はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

年間賞

2013-07-31 07:19:12 | はがき随筆
 孫たち5人のにぎやかな声が飛び交う大型連休の最中の電話であった。鹿児島版に載った私の随筆が、2012年の年間賞に決まったことを知らせる毎日新聞社からの連絡だった。耳の奥深くでひとごとのように聞き、答えている自分がいた。
 受話器を置きしゃがみこんだ。今のは夢、いや確かに取材とか表彰式とか電話の言葉を思い返す。次第に全身の血が逆流するような興奮と喜びに震えた。
 しばらくして立ち上がり「年間賞だって」。こみあげる思いで、やっと家族に伝えた。数日後、「ばあちゃんが載ってる」と喜ぶ孫たちと新聞を囲んだ。
  出水市 塩田きぬ子 2013/7/31 毎日新聞鹿児島版掲載

奄美の「みき」

2013-07-31 07:05:53 | はがき随筆
 初めての鹿児島暮らしで、未知の食品に出合った。奄美特産の「みき」。米とサツマイモが主原料の発酵食品で、発酵が進むと、ヨーグルトのような酸味が出てくる。甘酒の苦手な私でも、酸味のおかげでおいしいと感じ、今ではお気に入りに。
 神戸出身の私は、全く見たことがなかった。流通の問題があるのか、出回っていない。
 夫も気に入って、違うメーカーのものを買ってきてくれた。微妙に味が違う。飲み比べも楽しい。
 鹿児島を離れたら、きっとこの味が恋しくなるだろう。奄美にも、いつか行ってみたい。
  鹿児島市 津島友子 2013/7/30 毎日新聞鹿児島版掲載

極楽橋

2013-07-31 06:59:20 | はがき随筆
 極楽橋という橋に、私はとても興味をそそられた。橋は溝辺町竹子という村の網掛川の上流に架けられていた。
 昔、村人は迫害された一向宗の坊さんを親身になってかくまってあげたという。坊さんの深い感謝を示す、極楽橋と橋に命名した伝説が、今なお残っている。私は胸が熱くなった。
 橋を通るたびに、私は家族や友人に「ここを渡れば極楽に行けるらしい」と冗談を言う。
 渡った皆は「これで極楽に行ける」と喜んでくれた。
 私は出任せを言ったが、この橋を渡った人はできたら極楽に行ってほしいと、ひそかに思う。
  出水市 小村忍 2013/7/29 毎日新聞鹿児島版掲載

1票、1勝、1発

2013-07-30 20:48:12 | ペン&ぺん

 「50.42%」。21日投開票された参院選の本県の投票率。過去最低の数字で、県内有権者の約半数が棄権した。新聞やテレビ、県選管も各自治体も投票率低下に歯止めをかけようと努めたが、棄権の理由は何だろうか。
 これは安倍政権への信任の表れか、いや「どこの政党、どの候補に入れても同じ」だからか。経済、年金、福祉、医療、農業問題など庶民の不満、疑問をぶつけられる唯一の機会は投票しかないと思っている。もったいない。たかが1票だが、それが集まって政権交代も実現できたのだから。
 炎天下、全チームが最後まで立派なプレーを見せてくれた全国高校野球鹿児島大会。楠南対鹿児島実は決勝戦にふさわしく手に汗握る大接戦。担当記者も「どの選手も気持のよいあいさつをしてくれた」と感心していた。鹿実は夏の甲子園行きを逃したが、すぐに来春の「センバツ」出場の選考資料となる秋の九州大会がやってくる。他校も含めて頑張ろう。
 私事だが、伯父が86歳で亡くなった。大戦末期、伯父は長崎でベニヤ板製の船に爆薬を積み、敵艦に突っ込む訓練を受けていた。終戦が長引けば戦死。まだ少年なのに、まさに海の特攻だった。
 父は旧満州(現中国東北部)で召集された。重機関銃の射手だったが、「1発の弾丸もなかった」と何度も聞かされた。シベリア抑留4年。過酷で悲惨なシベリア体験を持つ父に、私はずって頭が上がらなかった。今夏は父の十三回忌で、生きていれば88歳。伯父も父も終戦時は18歳と20歳。戦時の生き証人だった。
 伯父の特攻訓練も、父のシベリア抑留も「いつかゆっくり聞こう」と思っていたが、ついに話を聞けぬまま2人は逝った。子として、記者として悔みきれない。終戦記念日が近いからではない。やはり、戦争を体験した皆さんはぜひ子供たちに語り継ぐべきだ。
鹿児島支局長 三嶋祐一郎

ありがたや

2013-07-30 11:50:28 | アカショウビンのつぶやき

もうかれこれ20年以上も昔のこと。
夏になると恐れられる虫がいた。
その名は「アオバアリガタハネカクシ」。

当時、電電公社のオペレーターとして働いていた私。

電話交換室は24時間、明かりが消えることはなく、
煌々と辺りを照らすライトにひかれた虫たちが
窓辺の網戸にたかっていた。

そして毎年、夏になるとやけどのような
ひどい虫さされになる同僚が必ずいた。
最初は何にやられたのかさえ分からず、
虫さされの薬を塗ってもなかなか治らず苦労した。

そのうちに原因となる虫
「アオバアリガタハネカクシ」の情報が伝えられ、
刺すのではなく体液にかぶれるのだと分かり、
治療方法も分かって来た。
ごく小さい虫なので細かい網戸をくぐって入ってくる。
そして、ちっとも有り難くないの虫なのに
私たちの職場では「アリガタヤ」と呼ばれるようになった。

「おったおった」誰かが見つけると大騒ぎ…。

この虫は小さいけれど、オレンジ色と黒でよく目立つので
見つけ次第、ティッシュペパーで潰す。
六交代の職場で、6日に1回の当直があったが、
割と高い確率で目にする虫だった。

主に仮眠時間中にやられるので
気付くのは翌日、体液に触れたところはヒリヒリ痛い。
さらにやけどの跡のようになってなかなか治らない。

この虫が「ヤケドムシ」と呼ばれ、
最近また被害が発生していることを知った。
今朝のNHK「あさいち」でインタビューを受けたのは友人。

うーん、「ヤケドムシ」とは、なるほどなあ…と納得した。

皆さんくれぐれもご注意を!

ライチ

2013-07-30 11:15:45 | アカショウビンのつぶやき


中国では古代から高級食材として珍重され、
絶世の美女と呼ばれた楊貴妃も好んで食べたといわれているライチ。
ライチには葉酸やビタミンC、カリウムが多く含まれるため、
抵抗力を上げ、成人病予防から、がん予防、
さらに美白効果までうたわれている。

その「ライチ」が枝についたままの形で…。
南大隅町の友人が、わざわざ届けてくれたもの。
今まで冷凍物しか食べたことがないので、
もぎたての新鮮なレイチは、お世辞抜きで美味しかった。

「こいがね、木にべたべたなっちょったっど…いっど、みけこんな!」。

大正琴の指導者でお忙しいUさんだが、農業も大好きで、いろんなものを栽培しているUさん。
ラジオの取材をかねて、収穫の時期に押しかけようかな。

私の夢

2013-07-28 16:57:52 | はがき随筆
 日めくりカレンダーに「あなたの心がきれいだから何もかもきれいに見えるのですね」とある。心は決してきれいとは思わないが、私たち夫婦は、体はいたって健康。仕事も細々ながら楽しくやっている。子供も良い伴侶に恵まれ、何の心配もない。だから、何もかもがきれいに見え、優しくなれる感じだ。
 充実した毎日だが以前からしたかった事が少しずつ頭をもたげてくる。周りを見ると気力を失いかけている高齢者が多い。資格はないが、役に立ちたい。得意分野でそれぞれ活躍し、生き甲斐を見つけ、人生にもう一度花を咲かせてもらいたい。
  阿久根市 的場豊子 2013/7/28 毎日新聞鹿児島版掲載

月間賞に塩田さん(出水市)

2013-07-27 16:48:13 | 受賞作品
 はがき随筆6月度の入賞者は次の皆さんです。
 【月間賞】19日「民泊のお礼状」塩田きぬ子(62)=出水市下知識町
 【佳作】3日「ちまき」中鶴裕子(63)鹿屋市王子町
    ▽6日「被災地にて」清水昌子(60)出水市明神町


 民泊のお礼状 修学旅行の民泊を引き受け、その保護者からの礼状に、返事を書くかたちでの随筆です。まず、こういう形式の着想に感心しました。民泊で子供たちから自分が得たもの、それに、礼状を送った方の子供さんへの励ましなどが、暖かいトーンで書かれている気持の良い文章です。
 ちまき ちまき作りを圧力鍋で挑戦した制作過程が、細かに描写されています。あくまきの名で市販されていますが、年配の人にはやはりちまきのようです。この手間の掛かる保存食の作り方を、かつて姑から、覚えない方がよいと素っ気なく言われたのも、その煩雑さを考えての愛情だったのでしょう。
 被災地にて いわき市の現況の描写と感想です。海岸のサーファーに違和感をもったが、考えようによってはこれも復興のしるしかもしれないと、思い直したという内容です。この問題は複雑ですね。何をもって復旧復興というのかという問題を提起してくれています。
 本紙に、阿部首相は戦争を知らないお坊ちゃんで、戦争をゲーム感覚で考えているという、ノーベル賞受賞者のインタビュー記事がありました。戦争は、政治家には会議室で起こりますが、庶民には飢えと生死の実体験です。その体験談3編を紹介します。 
 年神貞子さんの「サツマイモ」は、空襲の恐怖の後は、飢えの恐怖で、山地を開墾してサツマイモなどを栽培した、子供心にも苦労したことの回想が内容です。田中健一郎さんの「母のおにぎり」は、終戦の翌年車中で乗り合わせた、やせ細った、いわゆる引き揚げ者の母子に、自分の母親がおにぎりを与えた時の、微妙な心理の回想です。あの困窮の中での人情はやはり美しい。松尾繁さんの「疎開児童だった」は、戦時中台湾で同窓生だった友人の来訪に、往時の子供たちの、飢えと病気という疎開先での別の戦場を思い出したという内容です。「あれから68年生きてきた」という結びは、あの頃を体験した人たちの実感でしょう。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

明日への願い

2013-07-27 16:42:04 | はがき随筆
 我が国土は、島国で四季があるゆえに繁栄をもたらしたとの一説をかみしめる。
 豊かな漁場、酷夏極冬の地でなく季節を通じ、水源が森や生き物の成長を育む。宗教対立や紛争もない。だが、資源に乏しい日本。
 報道によれば、国内で期待されるエネルギー鉱物資源が多く存在することを最新技術で発見し、採取にも成功。未来へ大きく踏み出した。しかし、期待ばかりではない。東日本大震災で自然の摂理を思い知る。
 この教訓を忘れず対策を講じ、これからも豊かな国であり続けたいと切に願う日々だ。
  鹿児島市 鵜家育男 2013/7/27 毎日新聞鹿児島版掲載

豆腐への思い

2013-07-27 16:16:49 | はがき随筆
 「えー、おばちゃんの豆腐が食べられなくなるの!」と高2の長男。豆腐は我が家では冷ややっこで、味噌汁で、揚げはカレーにと欠かせない食材だ。
 話は10余年前にさかのぼる。この地に家を建ててすぐ、原料にこだわる○さんの移動販売の豆腐にめぐり合うが、ある日突然、姿を見かけなくなった。
 しばらくして、聞き覚えのある「と~ふ~」の売り声と笑顔の青年に出会った。○さんは既に亡く、その息子さんだった。
 母子で作る豆腐は、以前と同じ味がした。しかし最近は最近は設備が老朽化し、営業を続けるか悩んだ末に廃業を決意。寂しい。
  垂水市 川畑千歳 2013/7/26 毎日新聞鹿児島版掲載

大腸がん検診

2013-07-27 16:07:51 | はがき随筆
 「要精密検査」。大腸がん検診の結果が届く。揺れる心を抑えて待合室へ。私と同じ状況の7人が2時間かけて下剤1.5㍑を飲む。不安と緊張が初対面同士の会話を妨げる。
 以前、胃カメラは経験したが肛門から挿入するカメラは一体どんなだろうか……。人の健康は、いずれは損なわれて、死に至るのだ。身体の衰えに一喜一憂するな。どんな厳しい現実を突きつけられようと、全て受け入れなくてはいけない、などとあれこれ思う。
 「久野さん!」「はいっ」。覚悟はできた。検査用ベッドに横たわる。試練開始。
  霧島市 久野茂樹 2013/7/25 毎日新聞鹿児島版掲載

「夢よかなえ」

2013-07-25 20:14:33 | 岩国エッセイサロンより

2013年7月25日 (木)

岩国市  会 員   片山 清勝

 七夕の短冊。肉太の力強い字で「僕はプロサッカーの選手になる」と言いきっている。岩をも通す志が伝わる。私の進路指導の時を思い出した。
 「早く働いて家の助けを」という担任のひと言で実業高校へ進学した。指導を恨んだこともあったが、子ども心にそんな気持ちを抱いたことも事実あったから、今は解消している。 
 「やさしい看護師」や「喜ばれる介護士」になりたいと具体的に書いた優しい文字。もしかしたら、この子らのお世話になるのかもしれない。そう思うと、夢が実るように、と短冊の向こうの顔にエールを送る。
   (2013.07.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載
 
画像は日々のことを徒然にブログより

警察署に猫居候

2013-07-24 22:14:48 | はがき随筆



 猫が警察署に居候しているという話をいとこが持ち込んできた。大けがをして弱っているところを警官が保護、手術や入院時につきっきりで看病、リリイという名前までつけて世話をしているという。それを聞いてから約1カ月過ぎて、やっと警察署に会いに行くことができた。姿が見えなかったが、女性の署員が「リリイ、リリイ」と呼んでくれた。カミさんも「リリイちゃん、お土産持って来たよ」と呼びかけたら出てきた。身体をさするとあおむけに寝て甘える。
 いかめしい警察署に居候する猫と戯れ、老夫婦はほのぼのとした気分になって帰ってきた。
  西之表市 武田静瞭 2013/7/24 毎日新聞鹿児島版掲載

写真は武田さん提供

「あれからずっと」

2013-07-23 21:51:54 | 岩国エッセイサロンより
2013年7月23日 (火)

 岩国市  会 員   山下 治子


 新聞に掲載されるなんて恐れ多いことと思っていたが、ある日のはがき随筆を読み「このくらいなら私にも書けるわ」と、ただそれだけで投稿した。載った。驚いたが、こんなものかとも思えた。中学の時の作文コンクール以来の快挙だ。自己満足で喜んだ。

その晩「2、3行読んで『こういう書き方って、もしかしたら』と名前を見たら。やっぱりそうなんだ」。電話をくれたのは、十数年前転勤で引っ越した懐かしい友人。年賀はがき一枚でつながっていたが、思いがけない再会となった。以来彼女は、ファン第一号として感想を伝えてくれる。

   (2013.07.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

それぞれの夢

2013-07-23 14:02:38 | はがき随筆
 小中学校が一緒だった同級生は気心も知れており、仲が良い。女流美術展の日本画で入選した友人の展覧会を見てから、3人でお祝いの食事会を開いた。
 話も弾み、それぞれの夢を語った。彼女は二十数年、花や鳥を描いた日本画の個展を開くのが夢である。故郷で新しい歌を制作し、歌っている友人はこれまでのオリジナル曲をアルバムにしたいと語る。2人の意欲に押され、私も万能川柳の入選句が150点に達したら、小冊子を出すと言い出した。
 戦後、私たちは貧しい生活を体験したが、今好きなことができる幸せをかみしめている。
  鹿児島市 田中健一郎 2013/7/23 毎日新聞鹿児島版掲載