はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

錆びついた人生観

2016-11-28 01:55:04 | はがき随筆
2016年11月26日 (土)
  岩国市  会 員   山本 一

紙コップにコーヒーを注ごうとして、大きくこぼした。
 隔週日曜日に妻が玄関先でパンの店を出している。来客者が自由に飲めるようポットとミニ紙コップを置ている。これまで時々テーブルが汚れていて「やり方が悪い」と思っていた。が、ポットは水筒型だ。大型のコップに注ぐようにできていて、口径が小さいとダメなのである。
 過去5年間、同じやり方でずっとお客様を困らせ続けてしまった。「やってみないと分からない」という自分が大切にしていたはずの人生観が錆びついてしまった。
(2016.11.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

幸せな人

2016-11-28 01:53:58 | 岩国エッセイサロンより
2016年11月26日 (土)
岩国市  会 員   稲本 康代

 朝7時すぎに電話が鳴った。「おはよう。今日は77歳の誕生日だね」「ありがとう。今年は皆さん、喜寿ですね」。主人の同級生の親友からである。
 「還暦の時は皆でハワイに行ったね」「総勢10人で楽しかった! ハナウマで泳いだりしました」。思い出話をひとしきりし彼は「仏さんに線香を立てて拝んでおいてね」と言う。「了解! 毎年すみませんね」
 主人と彼は1日違いの誕生日である。亡くなって、もう15年もたつのに彼は毎年、電話を入れてくれる。遺影に「あなたは幸せな人だね」と語りかけると、うれしそうに笑ったようだ。
  (2016.11.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

検便とがん

2016-11-23 23:29:05 | 岩国エッセイサロンより


2016年11月23日 (水)
     岩国市   会 員   片山清勝

 高齢者の仲間入りをした頃、家庭医から検便を勧められた。それから年1回、受けるようになった。数年が過ぎた。検便の判定に基づいて諸検査を受けた。大腸がんで手術が必要、と診断された。
 紹介先の主治医から手術について一連の説明を聞くと、よく理解できた。「くよくよせず、主治医に任せよう」と決めたら、気持ちは楽になり、手術への恐怖も薄らいだ。
 初めての入院手術だが、がんは早期でもあり、術前後、深刻な心配はしなかった。しかし、高校時代の級友数人ががんで亡くなっており、術後の定期検診の結果を聞くまでは一抹の不安はあった。その席に妻はいつも同席していた。 
 どの検査結果でも異常はなかった。
 手術から今年5回目の秋になった。がん治療の結果は5年の生存率で示されることは主治医から説明を受けている。その最終検査もスムーズに終わった。
 呼ばれて診察室に入る。コンピューター断層撮影(CT)画像がモニターに映り、主治医が見つめているのはいつもの光景。「転移などもなく、がんは治りました。検査は終了です」と最後の検査だったと告げられた。妻と二人、主治医に頭を下げた。
 検査は内視鏡、血液、CTなど経過月数によって組み合わせが変わる。内視鏡検査前、腸内を空にするため腸管洗浄剤を飲む。数回飲んだが、あの難儀は筆舌に尽くしがたい。今はおかげさまで思い出になった。

    (2016.11.23 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

 妹

2016-11-21 14:45:09 | 岩国エッセイサロンより
2016年11月19日 (土)
  
   岩国市   林 治子   会員

 玄関の戸が勢いよく開く。足音が響く。「姉ちゃん、元気していたかな」。大きな声の主は、わが家の「訪問介護士さん」。実は一番下の妹。月2回来てくれる。結婚するまで学校の先生をしていただけあって、すこぶる元気だ。
  「なかなか、きれいにしてるじゃん」 
 辺りを見渡して、ちょつと褒める。私の気持ちをぐーんと引き上げる。
  「今日は何したらいいん」
 私はだんだん老化が進んでいる。電球の取り換えや台所の換気扇の掃除など高い所の物を扱うのが難しい。できるだけ自分でするように工夫も努力もしてきたが、時間がかかってどうにもならなくなった。それで、妹にお願いするようになっている。
 楽な方法を知ると、もう駄目。妹へのお願いばかりがどんどん増える。用事をまとめてお願いして、楽になった代わりに、自ら考えて行動しなくなった。頭の老化は進むばかりだろう。
 しかし、料理は自分で作る。お昼を一緒に食べる時、妹に 「おいしいね」を連発されると、悪い気はしない。高じて、物によっては前日から時間をかけて作りもする。
  「姉ちゃんにしんどい思いをさせるのなら、ここに来る意味がない」 
 かわいいことも言う妹は、昼前に来て、4時には慌ただしく帰っていく。

     (2016.11.19 中国新聞「こだま」掲載)

2016-11-20 15:36:36 | はがき随筆
 終戦の翌年に私は誕生した。食糧難の中、両親は弱体の私を手厚く育てた。復興へ経済優先の槌音を聞きながら、つかの間の上り坂があり、長い下り坂があった。凸凹道もあった。その上、風雨もあった。一昔前、弟・親との永久の別離もあった。半面、家庭を持ち、家族が増え、娘が嫁ぐ祝賀があり、親戚が広がる喜びもあった。おかげで、今年も春夏秋冬を過ごせている。振り返ると、何の変哲もない道だけど、過ぎた道程には足跡が残っている。まだ当分、明日を迎えられそうだから、たまには立ち止まり、楽しみながら七十路を妻と歩いて行く。
  出水市 宮路量温 2016/11/20 毎日新聞鹿児島版掲載

シン・ゴジラ

2016-11-19 14:50:44 | はがき随筆
 話題の映画「シン・ゴジラ」を見ました。主役は若手の政治家や無名の官僚たちです。首相官邸の中も公開され、早口で専門用語を使うセリフは聞き取れず、字幕があればと思いました。巨大生物との戦いは自衛隊と米軍でしたが、うまくいかずに欧米諸国に応援を頼みます。最後は民間企業の持つ設備と技術を利用してなんとか収めます。
 怪獣は狂言師の野村満斎氏の動きをまねたり、折り紙で怪獣の分子構造を立体的に作るなど映画には日本独自の文化を取り入れ、工夫がされていました。
「この国はまだまだやれる」と主人公の言葉に安堵しました。
鹿児島市 田中健一郎 2016/11/19 毎日新聞鹿児島版掲載

縁側の祖母

2016-11-18 23:48:54 | はがき随筆
 幼い頃、ひなびた縁側で祖母が背をかがめて日なたぼっこをしていた。こぢんまりとした顔や体つきは父の母親に、しかと映った。針仕事に精を込めている。のどかな時を経る日もあった。祖母の傍らに寄るとうれしかった。老婆のしわくちゃの顔、手足は不思議にも大黒さまのごとく神々しく映った。白髪を解き竹ぐしで梳いてあげた。肩をもむと肉の薄い骨がごつごつと手触りが悪かった。こっくりと船をこぎだした。1世紀も世の橋を渡り、歴史を刻んだ。祖母に感謝の念でいっぱい。祖母の細長い目はうるんでいた。私の目にも涙が光った。
  姶良市 堀美代子 2016/11/18 毎日新聞鹿児島版掲載

秋桜

2016-11-18 23:06:38 | はがき随筆
 「この際、辞めて、好きなことでも自由にしたらどうですか」。皆その方に提案した。余命半年、不治の病と宣告されたのに退職する様子などみじんもない。「私は一日でも長く、みんなと一緒に働きたいの。これまでと何も変わらずに」。そう行って「さあ、不良品を作らないように」とニッコリ作業に戻るのだった。とても丁寧な仕事ぶりだった。痛みもあったはずなのに、ゆがむ顔など見たことがない。私の記憶の中には、揺れる秋桜のような表情しかない。笑顔こそ強者の証しなのだ、と無言で示してくれた彼女を、二児は立派に見送っていた。
  出水市 山下秀雄 2016/11/17 毎日新聞鹿児島版掲載

西郷どん

2016-11-18 23:00:23 | はがき随筆
 再来年の大河ドラマは「西郷隆盛」に決まった。日本の歴史でも大きな影響を与えたのが西郷どん。今でも心の広いかごっまの偉人として親しまれている。ふるさと泊野(紫尾のふもと)にも西郷どんの話しが語り継がれている。「狩りに訪れたドタバタ民話や、娘の頃に茶いっぺとつけもんをさし上げたら西郷どんの手がふとくて優しかった」。この小さな集落の貴重な西郷どんの話。「泊野も登場すれば村おこしになるがなあ~思いは膨らむ!」。西郷どん、もう一度あの日の「泊野」に戻ってきやんせと、少年だった老人が一人考えているところである。
  さつま町 小向井一成 2016/11/16 毎日新聞鹿児島版掲載

2歳の孫の言葉 多彩な表現驚き

2016-11-18 22:49:36 | 岩国エッセイサロンより
山陽小野田市  会 員   河村 仁美

娘が1か月間入院しているため、2歳の孫娘を預かることが多くなった。孫の話す言葉に擬音語や擬態語がたくさん出てくるので、驚かされている。
 娘の家で、孫が「あわあわしなくちゃ」と言うので、何のことだろうと思って見ていると、ハンドソープのポンプを押した。すると、泡のせっけんが出てきたので納得した。先日も、出かけた時に「おくつパッチンしてない」と、履いていた靴の布製接着テープをとめていた。
 人形に「お熱ピッピしましょ」とおもちゃの体温計をさし、「ピピピ、お熱はありませんね」と言って遊んでいるのには、笑ってしまった。
 こんなにたくさんの音を使うのに、不思議なこともある。絵本に描かれた犬を見て、私が「ワンワンだね」と言うと、孫は「ワンワンじゃなくて犬だよ」。孫育ては始まったばかり。難しいものだ。
  (2016.11.12 読売新聞「私の日記から」掲載)

トラクター

2016-11-18 22:47:56 | はがき随筆
 祖先から受け継いだ田畑80㌃を兼業農家として続けて50年余り。耕す物は耕運機での歩行から乗用トラクターになった。
 いよいよ寿命が来て買い替えなくてはならない。「使う人も先が短い。手ごろな中古でよい。金もないのだから」「いやいや中古はまた修理しないといけない」と家族討論。息子も当分帰って来ない農地を守り、活用せにゃならぬからと新車に踏み切った。息子や孫から言われる前に「じいちゃんはマコテ高カオモチャを買ウタトヨー」と。まだまだ元気でウマイ米、ヤサイ作りにキバランナラ。
  湧水町 本村守 2016/11/15 毎日新聞鹿児島版掲載

ブログ製本 自分 史に

2016-11-16 22:02:47 | 岩国エッセイサロンより


2016年11月12日 (土)
   岩国市   会 員   片山清勝

 日記は小学校の夏休みに宿題として書いたが、それ以降は残したものはなかった。そんな私が、公開日記といわれるブログを始めて、1年ごとに印刷して手作りで製本している。それがこの秋に10冊になった。
 B6判、数百㌻の小さな一冊。わが家のことはもちろん、世の中の出来事、四季の移ろい、感動したこと、災害や事件など、その日にあったことや思ったことを飾らずに書いてきた。
 製本したものを読み返してみると、子どもの頃からブログ開始までの仕事や交友の記録が、そこかしこに残っている。子どもの頃のエピソード、社会へ出てから学んだこと、失敗や成功、出会いなどだ。
 単に自作の薄っぺらな手作り本と思っていたが、小さな自分史になっている。意識したわけではないのに、続けているうちにそうなっていた。
 これからも、日々感じたままを自然体で書き続けたい。最近は、その日の題材にふさわしい終わりの1行をどうまとめるか、苦心している。  

     (2016.11.12 中国新聞「広場」掲載)

新幹線

2016-11-13 17:53:38 | はがき随筆
 新幹線開業50周年だそうである。ところで新幹線と聞くと私には苦い思い出がある。早稲田2年のとき、自堕落な日々の生活に嫌気がさしてさっさと荷物をまとめ帰郷してしまった。真夜中に自宅へ着くも親は「勘当だ、出て行け!」とつれない。さあ困ったどうしよう。レンタカーは友に頼んで東京まで乗って帰ってもらい、私は泣く泣く天竜川の河川敷へ……。とりあえず新幹線の鉄橋の下で一晩を過ごした。頭を冷やして反省したかって? そんなことはありません。これがその後の私の破天荒な人生の幕開けとなったのです。
  霧島市 久野茂樹 2016/11/13 毎日新聞鹿児島版掲載

三佛寺投入堂

2016-11-13 17:35:21 | はがき随筆
 テレビの旅番組で見て、何時の日か行ってみたかった。鳥取県三朝町にある三佛寺投入堂。
 役行者に心酔している友人に役行者が開祖の国宝がある寺があると話したら、ぜひ行きたいとなって、とんとん拍子に旅の計画がたった。
 時期でもあり「カニは外せないね」。投入堂に行くには険しい山道を2時間ほど上がると聞いて「私らおばさんは無理だわ」と遥拝するだけに。
 それにしても鳥取は遠い。新幹線と高速バスで片道6時間。
 三朝のラドン温泉にのんびりつかって、カニをたらふく食べる旅に行ってきます。
  出水市 清水昌子 2016/11/12 毎日新聞鹿児島版掲載

隔・隔世遺伝

2016-11-13 17:27:35 | はがき随筆
 母は6人兄姉の末っ子。他の兄姉とは違いスポーツにたけていて、数々の大会で成績を出していたらしい。女学校卒業後は当然大学に行かせてくれると思ったのだが、体育大学と聞いて「オナゴハ、ソゲントコハイッグレイラン」と一蹴され断念。
 運動の不得手の父と結婚。輝かしいメダルは、帯締めや髪飾りに変わり、懐中時計をいつも持っていた父は、今でいうストラップ風にジャランとさげていた。今年、隔・隔世遺伝か、小学校に入学した孫が紅白のリレー選手になり花々しいデビューとなった。嫁が、私、速かったです……と。血筋に変わった。
  阿久根市 的場豊子 2016/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載