はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

本物の魅力

2010-04-05 20:54:49 | かごんま便り
ある地場企業の幹部からこんな話を聞いた。

 業界団体の大会が開かれた時のこと。全国から訪れる人たちを鹿児島自慢の品でもてなそうという話になり、社長命令が下った。「芋焼酎の『3M』を取りそろえろ」。都会では目玉が飛び出るような高値がつくプレミアム焼酎ばかりで、地元でもおいそれとは手に入らない。八方手を尽くして何とか確保し、お陰で社長は鼻高々。自分も面目を保ったのだ、と。

 くだんの銘柄は私もうまいと思うし、特に県外の人々は大いに喜ぶだろうから、幹部氏のお手柄?にケチをつける気は毛頭ない。でも当地にはうまい焼酎がごまんとある。当然ながら価格に比例して味の序列がある訳では決してない。つかの間の旅人たちに「鹿児島には皆さんの知らない、うまい焼酎がこんなにたくさんあるんですよ」とアピールする手もあったのではないかと思った。

 左党ゆえ、つい酒の話になったが、鹿児島には誇るべき素材がいろいろある。ダイナミックで豊かな自然、時代を彩った歴史遺産の数々、極上の食べ物などなど。原口泉・鹿児島大教授は「洗練こそされていないが素材が魅力の『雑穀文化』」と評した。県のポスターのうたい文句「本物。鹿児島県」にも同じ思いが込められているはずだ。

 ただ、せっかくの優れたお宝が地元以外では余り認知されていない気がする。「鹿児島はPR下手」などと愚痴を言っても始まらない。本物はその良さが知られてこそ本物たりうる。本物の魅力をどんどん発信できる鹿児島であってほしい。

長いようで短かった2年9ヵ月。4月1日付で福岡本部に異動することになりました。まだまだ見たいもの知りたいものが山ほどある鹿児島を、後ろ髪を引かれる思いで去ります。後任は西部本社整理部デスクの馬原浩記者です。どうか引き続きご愛読ください。

鹿児島支局長 平山千里 2010/3/29 毎日新聞掲載


勉強会

2010-03-28 22:43:46 | かごんま便り
 先日、毎日ペンクラブ鹿児島・大隅地区の勉強会に行ってきた。1月の北薩地区、2月の鹿児島地区に続き、皆さんと楽しく学ぶことができた。

 「はがき随筆」と同じく1行14宇で18行。事前に書き上げた作品を持ち寄り、互いに気づいた点を指摘し合う。一番の効用は、自分の文章の「独りよがりなところ」に気づかされることだ。

 自分では当然と思っていることがらを第三者に過不足なく伝えるのは難しい。約250字の短文となればなおさらだ。我々記者の書く記事が支局のデスク、本社のデスク、編集担当者……と複数の目でチェックされて練り上げられるのと同様、第三者の目線で、思わぬ角度から指摘を受けて初めて気づくことは多い。時に的外れな指摘があっても、勘違いの原因はたいてい読み手側でなく書き手側にあるものだ。

 「自慢の作品にケチをつけられるようで嫌だ」という声も聞いたことがあるけれど、当たり障りのない批判では意味がない。感情的になるのはご法度だが、遠慮せず指摘し合うからこそためになる。おおらかな気持ちで学び合いたいものだ。

 参加者のその後の投稿を読むと、目に見えていい作品になったのが分かる。会員でなくても自由に参加できるので、次の機会にはあなたも参加してみてはいかがだろう。

 行きたいがなかなか都合がつかない人にちょっとしたアドバイスを。作品を書き上げたらすぐに投かんせず、少し間を置いて、声に出して読んでみる。手紙でも日記でも、勢いに任せて書いた文を後で読み返し、赤面した経験は誰しもあるだろう。時を経て冷静になった目には、文章のあらがよく見える。音読で詰まる個所は言葉のつながりが不自然な場合が多い。一息で読めない文は明らかに長過ぎる。そうやって推敲(すいこう)すると、見違える作品になること請け合いだ。お試しあれ。

鹿児島支局長 平山千里 2010/3/23 毎日新聞掲載


自分至上主義?

2010-03-18 22:23:38 | かごんま便り
 阿久根市議会が暗礁に乗り上げている。新年度予算を審議する、年間で最も重要な定例会なのに竹原信一市長は議場に現れず、幹部職員にも「答弁拒否」を命じている始末。まったく八方ふさがりの状況だ。

 本欄で竹原市長を取り上げるのは2度目だ。前回(昨年4月20日付)、私は彼の改革への志がまっとうだとしても、その政治手法には疑問を感じざるを得ないと書いた。彼の物言い、振る舞いはその後も過激さを増す一方。彼なりに計算された意図的なアクションなのだろうが、最近の言動はいかにも常軌を逸し、理解の範囲を超えている。   

 近著「独裁者 ″ブログ市長″の革命」(扶桑社刊)を読むと、竹原氏の自治体職員や地方議会に対する痛烈な批判には耳を傾けるべき指摘も少なくない。「民主主義」という美辞麗句の欺まん性をやり玉に挙げつつ、自身の「改革」「革命」という言葉は無批判に絶対視するなど自分本位な強引さはあるものの、公務員のお手盛り体質やチエック機能を放棄して行政側となれ合う地方議員に切り込む記述には説得力がある。現状打開には荒療治が必要だとの主張も分からないではない。

 だが竹原氏の思いを知れば知るほど、実際の行動には首をひねるしかない。市長の提案に″何でも反対″の反市長派議員の態度が「子どものけんか」なら、堂々と論戦を挑まず「報道陣がいるから」と議場に来ない手法も同じだ。市職労との団体交渉に報道陣を入れてガラス張りの議論を提案したことがあったが、彼の言い訳はご都合主義が目に付く。つまるところ主張がいかに立派でも、改革への本気度は疑わざるを得ず、混乱を楽しんでいるとしか見えない。

 現下の竹原市長に、議会正常化への意志はないらしい。このままでは最も迷惑を被るのは、彼が最も心を寄せ、大切にしたいとしている阿久根市民なのは間違いない。

鹿児島支局長 平山千里 2010/3/15 毎日新聞掲載

温泉ざんまい

2010-03-03 06:38:22 | かごんま便り
 鹿児島は温泉天国だ。

 環境省の統計を見ると、全都道府県で泉源数は2位▽ゆう出量は3位▽温泉施設数は5位(うち公衆浴場は3位)――といった具合だ。

 指宿、霧島など著名な温泉地も数多いが、特にユニークなのは銭湯のほとんどが天然温泉という県都・鹿児島市。都道府県庁所在地のそこここに温泉があるのは、全国広しといえども鹿児島だけである。

 そもそも銭湯自体が多い。人口145万人を擁する福岡市でも20カ所そこそこなのに、人口60万人の鹿児島市に何と56カ所。全国的に銭湯が減少の一途にあることを思えば驚くほかない。

 多くは早朝から開いているのも私のような飲んべえにはうれしい。二日酔いの身も心も、朝風呂でさっぱりする。ちなみに都会の銭湯は夕方からの営業で、朝は日曜・祝日だけが通り相場だ。

 また大人が360円、回数券を使えば330円という値段も、全国的には安い部類である。

 県公衆浴場業環境衛生同業組合の田中秀文理事長によると、昔は市内の銭湯も沸かし湯で、どこも煙突が建っていた。昭和30年代初め、市内の銭湯は現在の倍以上あったが、温泉に切り替わり始めたのは内湯が増えて廃業が相次いだ昭和30年代終わりごろ。最初は掘ったところで本当に温泉が出るのか半信半疑だったらしいが、仲間を募って掘ったら当たった。やがて周囲も追従し、温泉が普通になり、燃料費が要らないお陰で二度のオイルショックや昨今の石油高騰も乗り越え、今に至っているという。連日の朝風呂が可能なのも、温泉の恵みによるものだ。

 良いことづくめの温泉銭湯が、県外に余り知られていないのは実にもったいない限りだ。私も赴任して驚いた一人だが、何度か当地を取材で訪れた東京在住のフリーカメラマン氏に話すと、今まで知らなかったことを大いに侮しがっていた。

鹿児島支局長 平山千里 2010/3/1 毎日新聞掲載

新幹線

2010-02-17 18:41:19 | かごんま便り
 鹿児島着任の07年7月、本欄の前身「鹿児島評論」を同じ題で書いた。部分開業とはいえ小倉駅から約3時間で鹿児島中央駅に降り立った驚きは忘れない。その新幹線が来春、本州とつながる。

 九州新幹線の全線開業の前祝い?のイベントが13、14日に開かれた。鹿児島中央駅前の広場は、県内各地や沿線各県の物産展でにぎわい、鉄道模型のジオラマや新大阪直通のニュー新幹線「さくら」のミニ列車などが人気を集めていた。
 国鉄が全国新幹線網構想を発表したのが67年。3年後に法制化され、国鉄の分割民営化をはさみ着工までには曲折があった。04年3月の部分開業で新幹線自体は当地では既におなじみだが、在来線に乗り継ぐ今と新幹線が直通することの違いは大きい。時短効果だけでも在来線特急時代に4時間近く要した博多まで、今の最短2時間12分から約1時間20分になる。

 鹿児島まで足を延ばそうか迷う人には朗報だろう。だが同じことは鹿児島から出たい人にも当てはまる。従来なら鹿児島の夜を楽しめたのに日帰りさせられる出張族だって出てくるはずだ。全線開業が恩恵ばかりもたらすとは思えない。

 期待される集客にしても課題は少なくない。地域流通経済研究所によると、九州新幹線の全線開業を知らない大阪人は07年、08年の調査でいずれも42%と横ばい。同研究所は「1年強の間の九州側からの情報発信は不足していた」と断じた。

 全線開業を地域の振興にどうつなげるか。12日にかごしま県民交流センターでシンポジウムが催された。都合で聴けなかったが、県の活用プランが紹介され、経済団体、観光業界などの代表が意見交換したという。

 この種の行事を平日の昼間に設定する当局のセンスが気になる。業界関係者を除く一般県民を巻き込む気はないらしい。地域ぐるみで知恵を絞るべき問題と思うが……。

鹿児島支局長 平山千里
2010/2/15 毎日新聞鹿児島版掲載

成人式

2010-01-12 16:30:23 | かごんま便り
 鹿児島市の「新成人のつどい」を拝見した。

 会場の市民文化ホール周辺は着飾った若者でごった返していた。タクシーの運転手氏いわく「今年は例年より着物姿が多い気がする」。厳しい不況下でも、この日だけはという親心の現れか。

 市内の新成人6488人のうち集まったのは約5000人。式典が始まっても大半は建物外で談笑している。第1、第2ホールの収容力は計約3000席で物理的に入りきらないのだが、見ると結構空席がある。入れないのではなく入らないのだ。加えてホール内も後方の席は屋外同様「同窓会」状態。壇上のあいさつが聞こえなくはないが終始、私語がやまない。

 簡潔な式典とアトラクションという構成は全国的な定番だ。式典だけだと集まりが悪いというのがその理由。鹿児島市の場合、式典30分、前後のアトラクションは80分。ただ出演した歌手2入が共に新成人と聞くと、救われた気がする。

 参加者諸君の名誉のために付言すると、私自身の取材経験や報道で見聞する各地の式の様子からみて、鹿児島市の新成人は郷中教育の薫陶を受けたDNAの恩恵か、お行儀のいい部類と思う。

 成人式は、埼玉県蕨市で46年11月に開かれた「青年祭」が起源。「成人の日」は49年に始まり、自治体主催の式典が全国に拡大した。モラル低下が顕著になったのは90年代。新成人を企画に参加させるなどの工夫が登場したのもそのころだが、那覇市のようにトラブルに懲りて全市的な式典を取りやめた例もある。

 「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」(祝日法)のがこの日の趣旨。同窓会色や我が子の晴れ姿を見たい親心を否定はしないが、同窓会は別途開けば良いし、晴れ着は正月など別の場で着ることも可能だ。現行方式の成人式は、そろそろ曲がり角に来ている感じがする。

鹿児島支局長 平山千里 2010/1/12 毎日新聞掲載

第九

2009-12-28 19:20:01 | かごんま便り
 師走とくれば、やはり「第九」である。
 ベートーベンの交響曲は日ごろから聴くが、それは1~8番の話。ミーハーな私にとって9番はあくまで12月限定だ。この時期、新旧のさまざまなCDを日替わりで聴くのが日課になっている。曲の進行に伴ってお湯割りのピッチも上がり、フィナーレの高揚感と共に浮世の雑事を忘れ、新たな元気もわいてくる。
    ◇
先日「かごしま県民第九演奏会」を聴いた。実演に接したのは久しぶりだったが「音楽とビールは生に限る」というのを改めて実感した。

 県の文化企画として85年に始まり、今回は節目の25回目。毎夏に合唱団の参加者を募り、10月から十数回の練習を重ねて本番を迎える。今年は83歳から高校生まで326人が宝山ホールの舞台に立った。うち2割強は初参加。「日本での思い出づくりに」と自宅にホームステイ中の留学生を誘って参加した女性や「合唱は中学の文化祭以来、四十数年ぶりです」という男性もいたという。

 一方で、10回目以上となる常連組は2割弱、皆勧賞も5人を数えた。その1人でリーダーの田鍋恒治さん(65)は「生の音楽に触れる感動を一人でも多くの県民に伝えたい」と話す。「初参加の人に聞くと『前から参加したいと思い、やっと実現した』という声が少なくない。だから、この先も続けなければ」とも。

 大都市では暮れの第九演奏会は目白押しで「猫もしゃくしも」といった風潮に批判もある。だが地方は事情が違う。「県民第九」がなければ、鹿児島でこの曲を生で聴く機会は皆無に近いだろう。また地方の第九演奏会はアマチュア合唱団がプロのオーケストラを招く例も多いが「県民第九」はオケも地元のアマ(鹿児島交響楽団)だ。この ″地産地消″がいい。

 演奏会の模様は30日午後4時から、MBCテレビで放映される。

鹿児島支局長 平山千里 2009/12/28 毎日新聞掲載

流れ星飛んだ

2009-12-01 00:00:44 | かごんま便り
 18日未明。千鳥足で帰宅後、一人で2次会?をやりつつ本を読んでいた。ふと気になって外をうかがうと昼間の曇り空がうそのような晴天だ。
 部屋の明かりを消し、多少着込んで出窓の下に横になる。窓を全開にすると、ビルの谷間からオリオン座と冬の大三角が視界に入った。転落して記事になるとシャレにならないから、気をつけながら出来るだけ身を乗り出す。お目当てはもちろん、しし座流星群だ。やがて明るい軌跡が一筋、また一筋。周囲の建物が街灯や車の明かりを遮ってくれるので、市街地でもそれなりに楽しめた。 
 流星群の元は、彗星(すいせい)や小惑星から軌道上に放出されたちりだ。それが大気圏で燃えて光るのだが、ある一点(放射点)を中心にして外に広がるような軌跡を描いて飛ぶ。流星群の名称は、放射点のある星座の名で呼ばれる。毎年決まった時期に出現するが、中には数年から数十年ごとに大発生するものがある。しし座流星群もその一つで「流星雨」と話題になった01年が記憶に新しい。今年もそれなりの当たり年とされていたが、日本では極大が夜明け後だったこともあり、8年前ほどには騒がれなかった。
 春は視界が悪く、夏は蚊に悩まされるので、流星ウオッチングは秋から冬にかけてが好機だと思う。もちろん防寒対策や安全面での配慮は欠かせない。長時間仰ぎ見るのは首が痛いので寝転がって見る体勢が取れればべストだ。街明かりや月明かりを出来るだけ避け、なるべく放射点から離れた空を眺めるのがコツ。その方が長い軌跡を拝めるので見やすいからだ。
 いわゆる「三大流星群」のうち、ふたご座群(12月中旬)、しぶんぎ群(1月上旬)の二つがこれからシーズンを迎える。皆既日食でちょっぴり天文に興味を持った人たちにも見てほしい。寒空でじっと待つのはつらいが、一度見ると病みつきになること請け合いだ。
鹿児島支局長 平山千里 2009/11/24 毎日新聞掲載

向田邦子展

2009-11-04 17:25:54 | かごんま便り
 28日に生誕80年となる作家、向田邦子(1929~81)の特別企画展が30日まで、鹿児島市城山町のかごしま近代文学館で開かれている。

 雑誌記者からラジオ・テレビの脚本家となって数々の傑作ドラマを生んだ後、50歳で小説に新境地を開いた。直木賃を受け、これからという時に飛行機事故で散った。

 彼女は多感な少女期を鹿児島で過ごした。わずか2年3カ月ではあったが、鹿児島での暮らしは、平凡な市井の人々の日常を、鋭い人間観察の視点で描く作風の原点だと述懐している。東京生まれでいわゆる″田舎″を持たない向田は終生、鹿児島を「故郷もどき」と呼んで愛し、作品にもしばしば登場させた。

 同館が所蔵する約9300点もの遺品の大半は「鹿児島に嫁入りさせよう」との母・せいさんの言葉で寄贈されたものだ。今回はそのうち約450点を見ることができる。この種の展示は年代順に並べるのが通例だが、アルファベット26文字になぞらえたキーワードに沿ってテーマを分類しているのがユニークだ。

 学芸員の山口育子さんによると、従来とは趣向を変えた展示をとの遺族の意向を受け、4人のスタッフがアイデアを練ったという。草稿やメモから愛用品の数々まで、ART(絵画)▽DISH(器)▽FASHION(装い)▽WORD(言葉)――などなど、さまざまな角度から紹介し、いままで知らなかった「向田邦子」像が見えてくるという狙いだ。KはもちろんKAGOSHIMA(鹿児島)である。

 同館から500㍍ほどの平之町に居住地跡があり、少し歩くとビルの間から桜島が望める。亡くなる2年前、鹿児島を訪れた向田は街の様変わりに驚くとともに、変わらないのは「人」と「生きて火を吐く桜島」だと書き残した。彼女は鹿児島県人ではないが、確かに鹿児島が生んだ、あるいは育てた作家なのだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/11/02 毎日新聞掲載


無名の画伯

2009-10-18 22:26:34 | かごんま便り
 洋画家・五島健三(けんそ、1886~1946)は富山の人。東京美術学校(現・東京芸大美術学部)で黒田清輝や岡田三郎助に学び1913年、鹿児島師範の美術教師となった。七高造士館でも教えた後に再び上京。戦災を避けて郷里に疎開し、そのまま59歳で病没した。実弟に、近代建築の傑作とされる東京中央郵便局旧庁舎などを設計した建築家・吉田鉄郎がいる。

 第1回文展(日展の前身)に富山からただ一人入選。その後も文展・帝展に入選を重ねたが、地元でもほとんど無名の存在らしい。そんな彼をふとしたきっかけで手にした「縁(えにし) 五島健三の青春」(いそべ桜蔭書屋刊)で知った。

 編者の郷土史家、大村歌子さん(67)=富山市在住=は元々、巌谷小波の下で活躍した童話作家・大井冷光(れいこう、1885~1921)の生涯を調べていた。大井の日記にしばしば登場する親友、五島の存在に興味を待ったのが発端だそうだ。自分も食うや食わずの中、画業を志し家出同然に上京した五島をなけなしの金で支える大井。そこまでさせた五島とはどんな人だったのか。足跡を追ううち、彼が周囲の人々と結んだ熱い友情に打たれ、作品や書簡などゆかりの物を掘り起こす中で多くの出会いも生まれた。五島を巡るこうした縁の数々が書名の由来だ。

 生涯の半分を鹿児島で過ごした五島。1912年出版の画集「郊外写生の実際」には、民家の建ち並ぶ柳町周辺や海岸通り、農村地帯だった伊敷、山深い紫原など当時の鹿児島市内のスケッチがちりばめられている。南国美術展(南日本美術展の前身)の初代幹事を務めた記録もある。それでも鹿児島時代をうかがい知る手がかりは決して多くない。「どこかに彼の絵やエピソードがまだまだ埋もれているのでは」と大村さん。何らかの情報をお持ちの方は大村さん(076・478・0702)にご一報を。

鹿児島支局長 平山千里 2009/10/12毎日新聞掲載

平常心

2009-10-05 22:25:19 | かごんま便り
 高校軟式野球の大会を毎日新聞社が後援している縁で、開幕試合に先立つ始球式を仰せつかっている。登板するのは秋・春・夏と年3回開かれる県大会と、隔年で鹿児島に回ってくる夏の南部九州大会だ。

 初っぱなは着任間もない一昨年の夏。前任者から開会式のあいさつは聞いていたが、始球式は当日まで知らず、あれこれ考えるヒマもなく本番。18・44㍍先の捕手が小さく見える。ワンバウンドだけは避けようと緩い山なりの球を放った。大リーグオールスター戦のオバマ米大統領のように。

 2度目は少々色気が出た。元来、お調子者である。大きく振りかぶり力を込めて投げ込んだのがいけなかった。見事にワンバウンドだった。

 ピッチャーズマウンドの高さは25・4㌢。実際に立つと分かるが、テレビの画面などで見るよりはるかに盛り上がっている感じだ。平地の感覚で投げると球筋は思ったよりも下に向く。力んで放れば言わずもがなだ。

 冷静に考えれば、始球式はいわば余興だ。どんな球を投げても打者は勢いよく空振りしてくれる。捕手が届かない大暴投や打者にぶつけるのは論外だが、格好良く投げる必要などさらさらない。3度目は自分にそう言い聞かせつつ「平常心、平常心」と心の中で繰り返し、力を抜いて投げた。

 結果的には絶妙のコースで捕手のミットに収まったが、その瞬間、平常心は見事に吹き飛んだ。高野連の先生たちから「ナイスボール」と冷やかされたお調子者は舞い上がってしまい、次回はやはり性懲りもなく「力投」する。結果はご想像にお任せするが、以来、こんなことの繰り返しだ。ああ、凡夫の悲しさ。

 言い古されていることだが、平常心が大切なのは何事も同じだ。一方で「言うは易く、行うは難し」とも。昔の人の言葉はやはり含蓄がある。次回の登板は6日の火曜日だが、果たして……。


鹿児島支局長 平山千里 2009/10/5 毎日新聞掲載



バランス

2009-09-10 11:36:39 | かごんま便り
 夏の嵐のような衆院選から1週間。民主、自民両党は4年前の「小泉郵政選挙」の裏返しの結果となり民主が大勝。伝統的に自民支持が根強い鹿児島県でも、5小選挙区のうち二つで自民が議席を明け渡した。

 民主が県内で初めて小選挙区で勝利した鹿児島1区を例に有権者の投票行動を振り返ってみる。まずは小選挙区。前回約2万4000票差で勝利した自民・保岡興治氏は今回、民主・川内博史氏に逆に約2万3000票差で及ばなかった。

 鹿児島支局が期日前投票を含めて実施した出□調査(有効回答650人)によると前回、保岡氏に投票した人のうち今回も保岡氏に投票したのは65%。34%は川内氏に票を投じたと答えた。保岡氏から「離反」したのは「支持政党なし」の人々だけでなく、自民支持層も少なからず含まれていた。一方、前回川内氏に入れた人の96%は、今回も川内氏を選んでいた。

 比例代表はどうか。回答者の支持政党は自民39%、民主26%の割合だったが、投票先は自民24%に対し民主49%。自民支持層の3分のIは自民ではなく他の政党(多くは民主)に投票していた。

 いわば身内からも「ノー」を突きつけられた自民党。民主の勝ちよりむしろ自民の負けが印象として際立った背景はこういうことだったのだ。

 個人的に興味深かったのは、自民退潮、民主躍進の流れの中、やや違った投票行動に出た人たちの存在である。小選挙区では民主の候補に投票しながら、比例では他の政党を選んだ回答が思いの外あり、それは「自民離反組」だけでなく民主支持層にも散見された。

 自民にはいいかげん退場願いたいが、かと言って民主の独走も困るということだろう。前回の自民大勝への反省からか、2大政党制への抵抗感なのか、いずれにせよ2票をバランスよく行使したい有権者が少なくないことを改めて感じた次第。

鹿児島支局長 平山千里 2009/9/7 毎日新聞掲載

選挙に行こう

2009-08-25 17:41:22 | かごんま便り
 「自公政権か民主軸か」(毎日) ▽「政権選択 論戦火ぶた」(朝日)▽ 「政権選択 決戦の夏」(読売)――。第45回衆院選の公示を伝える19日朝刊の1面に踊った各紙の見出しである。そもそも衆院選というのは政権を選ぶ選挙だ。それでも今回のように、このキーワードが特別な重みを持って取り上げられた衆院選は過去に例がない。

 4年前の「小泉郵政選挙」で自民党は記録的大勝利を収めた。頂点を極めてしまえば改選で目減りするのは必至。問題はどこまで減らすかだが、各紙の情勢報道を見ても自民党は「がけっぷち」の様相だ。中選挙区制最後となった93年の第40回衆院選、細川連立政権の誕生で自民党は結党以来初めて下野したが、この時でさえ守った第1党の座が危うくなっている。

     ◇

 前任地の西部本社報道部時代、本欄同様のコラムで投票参加を呼びかけた際「納得できる選択肢がないなら白票を投じればいい」という趣旨の一文を書きかけた。先輩記者から「白紙投票の奨励と誤解される」とたしなめられ、思い直して書き改めたが、言いたかったのは「棄権よりはまし」ということ。日常生活すべてに政治の影響が及ぶ以上、選挙に無関心では済まされない。どんな形であれ投票することは権利以前に義務ではないかとさえ私は思っている。

 かつて「無党派層は寝ていてくれれば」とほざいた元首相がいた。為政者のそんな身勝手を許さないためにも、投票所に足を運びたい。仮に投票した候補者が当選しなくても、それは「死に票」ではなく、当選者への立派な批判の声である。

 それでも政治や選挙は小難しくて苦手だという人は、見方を変えてこう考えてはどうだろう。競馬中継を見る際、馬券を買わないより買った方が当然、興味は倍加する。テレビやラジオの開票速報や新聞の選挙報道を見る時だって同じだ、と。

鹿児島支局長 平山千里
2009/8/24 毎日新聞掲載


原爆忌に思う

2009-08-13 23:20:40 | かごんま便り
 9日は長崎原爆の日。原爆投下時刻の午前11時2分には鹿児島市内でもサイレンが鳴った。

 6日の広島、9日の長崎。テレビやラジオで平和祈念式典を視聴された人も少なくないと思う。原爆忌は今年、64回目を迎えた。被爆者の平均年齢が75歳と聞くと、改めて年月の長さと、人類共通の願いであるはずの、核廃絶への道のりの遠さを思わずにはおれない。

 オバマ米大統領が今春「核兵器のない世界」を目指すことを明言した。核兵器を使用した唯一の核保有国として、その道義的責任に言及したことは画期的だった。両市の平和宣言も「核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間」(田上富久・長崎市長)、「『廃絶されることにしか意味のない核兵器』の位置づけを確固たるものにした」(秋葉忠利・広島市長)と評価した。一方で、11月に初来日するオバマ大統領の被爆地訪問は困難と伝えられる(8日朝刊)など、やはり一筋縄ではいかない。

 翻って「唯一の被爆国」はどうなのか。平和祈念式典で気になるのは、市長の平和宣言や、被爆者代表や子供たちの「平和への誓い」の切迫感に比べて、首相あいさつの″軽さ″である。

 たとえば今回、麻生太郎首相は原爆症について「できる限り多くの方々を認定するとの方針」と述べた。ではなぜ認定を巡る集団訴訟が相次ぎ、国は連敗を重ねたのか。国は5日、救済案を打ち出したが、原告が高齢化して次々に他界するのを待つかのように問題を長期化させたのはいったい誰だ。また広島原爆忌に間に合わせたとはいえ、衆院選目前という発表時期にも生臭さを覚える。

 核兵器の問題は、イデオロギ-や国家戦略の延長線で議論されるレベルの話ではない。人類存亡を脅かす重大事だからこそ廃絶されなければならないということを「唯一の被爆国」の指導者はもっと認識すべきだ。

鹿児島支局長 平山千里 2009/8/10 毎日新聞掲載

世紀の天体ショー

2009-07-29 21:10:23 | かごんま便り
 雨音で目が覚めた。時計は午前4時過ぎ。外は土砂降りだ。夜が明けるに連れて小降りになったが空は真っ暗。あと数時間で世紀の天体ショーを迎えるはずなのにだ。

 日食にお目に掛かるのは個人的には78年以来。高校の校庭で、望遠鏡で投影された「欠けた太陽」を見たのを思い出す。今回は、日本の陸地で見られる46年ぶりの皆既日食。皆既帯は県内のごく一部の島々だけで、現地に記者を送り出した代わりに私は「お留守番」だったが、鹿児島市でも食分(直径に対し欠けた幅の割合)0,96というのは皆既と紙一重だ。調べると31年前の食分は0,28。当時この程度で感動したのだから、これはすごいぞと期待していたところへ例の天気である。

出社して取材に散った記者たちに確認すると「今世紀最長の皆既」となるはずの悪石島を筆頭にどこも芳しくない。期待が持てそうなのは喜界島くらいだ。分厚い雲を横目で見つつ夕刊の原稿をさばいていると、支局周辺でもちょっとだけ日が差した。雲越しに半月状の太陽が見える。路上で日食グラスをかざしている人もちらほら。

 そのうち周囲がみるみる暗くなった。時計は間もなく午前11時。車は前照灯をつけ、ほとんど日没後の雰囲気である。仕事の手をしばし休め、昼間に突然訪れた夕暮れを味わう。悪石島ほどの闇には至らなくとも「皆既と紙一重」の気分は十分感じることができた。

 それにしても、運動会で転がす大玉と米粒ほども大きさの違う二つの天体の、見かけの大きさがほぼ同じというのは何という偶然か。加えて太陽の通り道(黄道)と月のそれ(白道)とが交差するから起きる訳で、天の配剤に驚くほかない。古来、天変地異や政変の前触れと恐れられたのも分かる(後者は、現代でもひょっとするかも?)。

 さて次は26年後の北関東か。いや、その前に3年後の金環日食がある。

鹿児島支局長 平山千里 2009/7/27 毎日新聞掲載