骨つぼを胸に抱きしめた。
乗っていた船が雷撃を受けて父は負傷。旧セレベス島の病舎で2日後に亡くなったという。幸い荼毘に付されて骨を拾ってもらえたのだろうか。
この世では縁薄かった父と墓は一緒がいいと私はきめた。
霧島市 秋峯いくよ 2010/11/30 毎日新聞鹿児島版掲載