はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

文化の殿堂

2006-09-29 15:21:43 | はがき随筆
 九州国立博物館へ行く。鹿児島からはやはり遠い。しかし、その偉容を目の当たりにすると、すでに距離のことは忘れていた。地下を通る長い長いエスカレーターから地上へ出るまで、建物を見ることはできない。稜線を思わせる屋根、壁面のガラスに写る空は湖水と見まがう量感で、背後の山を借景に辺りに溶け込む。
 木をふんだんに使った館内に入る。ライトアップされた展示物を横目に流れを流れる。思った以上に歩いているのだろう。椅子にたどり着き、背を伸ばし見上げる天井の木目が美しい。好奇心を満たすに十分な旅である。
   志布志市 若宮庸成(66) 2006/9/29 掲載

おいしい胡瓜

2006-09-28 10:33:53 | はがき随筆
 朝遅く起きたら、郵便受けに胡瓜が1本突っ込んであった。中に「今朝ちぎりました」とメモが入っていた。隣の吉見さんからだ。さっそく、塩で揉んで食卓へ。おいしかった。その気持ちがおいしかった。吉見さんの家には畑はないはずだが? 聞いてみると庭の隅に植えたのが15本実を結んだそうだ。余ったので新しい内にと私の家の郵便受けに突っ込んだそうだ。そのちょっとした気持ちが何となく嬉しい。翌日、家の前でばったり会い、「なーんだ。そうだったの」の2人で軽く笑った。その日の夏の暑さは胡瓜で吹っ飛んでいった。
   鹿児島市 高野幸祐(73) 2006/9/28 掲載

はがき随筆8月度入選

2006-09-27 10:10:57 | 受賞作品
 はがき随筆の8月度の入選作品が決まりました。

△ 志布志市有明町、若宮庸成さん(66)の「日々是好日」(29日)

△ 南さつま市加世田益山、川久保隼人さん(71)の「哀悼」(16日)
    
△ 同市加世田村原、寺園マツエさん(84)の「再び一枚の写真」(6日)
の3点です。

 若宮さんの作品は、題名から考えて明るく楽しい日々を書いたものと思ったのですが、違っていました。若宮さんは、愛妻を亡くされて2年余りだそうですが、妻を亡くした夫の余命の平均は5年という調査があるから、残りの2年余りでなき妻と同じように愛せる人を見つけて結婚し、「日々是好日」と明るく生きよう、と言います。そんな理屈があるかなあとも思いますが、ダイナミックな元気あふれる文体で書いてあるので、説得力がでましたね。文章、文体の持つ力というものが大切なのですよ。
 川畑千歳さんの「ひからびない」もいい内容ですが、穏やかな表現のため主張が弱くなりました。残念。文体と言えば、上村泉さんの「リバウンド」で、宮園続さんが「赤トンボ」で、表現について考えたことを書きましたが、いい勉強になっていますね。
 さて、8月は夏休みで時間に余裕のある人が多いからか、思い出を書いた文章が多く出されました。
 敗戦当時は小学生だった川久保さんの特攻機への強い思いを書いた「哀悼」、一人の少年の直立不動の姿勢に現れた原爆の悲惨さを書いた寺園さんの「再び一枚の写真」、物のない当時の少女の娯楽は猫を飼うことであったという口町円子さんの「猫のしっぽ」、少女である自分たちだけて炊飯することが当時の楽しい遊びだったという吉利万里子さんの「盆釜」などなど、思い出もこれだけ並ぶと戦後論や時代の論説以上の存在になりますよね。
 さて、随筆を愛しておられた志風忠義さんと文集の表紙絵を描かれた秋峯俊郎さんの初盆を思う小村忍さんの「コスモスと桔梗」には、しみじみとしましたよ。文章を書くことは、何という素晴らしいことか感じ入りました。小村さん、ありがとうございました。
   (日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授・吉井和子)

係から
入選作品のうち1編は30日午前8:40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。

◇投稿規定◇

だれでも投稿できるミニ随筆です。日常生活の印象的な出来事を日記がわりに、気軽に書いて下さい。作品は文章部分が250字前後(17字×15行)。他に7字以内の題。住所(番地まで)、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒892-0817、鹿児島市小川町3-3、毎日新聞鹿児島支局「はがき随筆」係へ。はがき、封書など書式は問いません。新人の投稿を歓迎します。

うれしい

2006-09-27 09:51:29 | はがき随筆
 神奈川県に住む妹家族の所へ母と行った。飛行機に乗るのも久しぶりだ。こんな大きな物体が、たくさんの人を乗せて空を飛ぶなんて、不思議でたまらない。真っ青な空に真っ白い雲が、ぷかぷかと浮かんでいる。時折、太陽の光を受けてきらきらと輝く。
 羽田空港に着いた。なんとまあ広い広い空港で、迷子にでもなりそうだ。きょろきょろあたりを見回す。人人人──。「いらっしゃい」。迎えに来てくれた妹夫妻のさわやかな笑顔を見て、その変わらぬ優しさや温かさに、、うれしさで胸がいっぱいになった。ありがとう。うれしいな。
   出水市 山岡淳子(48) 2006/9/27 掲載

脳梗塞

2006-09-26 15:47:40 | はがき随筆
 私は病院のベッドに寝かされていた。何本かの管から点滴の液が、ぽとりぽとりと、血管に流れるのを見つめている。記憶が失せ、多くのことを思い出せない。そうだ、私は教職退職後勤めていた某所に勤務中、突然右半身が麻痺して入院したのだ。左脳の血管が詰まり、脳に血液が流れにくいからとのことだった。病名は「脳梗塞」。いろいろなことが、やっと断片的に浮かんで来た。あれから3年数ヶ月が過ぎた。脳のはたらきがほぼ元に戻り、車椅子での生活から、なんとか歩けるようになった。お世話になった多くの方々に深く感謝したい。
   南さつま市 川久保隼人(72) 2006/9/26 掲載

安眠熟睡

2006-09-25 15:40:41 | はがき随筆
 ひと事終わって、また、ひと事。今年の計画に挑戦。ペンを持つ手が滞り、果ては凝りから頭痛が起こった。もう血管が細くなって一流ごとにどくん、どくんと疼痛。これは大変とあれこれ──。一夜明けてマッサージするとケロリとばかり苦痛はとれた。筋肉が硬直して血管を圧迫して血流を狭くしていたのだろう。午後、洗濯もできたし食事もできて、夜は同窓会の連絡もできた。挽回、挽回。これからこんなことも起こる! その夜11時から6時半まで、まるで昨夜の苦痛の分まで大熟睡してしまった。爽快。なんてこった。私にもこんな眠りをありがとう。
   鹿児島市 東郷久子(72) 2006/9/25 掲載

2006-09-24 18:28:26 | はがき随筆
 今年も台風シーズン到来。
 子供のころ、台風はそれなりに怖かった。それでも、1つだけ楽しみがあった。台風一過、木々の木の葉が道を塞いでいる中を足取りも軽く祖母宅に出かける。予想通り畑はめちゃくちゃ。その中にあの長十郎梨が落ちているのである。落ちてしまったものは仕方がないので、いくらかもらえると子供心に思っていたらしい。
 甘いものが少ないころとて、長十郎梨は私を幸福の絶頂に誘ってくれるものだった。祖母に可愛がられた記憶はなく、それなりに嫁姑の微妙な関係を察知はしていたのだが。
   霧島市 口町円子(66) 2006/9/24 掲載

チケット!

2006-09-23 22:49:51 | はがき随筆
 九州文化塾に行く日は、鹿児島中央駅発9時49分の列車に乗る。今回のその日は、人気講演(と前評判の高い芝居)のチケット発売日だった。
 午前10時は川内あたり。時間前から携帯電話を開いて準備し、トンネルを出たらすぐアクセス。込み合っているという表示の合間につながり、希望日の座席が案内された。最後の「確認」ボタンを押した途端、列車はトンネルに入った。出る度に押し直したが、結局時間切れで予約は不成立となった。
 新八代から再挑戦したものの、既に全日程完売。私のあの、5列目の座席は一体誰の手に……。
   鹿児島市 本山るみ子(53) 2006/9/23 掲載

高校見つけた!

2006-09-22 22:27:46 | はがき随筆
 高校を卒業して50年。退職したら必ず行ってみたいと言ってた鳴子へ。通学していた駅をまず探すことに。半世紀の間にすっかり街も道路も、思い出せないほど変わっている。
 弟の運転する車で右に左にと、当時の目標物を探すものの何も見あたらない。どの位走ったろうか。ついに駅を見つけ、この駅を頼りに再び右に左に。やったァー。とうとうありました。校内を案内してもらえ、満足した様子。校庭に立ち、どんなにか懐かしかった事でしょう。カメラに収めている主人。念願叶ってよかったね。そして弟にありがとう。
   鹿屋市 三隅可那女(62) 2006/9/22 掲載

暑いから夏

2006-09-21 17:44:11 | はがき随筆
 秋、朝方はタオルケットを胸に引き上げる。加齢とともに気力も失せ、全身にアセモができ、ピリピリ痛痒く不快な日々だった。10年程前、帯状疱疹であまりの激痛に、天井から幽体浮揚という不思議な体験をした。今回もそれではと心配したが、アセモで安心した。ちょっぴり、あちらを覗いた感じです。まだまだ残りの夏、猫のシュピも皮膚病で首の回りに血がにじんでいる。塗り薬も効きめなく、終日、仏壇の前にうずくまっている。早く涼しくなれ。それにしても仏壇の前とはねえ。お前の先祖さまでもいるのかい。
   指宿市 宮田律子(72)2006/9/21 掲載

はずれー

2006-09-20 10:31:37 | はがき随筆
 「うーん、はずれた」
 空を何度も見上げ、雲の流れ、風の吹き具合を見て、洗濯機が回る間、頭が痛くなるくらい考えての決断。「よしっ、コインランドリーだ」
 コインランドリーの乾燥機に、洗濯物を放り込み、100円玉4枚入れて外に出た。すると「えっ、うそでしょう」。
 空を見ると、青空が広がり太陽まで私を笑うかのように顔を出してきた。我が家の洗濯物が入った乾燥機1台だけが、妙に恥ずかしそうに回る音を聞きながら「まっ、こういう事もあるさ」と、気を取り直す。
   志布志市 西田光子(48) 2006/9/20 掲載

心の駅

2006-09-19 17:45:47 | はがき随筆
 一枚の紹介状を懐に、西鹿児島駅発の夜行列車「あかつき号」で、大阪に板前修業に旅立ったのは40年前のこと。見送る人もなく、不安と期待を胸に、眠れる夜を列車はひたすら走る。
 ガタンゴトン、ガタン、ゴトン、ピー! いつの日か一人前になり、故郷に帰るんだと桜島に誓った私の青春時代。
 途中、相席になった見知らぬ方々に励ましや勇気をいただいた。あの人たちは今どこに……。辛かったけどいい時代だった。たとえ名前が変わろうとも私には忘れることのない心の駅。それは西鹿児島駅。人生の出発駅。
   指宿市 有村好一(57) 2006/9/19 掲載

色づかない葉

2006-09-18 17:29:51 | かごんま便り
 鹿児島に赴任して1年になる。住み始めてすぐ秋から冬を体験し、そこで不思議な光景に気づいた。以前から市街地に住んでいる人は毎年見慣れているであろうが、県外から来た私としては珍しく、興味をひかれる自然現象だった。
 それは街路樹などが、完全に色づかないまま散っていることである。イチョウの葉は、ほんの少し黄色くなるか、あるいは緑のまま地面に落ちていた。秋から冬へ。葉に色の変化を見せながら、名残惜しそうに散る葉に風情を感じるものだが……。
 紅葉に心情を重ねた歌で、私が印象深く思うのが藤原為家(鎌倉時代中期)の「くちなしの一しお染のうす紅葉いはでの山はさぞしぐるらん」だ。
 「くちなし」は、「口に出さない」、「言わで」は「いわずして」にかけてある。クチナシの実から取った染料の一入(ひとしお)染めの淡い色で山は染まった。忍ぶ恋心とまがう時雨のせいで。
 移りゆく季節を少しずつ色づく葉でとらえ、じっと我慢した恋心を詠み込んでいる。為家も鹿児島にいたのなら、こんな歌はとてもつくれないだろう。
 鹿児島の葉は、色づくよりも前に潔くパッと散ってしまう。人が心情を重ね合わせる時間がない。葉っぱからして、どうせ散るのだから「ぎをいうな(理屈、文句を言うな)」だ。錦江町の神川大滝公園を訪ねた時も地元の人から「この辺のカエデは、色づかないうちに散ってしまう」と聞いた。
 なぜ、紅葉しないまま散るのだろうか。フラワーパークかごしま(指宿市)に尋ねたら「昼と夜の温度差、寒暖の差が激しいと綺麗に色づく」のだそうだ。市街地は温度が高いのでそんなに寒くはならない。神川大滝公園は夏でも涼しいから寒暖の差は激しくない。これで納得した。
 ちなみに綺麗に色づく場所の1つは「霧島です」と教えてくれた。ならば、少し早いかなと思いつつ、霧島へ車を走らせた。霧島神宮周辺のカエデは、まだ緑色だった。日光があたって、きれいな葉脈が観察できた。
 ここで目立つカエデを見つけ、自分なりの「指示植物」にした。どんな色になるのか通う楽しみにもなる。自然をめでながら、ゆっくりとくつろぐ時間。今の時代、多くの人が忘れている最もぜいたくな過ごし方と言えると思う。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 2006/9/18 掲載

星物語

2006-09-18 07:46:25 | はがき随筆
 生ぬるい空気にまとわりつかれて目が覚めた。
 エアコンを入れ、部屋が冷えるまでと、庭に出る。
 天然の冷房に生き返る。冬のめくるめき星空には及ばないけれど、シンプルな夏の夜空もまたいい。
 光の粒がびっしり集まってまたたいている。
 あれは母さんの髪飾り。赤、青、オレンジの輝きを編み込んだ、あれは生まれてくるはずだった坊やの揺りかご。なくした指輪はどこかしら?
 天を仰いで小一時間、部屋に戻るのが惜しくなった。
   鹿屋市 伊地知咲子(69) 2006/9/18 掲載

ドアがススッと

2006-09-17 23:55:16 | はがき随筆
 東京の臨海線のこの駅の地下は、昼下がりのせいか、ひっそりとしていた。
私はトイレに向かった。扉が閉まっていたが、傍らの開ボタンを押したら開いて中の明かりがついた。
 用が終わり外に出ようとしたその瞬間、扉がススッと音もなく閉まり、明かりも全て消えた。何が起きたのか。漆黒の闇である。恐怖に襲われた。どうして脱出しようか。スイッチがあるはずだ。辺り構わず手を振り回した。と、その時、明かりがパッとつき扉がスーッと動いて、人が入って来た。助かった。長い長い数分間だった。
 なぜ閉まったのか、わからない。
   姶良町 東郷義弘(65) 2006/7/17 掲載