はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「勉強遅くない」亡き父のおかげ

2017-06-29 22:02:43 | 岩国エッセイサロンより
2017年6月27日 (火)
岩国市  会 員   樽本 久美

父が4月29日に85歳で亡くなった。私は父に怒られた記憶がなく、本当に優しい人だったという思いしかない。我が家は浄土真宗なので、父の法名が「釋浄楽」であった。今回、浄土真宗の法名に釋がつくことを知ったり、お寺からいただいた「作法の本」で通夜から葬儀までの作法を学んだりした。
 父が亡くなったことで、お寺とのご縁をいただくようにもなった。この年にして何も知らない自分だったが、今から勉強しても遅くはないはず。
これからは疑問があれば自分で調べたり、知っている人に聞いたりしようと決めた。そう誓えるようになったのも全て父のおかげだと思う。
   (2017.06.27 読売新聞「気流」掲載)

盛大な喜寿の会企画

2017-06-29 22:01:55 | 岩国エッセイサロンより
2017年6月26日 (月)
   岩国市   会 員   片山清勝

 40歳を過ぎた頃から、毎年続く高3の時の級友との飲み会。昨年「来年は喜寿を盛大にやろう」という乾杯でお開きにした。
 仰せつかった幹事の役目として、まず電話で出欠確認する。「おお待つとった」と気持ち良い返事につい長話になる。関東、関西からの参加もあり盛会になりそうだ。
 退職して時が過ぎ、なじみの店も少なくなった。最近は、後輩がおかみをしている店で開く。先輩風は吹かしてはいないが、心遣いがうれしい。
 毎回、飲み放題だが、酒量も減り料理の残りが増えてきたのは年相応かと感じる。しかし、話し方は青春時代のままだ。ただ、話の内容は経験した病気や健康への取り組み方などが増えた。
 皆に楽しんでもらえるための趣向を練っている。喜寿は紫色で祝うという。宴席の座布団の色は紫で頼もう。
 喜寿まで元気にこられたことに感謝し、さらに級友との絆を強めよう、などと思いながら名簿を作っている。 

     (2017.06.26 中国新聞「広場」掲載)

札幌の思い出咲く

2017-06-26 09:33:46 | はがき随筆






 56歳から60歳まで北海道支社に勤務した。カミさんとともに札幌のマンション生活を体験、思いもかけぬ札幌生活だった。中小屋温泉に行った帰り、駅に向かう都庁の雑貨店の店先のアマリリスの球根を買い求めた。
 ここ種子島の西之表市に移住して21年目、その球根が今年も鮮やかに咲いた。見るもの聞くものすべてが目新しく無我夢中で過ごした4年半だった。
 「今年も咲いてくれたわね」
 よちよち歩きの孫娘をオンブして、大通り公園を歩き回ったこともあった。その孫娘も20歳を過ぎて……、そんなシーンも鮮やかによみがえった。
  西之表市 武田静瞭 2017/6/26 毎日新聞鹿児島版掲載

興風時報

2017-06-25 17:45:48 | 岩国エッセイサロンより
2017年6月25日 (日)
   岩国市   会 員   片山 清勝

 岩国を知る上で貴重な新聞「興風時報」がちょうど100年前の1917 (大正6)年5月に発刊された。戦時下には合併、休刊もあったが、56年9月まで月1回、延べ2千号以上が発行された。
 その閲覧が図書館でできると知り、訪ねてみた。「岩国を知る貴重な史料です」と係りの人は言って書架まで案内してくれた。
 父が「興風時報」の読者だったという子供のころの記憶が残っていた。また、数年前に仲間とご当地検定を立ち上げた時、検定資料を作成した。そうした作業の中で、興風時報の記事から引用した資料に出合ったこともあり、本物を読んでみたいと思っていた。
 創刊号は14㌻。発行所は岩国市でなく、山口県玖珂郡岩国町とされていた。1部3銭。広告は1行15銭、発行の年号に紀元と西暦を併記するなど時代を知る上で参考になる。記事内容は現在の新聞ローカル面と大きな違いはないが、町内の出生状況や行事が細かく載っていてほほ笑ましい。
 豊富な記事内容を目の当たりにして 「貴重な史料」という説明に納得した。高度に通信手段が発展した現代とは格段の差がある時代の取材、大変だったろうとも想像した。
 記事に句読点はあるが、改行はない。べた書きで少し読みづらい。初めて見る字、読めない字も多い。
 まだ1冊目のファイル2年半分を見ただけだ。全18冊を見終えるには相当な時間と努力が必要だが、郷土を知るため続けたい。

     (2017.06.25 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

朝のとっておき

2017-06-24 12:11:24 | はがき随筆
 波の音を聞きながら歩く。6㌔のランニングを済ませ、犬の散歩である。田舎暮らしを始めて20年近い歳月は、ぼくの夢の生活である。単調だが人生を締めくくるにはいいと思う。その日その日を好きなように生きて、それを繰り返す。6時を過ぎて朝日はすでに高い。
 志布志湾の潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで家に戻る。常盤木は落葉の季節。庭を掃き散水をする。孵化したメダカが日を追って増え成長するのを確認。さらに、色づかないトマトも目が離せない。目に入るものすべてがぼくの好奇心を誘い、変化の発見が楽しみなのである。
志布志市 若宮庸成 2107/6/24 毎日新聞鹿児島版掲載

フリーズ

2017-06-23 06:43:38 | はがき随筆
 
 生後3か月の孫が初めて家に来た。初宮参りのときに会って以来2ヶ月ぶりの対面だ。その大きくなりように驚いた。丸々として抱けばずっしりとくる。まだ人見知りもせずうれしい。
 ぐずったので外に出てあやしていると、知り合いの男性が「抱かせて」と寄ってきた。「抱いてやってください」と孫を渡すと、孫はびくっとして固まり、おじさんを凝視している。あやしても反応しないので早々に孫は返された。
 「まだ何も分からないと思っているけど、ジジとババは分かってるのね。血が呼ぶのよね」。早速祖父母バカぶりを発揮。
  出水市 清水昌子  2017/6/23 毎日新聞鹿児島版掲載

2017-06-22 18:44:34 | はがき随筆
 今年は蛍を見に行った。デパートの屋上で飼われたものを見て以来の、自然の蛍だ。
 桜が遅かったように、今年の蛍は奥手らしい。時分になって姿を現したのは数匹だった。それでも、闇から光が浮かび上がったときは、思わず声が出た。小学生の息子は光の粒を追いかけ、あやうく溝に足をとられるところだった。
 沖行く夜船のように、ホタルは明滅しながら航海する。3秒光って、2秒消え、また3秒輝きを放つ。源氏蛍だったらしい。一旬にも満たないはかない命は、3代で絶えた将軍たちの甘露な夢にも似ている。
  鹿児島市 堀之内泉 2017/6/22 毎日新聞鹿児島版掲載


フェィジョア

2017-06-22 18:36:28 | はがき随筆


フェィジョアが咲いた。
 4枚の白い花びら、赤い針を束ねだ花芯。こんなに個性的な花だったとは。
 十数年前の秋のこと、先輩のNさん宅で卵形のみどり色の果実をごちそうになった。
 なんともまろやかな甘ずっぱさと、舌ざわりの繊細な感触が心地良い。フェィジョアのとりこになった。
 けれど、花にお目にかかることはなかったのである。父なる神が、体調をくずしてミサに行くのも難儀しているわたしを励ましてくださっている、そう思えてくる。心の奥で喜びがはじけた。
  鹿屋市 伊地知咲子 2017/6/21 毎日新聞鹿児島版掲載

連想は続く

2017-06-22 18:20:00 | はがき随筆
 カラーの花の淡彩スケッチをした。両手のひらで太陽の光を大切に受けとるように花芯を包んでいる。正式な呼称があるはずだと調べてみた。「サトイモ科オランダ海芋」とあった。
 海芋? 国土の多くが海面下にあるオランダ……。海の芋? 
 サトイモは水分が好きだよな。同類のタロイモは水の中で育つ水芋だ。11月のアムステルダムは毎日しぐれていたなあ。街路樹は落葉樹で冬の太陽を待ち望んでいた。ゴッホは明るい南仏のアルルへ移住して太陽を絵にした。緯度の高い国の植物や人間は太陽への思いが違うのだろうか? 連想は続く――。
 出水市 中島征士 2016/6/20 毎日新聞鹿児島版掲載

夜霧のブルース

2017-06-22 18:12:09 | はがき随筆
 桜が散り青梅がふくらんだ頃、田舎に住む兄が誕生日とあって鹿児島に出てきた。
 「何を食おうか」「テンプラがいいな」と2人の足は駅前の居酒屋に吸い込まれた。
 「テンプラに焼酎!」
 メニューも見ずにカウンターに座った、中折帽の毛色の変わったじじいたちに驚くおかみには目もくれず、したたか飲んで食って店を出ると、駅前の夜霧はもう赤く光っていた。
 「夢の四馬路か虹丘の街か」
 上海にでも行った気分か、肩組み合ってふらふら歩く80半ばのこの2人、まで当分天国には行けそうもない。
  鹿児島市 高野幸祐 2017/6/19 毎日新聞鹿児島版掲載

藤の木

2017-06-22 17:47:12 | はがき随筆


 わが家の庭の片隅に藤の木がある。毎年4月には薄紫の花をつけて、ひとときその芳香は幸せの境地に誘ってくれる。ところが、咲いた後の藤の木の勢いは強く、つるの伸びは魔法がかかっている。つるの先に触れる物に手当たり次第にからみつき、その繁茂ぶりには目を見張る。これが秋の落葉まで繰り返されて私の鎌による剪定?は続く。鎌にひっかかる枝を仇のようにばっさりと切る作業を、ストレス解消と心得て今朝も一仕事終えて気分はとてもいい。
 真夏の太陽を和らげる藤棚として歓迎されることもなく切られる藤、時に哀れを感じる。
  霧島市 口町円子 2017/6/18 毎日新聞鹿児島版掲載

災害にも負けず

2017-06-22 17:36:25 | はがき随筆

 
 今年は2年ぶりにビワを収穫した。昨年1月の降雪で垂水産露地物は全滅。9月に直撃した台風16号では土砂がビワ園に流入して来年もだめかと諦めたが、11月には花を咲かせた。根周りの土砂をスコップで除き、母と妻で花を摘んだ。災害復旧工事も申請した。明けて2月、若干の霜害はあったが、幼花に成長したので袋を掛けた。
 自然の底力と手作業のおかげで、5月中旬には無事に収穫を終えた。この間の父の表情は、絶望と諦めから安心と充実感に代わっていた。私にとっての5月は、やっぱりビワの季節である。
  垂水市 川畑千歳 2017/6/17 毎日新聞鹿児島版掲載

気丈な母

2017-06-22 17:27:55 | はがき随筆
 遠方に住む息子から時々ご機嫌伺いの電話がくる。子どもの声は点滴のように効き、弾んだ声で近況を交換する。久しぶりの電話に「食欲もなく風邪気味なんだ」といった。
 ふと93歳で逝った同居の義母を思い出した。膝や腰の痛みを抱え、風邪をひき寝込むことも度々あった。そんな折、我が子から電話がくると目尻を下げて「元気だよ」とさりげなく答えている。なぜありのままを話さないのだろうと不思議に思っていた。少々の事には弱音をはかない気丈な母ゆえに、心配をかけまいととする親心だったのだろう。分かる年に近づいてきた。
  薩摩川内市 田中由利子 2017/6/16 毎日新聞鹿児島版掲載

親父

2017-06-22 17:21:06 | はがき随筆
 「『あいつもね、いいとこあるから頼むね』って夢に出て来てお義父さん言ってたよ」。妻が私につぶやく。「そうかあ、親父がね」。本当に不器用な父だった。貧しさゆえに志願し、将校までなったのに敗戦。田舎に退いてよろず屋のあるじとして人生を閉じた。
 幼いころ、隣町へ丁稚奉公に出されたのに商売が下手で店は火の車。でも商売は下手だがうそはつかず、愚直な生き様がみんなに愛された。面と向かっては言わなかったが、私はそんな親父がずっと好きだった。「次の墓参りには吟醸提げてくよ」。心の中で父に誓った。
  霧島市 久野茂樹 2017/6/15 毎日新聞鹿児島版掲載

夢に向かって

2017-06-22 17:13:37 | はがき随筆
 高校入試の面接で将来の夢とその理由を聞かれた。孫は園児の頃に何となく消防士へのあこがれを持っていた。きっかけは、消火活動の訓練を見学したときだった。長いホースでの消火活動によほど興味を抱いたのか、目を輝かせていた。
 その頃から消防士への小さな夢が芽生えた。家でも訓練のまねごとをして無中で遊んでいた孫が、将来の夢として消防士を目指す。災害時の現場で役に立ちたいと、その殊勝な心がけが頼もしい。
 スポーツで鍛えた体力と根性で活躍する素晴らしい姿を見たいものだ。
  鹿児島市 竹之内美知子 2017/6/14 毎日新聞鹿児島版掲載