はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆4月度入選

2009-05-29 22:09:53 | 受賞作品
 はがき随筆4月度の入選作品が決まりました。

▽出水市文化町、御領満さん(61)の「人生最良の日」(30日)
▽同市高尾野町柴引、清田文雄さん(69)の「ベナレスに泣く」(26目)
▽伊佐市大□上町、山室恒入さん(62)の「ひょっとこ面」(25日)
の3点です。

年間賞を選ぶためにI年分を読み返してみました。いわゆる常連の方の多いことに驚きました。
 「はがき随筆」を書くことが生活の一部になっているようで、喜ばしいことだと思います。文章は、自分の心の中を客観的に見ることができるようになりますし、またうっ屈した心を解放しますので、他のみなさんにも投稿をお勧めします。
 御領さん「人生最良の日」は、中学の時、自家水用の井戸ポンプが設置され、それまで20往復していた風呂の水くみから解放された日の記憶です。最良の日というとで平常からプラス状況に変化したことを期待しますが、このように、マイナスから平常になった時の喜びは貴重な体験だと思います。
 清田さん「ベナレスに泣く」は、映画「おくりびと」の本木君からの連想で、ベナレス経験とでもいうものを思い出したという内容です。私も、親族の遺体を高山に運び、鳥が食べやすいように頭などを石で砕く「鳥葬」の映像を見て驚いたことがあります。死にまつわる風習や宗教儀式のもつ衝撃は常識の世界を打ち砕きます。
 山室さん[ひょっとこ面」は、お孫さんと遊んでいて、いきなりひょっとこ面をつけたら泣き出したという内容です。脅かしたのではない、将来のために「世の中がそんなに単純ではない」ことを教えてやったのだというユーモラスな弁解が効果的です。
 以上が入選作です。他にいくつかを紹介します。
 武田佐俊さん「善人と悪人」(24日)は、本の中の奥さんの貯金を見つけ、貯金を手伝うかへそくるか迷っているという、軽妙な味の文章です。中島征士さん「ゼロの地点」(27日)は、定年を機会に振り出しに戻ってと決心したが、奥さんへの物言いだけは戻らないという反省です。小幡晋一郎さん「初音」(29日)は、大隅湖のウグイスの初音を、補聴器のボリュームを上げて聞いたら臨
場感があったというものです。
(日本近代文学会評議員、鹿児島大名誉教授・石田忠彦)
 係から 入選作品のう
ち1編は30日午前8時40分からMBC南日本放送・ラジオで朗読されます。
「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。
  2009/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載   





天の声

2009-05-29 22:06:43 | はがき随筆
 45年前、私はバイクで事故を起こした。右足骨折で即入院。
 ベッドで一人ぼんやりしていると「事故は確率じゃよ」と隣のベッドで声がした。相部屋の老人の声だった。
 「飛ばし過ぎだと言うんかっ。腕が悪いとでも言うのかっ。あれは不可抗力だったんだっ」。
 どなり返してやろうと思ったがいかんせん、私の右足は包帯でぐるぐる巻きだった。    
 年を経て今振り返ってみると、あれから一度も事故を起こしていない。というのも今ではバイクのエンジンを掛けるとあの老人の声が背中に聞こえてくるのだ。事故は確率じゃよ」と。
  鹿児島市 高野幸祐(76) 2009/5/29 毎日新聞鹿児島版掲載






あなたの足音

2009-05-29 22:02:06 | はがき随筆
 不注意による足腰のケガで入院した。絶対安静が一番の薬と体巻きギプスを8日間装着。両腕と頭は動かせるが忍耐の日々。夜中から寝汗をかき寒気でゾクゾクしている早朝、吸口を床に落とした。のどが乾き鼻水もタラタラ。風邪を引いたみたいだ。ガタガタと近づいたワゴン車に助けてとつぶやくが空振り。向かいの大部屋も動けない患者ばかり。とても待ちきれない。ここで頼みの綱は愛犬と散歩中のアッシー君。ケータイでSOSする。足音だけであなたがわかる-と待つこと20分。
カタッカタッカタッと足早に近づいてくるげたの音にホッ。
  鹿屋市 田中京子(58) 2009/5/28 毎日新聞鹿児島版掲載





素直に言えば

2009-05-29 21:57:38 | はがき随筆
 講師で働く高校の家庭科で、高齢者の学習に入った。
 「何歳ですか」。聞かれて、ある歌のワンフレーズで白状する。「昔の童謡をちょっと替えて歌いますね。『村の渡しの船頭さんは今年60のおばあさん』」。人差し指を自分に向ける。
 一瞬シーンとなり白けムード。「初めて聞きました」と。今は渡し船も船頭さんも、村さえない。おじいさんをおばあさんに替えた遊び心も通じず。格差は大きく、本来の授業に戻る。
 「若いですね」「あらうれしい、ありがとう」「ほんのお世辞です」「まあ-」。素直に言えば、話がはずんだろうに。
  いちき串木野市 奥吉志代子(60) 2009/5/27 毎日新聞鹿児島版掲載




真空地帯

2009-05-26 18:07:25 | はがき随筆
 自分は小説「真空地帯」の世界にあるのだと思うことにした。軍隊生活と入院生活の違いはあるけれど。そうでも思わないと毎日がうっとうしくてやりきれない。胃かいようで半年近く通院し、検査入院のつもりが、病院を出られぬ羽目になった。
 入院翌日から絶食となる。のどを通るのは水と薬、検査中の液類。くる日もくる日も検査は続く。9時の消灯後、私の頭は研ぎ澄む。自己嫌悪に陥ったり、告知された手術におののいたり。寝付きの悪い夜が続く。 出□の見えない私の真空地帯。明日への光を探し求めながら、今日の一日を生きる。
  伊佐市 山室恒人(62) 2009/5/26 毎日新聞鹿児島版掲載




感謝を込めて

2009-05-26 18:04:24 | はがき随筆
 昭和31年に祖父母と両親が建てた家。台所、玄関と改築を重ねてきたが今度、屋根瓦を替えてもらうことになった。
 工事が始まった。あらゆる文明の利器を使って、まさに匠の技である。見上げると、新しく生まれ変わった屋根瓦が、あたたかい人情と日の光を受けて、きらきら輝いている。
 休みの日は、日に何回も母と2人でながめる。さわやかな5月の風の向こうに、祖父母と父もほほえんでいる。
 自分が生まれて育った家。心からありがとう。人と家は、共に歴史を刻みながら生きている。大切にしていきたい。
  出水市 山岡淳子(51) 2009/5/25毎日新聞鹿児島版掲載





マグロちゃん

2009-05-24 21:18:45 | はがき随筆
 マグロちゃんと呼ばれている程、小学2年の孫はすしが大好きだ。お店に入ると早速注文。
 「わさび抜きのマグロニつ下さい」と満面の笑みのこのサッカー少年、食べ方も早い。次々と□の中にシュート。これで終わるはずはない。次もまたマグロである。幸いにまだトロの味は知らない。4皿のマグロをぺ口り。その途端、おなかの中でマグロが跳びはねるらしい。あわてて走る始末だった。にっこりして帰ってきたと思いきや、また回転している卵焼きといなりずしを食べるところはやはり子供らしい。マグロちゃんの胃袋ってそんなに広いのかなあ。
  鹿児島市 竹之内美知子(75) 2009/5/24 毎日新聞鹿児島版掲載




万年筆を買う

2009-05-24 21:15:36 | はがき随筆
 くれるというのならもらっておこうかと、さんざん批判した舌の根も乾かぬうちに、さっさと書類を整え郵送した。
 実は欲しい物があった。万年筆だ。中学生になる時、買ってもらい、晴れがましい気分で使い始めたのを覚えている。高校までは使っていた記憶があるが、その後は覚えがない。テレビで今、万年筆がブームだと聞いてがぜん欲しくなった。
 カタログを見せてもらうと10万円を超す物もありびっくり。給付金にへそくりを少し足して茶色の太軸の物を選んだ。名前も入れてもらった。使い始めはもちろん、このはがき随筆。
  出水市 清水昌子(56) 2009/5/23 毎日新聞鹿児島版掲載 



思い出

2009-05-24 21:07:35 | はがき随筆
 これは、生まれて初めての記憶である76年前の記憶。I歳くらいの時の出来事である。
 留守の家で、庭から転げ落ちた。石垣伝いの一軒家の前に、さんさんと輝く小川の岸であった。
 顔を埋めているのは釣り舟草の中であった。みずみずしい茎の色、岸辺の水を吸い上げている様子だった。
 せせらぎに反射する太陽のきらめきは、初めての感動であった。
 多分に泣き声を聞いて、姉が拾い上げて、家の中に連れ帰った光景。最初の記憶の始まりであった。
  鹿屋市 山口弘(77) 2009/5/22 毎日新聞鹿児島版掲載



可愛い姪へ

2009-05-24 21:03:42 | はがき随筆
 姉に女の子が生まれました。
僕にとって可愛い姪です。母は毎日携帯で姪の動画を見てニコニコしています。飽きが来ないものかと感心しています。僕は家の中で生活していましたが、姪が生まれてからはアレルギーを考え、外で暮らしています。冬の寒さが心配でしたが父が立派な家を作ってくれて助かりました。姪は姉の小さいころよりかれんな顔をしているそうです。このまま崩れないで成長してください。僕は横暴な性格ですが姪は優しい女の子に育って下さい。申し遅れましたが姪の名前は両親の初孫かのん。僕は新留家の愛猫ムックです。
  指宿市 新留榮太郎(67) 2009/5/21 毎日新聞鹿児島版掲載




前向きに

2009-05-24 21:00:20 | はがき随筆
 「胃潰瘍 病むも弾むも人次第」と下手な川柳を詠む。
 病気や故障を抱えない人はいない世。それも売薬や置き薬で済ませたり、通院を続けたりと対応も結果もさまざま。
 アメリカのプロ野球界で一段と有名な選手のイチローが、試合欠場となった「いかいよう」に挑戦。出場を信じ楽しみつつ練習に没頭する映像を見る限り、見事な成果を期待した。案の定、野球ファンでなくても心底拍手を送る結果となった。現
在もなお安打の記録を伸ばすひたむきな姿に敬服している。
 病気に負けるなイチローを見習えと「前向き」に生きたい。
  薩摩川内市 下市良幸(79) 2009/5/20 毎日新聞鹿児島版掲載



地デジ放送随想

2009-05-24 20:56:48 | はがき随筆
 アナログ放送終了まであと2年あまりという今、じたばたしても始まらないかもしれないが、いまだに私には疑問がある。
 まずは、いつ国はデジタル放送への全面移行について、国民の了解を得たのかということ。そして、テレビの買い替えや専用チューナーの購入は自己負担だとしているが、購入できない人はどうするのか。また、不要となるテレビは膨大な数になると思われるが、その処理はどうするのかということである。
 デジタル放送への移行ばかりを優先させ、国民を置いてきぼりにしていないか。これこそ、国民不在の行政だと思う。
  鹿児島市 川端清一郎(62) 2009/5/19 毎日新聞鹿児島版掲載




国境を越えて

2009-05-21 23:37:47 | かごんま便り
 児童絵本作家としても知られる画家・八島太郎(1908~94)の「生誕百年展」が、鹿児島市の長島美術館で27日まで開かれている。

 文字通り彼の生涯を振り返る展示は、油彩・水彩、我が子に注ぐ温かいまなざしそのままの絵本の挿絵(未公開作品含む)はもとより、愛用の品や民芸品のコレクションまで並べられている。脳こうそくを患い絵筆を持てなくなった晩年、自由律俳句をたしなみ、しかもそれが余技の域を超えるものだったことは今回の展示で初めて知った。

 小根占村(現南大隅町)に生まれ、旧制二中から東京美術学校(現東京芸大)に進んだが、軍事教練を拒否して退学処分に。プロレタリア美術運動に傾倒して何度も投獄され、やがて画業を磨くために渡米。そのまま米国で生涯を終えた。

 彼の運命は戦争にもてあそばれたが、彼の戦時下の生きざまに私は心を動かされる。米国戦時情報局に身を置き、日本兵に「死ぬな、生きよ」と呼びかけた宣伝ビラ作成に携わったことは、後に芸術家仲間からも非難され、ののしられた。

 戦争の早期終結をもくろむ米国の側から見れば彼が〝利用された〟一面は否定できない。だが彼が僧んだのは日本の軍国主義で、日本の風土や日本人ではなかった。KTS鹿児島テレビ制作のドキュメンタリー番組(2日放映)で紹介された、彼が終戦時「勘弁してくれ」とおえつしたエピソ-ドがそれを物語る。戦時中、彼の同志だった芸術家の多くが翼賛体制に飲み込まれ軍国日本を後押ししたことを思えば、彼を売国奴よばわりするのはお門違いだろう。

 幾多の軍人を輩出する一方、八島のような個性を生んだ鹿児島。その懐の広さには改めて感心する。なお、くだんの番組を見逃した人には「評伝八島太郎   泣こよっか ひっ翔べ」(渡辺正清、南日本新聞社刊)の一読をお勤めしたい。

鹿児島支局長 平山千里 2009/5/18 毎日新聞掲載

深く感謝感謝

2009-05-18 21:36:38 | はがき随筆
 夫の急逝と、障害者の私のために19、20、21年の3回目の来鹿で4月中旬、妹夫婦が作業道具持参で広島から車で来てくれた。
 大型家具、危険な器具(電磁波やガス漏れ)10品目の買い替えと処分。大型オーブンの取り外し、業者の工事と同時に家の修理をし、寸暇を惜しんで網戸の材料を求め、張り替えてくれた。テラスの不用品の山もすべて処理された。
 連休を先取りした日々。ジャスミンの甘い香り。網戸は指一本で滑る。うれしい。安堵する。2人へのお礼の言葉は筆舌に尽くし難い。深く感謝感謝。
  薩摩川内市 上野昭子(80) 2009/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載





叔母の葬式

2009-05-18 21:30:10 | はがき随筆
 中津にいる叔母は92歳で急逝した。晩年は心臓を患って施設に入所していたが、1月前に見舞いに行った時は元気だった。
 叔母は、先に逝った叔父と同様に親類の中で最も頼れる人だった。学生時代は京都から帰る途中よく立ち寄り、農作業を手伝ったり、いとこの勉強の面倒も見た。いとこは結局私の弟の三男坊と結婚して家を継いだ。
 叔母をはじめ家族はことのほか親鸞の教えを信仰して来た。葬儀は深い悲しみ包まれたがいとこは最後に「弥陀に抱かれ逝きし母共に暮らした六十余年母ちゃん母ちゃんありがとう」と涙して感謝の言葉で結んだ。
  志布志市 一木法明(73) 2009/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載