はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「崇高な使命感」

2011-03-26 21:36:46 | 岩国エッセイサロンより
2011年3月24日 (木)
  岩国市  会 員   沖 義照

 驚き、恐怖、怒り、哀れみ、無力感。連日テレビを通して、ありとあらゆる感情が呼び起こされる東日本大震災。

 現実のこととは思えないまま目を凝らす。どこから手をつければ良いのか分からないほどの惨状。

 すぐに救命救済・復旧活動が始まった。わが身はもちろん、家族をも犠牲にして任務につき、難局に立ち向かう崇高な人々の姿を各所で見る。頭が下がる。

やっぱり日本人ってすてたものではないじゃないか。近年バラバラになりかけていた日本人の心が、強く1本になっていく。私が今できることを考える。
  (2011.03.24 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載



卒業旅行

2011-03-26 21:01:33 | はがき随筆
 夫が亡くなった1年後に孫は大阪からK大へ。一緒に暮らすようになって、はや4年。もう卒業である。4月から福岡へ。その孫が鹿児島にいるうちにと、小中時代の友だち4人が大阪からやって来た。屋久島で1泊、我が家で3泊の旅。屋久島、指宿、知覧、桜島、霧島、そして黒豚シャブシャブ。鹿児島の自然と温泉と食を連日堪能した彼女たち。幸いなことに就職もそれぞれに決まり、1人は、あと2年の研修だという。
 22歳の青春の旅の一つに、鹿児島が選ばれて何よりだった。彼女たちが帰ったその日の夕方、東日本大震災を知った。
  霧島市 秋峯いくよ 2011/3/26 毎日新聞鹿児島版掲載

思いやりの心

2011-03-26 21:01:30 | はがき随筆
 夕食に招待された娘宅でのこと。お風呂に入っている小学3年生の孫が私を呼んでいる。何だろうと入っていくと、椅子にシャワーをかけながら「座って」と差し出す。「シャンプーはピンクの方、お化粧落としは白、ポンプを押してね」と気配りをしてくれる。「ありがとう」。湯船で心まで温まってくる。食卓の席にはふかふかの座布団が置いてある。「ありがとう」。
 スポーツ番組に熱中していた彼は途中で私のために「龍馬伝」に切り替えてくれる優しさ。孫の成長を喜んだ夜、ニュースは心の欠けた国々のいやな映像ばかりが流れている。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載

正体見たり

2011-03-26 20:56:16 | はがき随筆
 緑色の野鳥が、ベランダに降り立ったのが目に入る。カーネーションをつついている。今度はペチュニアの鉢に移った。
 「あらあら」と思い、見ているうちに、美味しそうに咲いていた二つの花を完食して飛び去った。
 以前にも、この種に限り、忽然と花の姿が消え、不思議で気になっていたけれど、謎が解けた気分。キク科の花には見向きもしないのに、何度もやってきては、つぼみや葉っぱまでもむしり取られて、ほぼ茎だけになる。あーあ。花が咲くのを楽しみに待っていたのに。心複雑です。
  鹿児島市 浜地恵美子 2011/3/24 毎日新聞鹿児島版掲載

共に生きる

2011-03-26 20:50:25 | はがき随筆
 前代未聞の大災害、いたわしいこと、その気持ちをどう表したらいいのだろう。
 テレビの画面に肉親や友人の安否が分からないと、孫とおばしき幼児を抱きながら涙をぽろぽろ流す初老の女性。画面をみつめ一緒に私も泣いた。間接的に寄り添うことしかできない。募金もしよう。私的には500円がかねての募金の上限だが、より気持ちを示すために、その6倍くらいはするつもり。
 近所の人は東京に住むお姉さんに「懐中電灯を送って」と頼まれ、自転車を走らせた。
 残された方々と共に、生きて生き抜こう。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2011/3/23 毎日新聞鹿児島版掲載

迷子

2011-03-26 20:43:08 | はがき随筆
 「ママ、ママ」。足元で声がした。「あれっ、ママどっかへ行っちゃったの?」。2.3歳の男の子。柔らかい手が私の手を探る。サッカー少年のように髪の毛が立っている。「大丈夫!」。レジの支払いを妻に頼んでスーパーの店内を歩いた。「マズいなあ、誘拐犯に間違えられちゃう」。店員の女性に預けようとした。彼は私の人さし指をギュッとにぎったまま。「じゃ、抱っこしようか?」。184㌢の私の目線からの方がきっとよく見える。「あっ、ママだ!」。不安で押しつぶされそうだった男の子の顔が、私の腕の中でゆっくりと緩んでいった。
 霧島市 久野茂樹 2011/3/22 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆2月度入選

2011-03-26 20:13:51 | 受賞作品
 はがき随筆2月度の入選作品が決まりました。

▽鹿児島市武、鵜家育男さん(65)の「あっ、まさか!」(6日)
▽出水市下知識町、塩田きぬ子さん(60)の「北帰行」(20日)
▽肝付町前田、吉井三男さん(69)の「感心!感心!」(15日)

──の3点です。

 このところ、夏の集中豪雨、冬の寒波、それに口蹄疫、鳥インフルエンザ、桜島や新燃岳の噴火にニュージーランドの地震と、自然の猛威を見せつけられています。自然科学の進歩発達で、人類は幸福になるように言われてはいますが、自然災害の余地予防ができる科学技術の開発は出来ないものでしょうか。
 鵜家育男さんの「あっ、まさか!」は、いつものことながら行方不明の義歯を探していると、炬燵の中で愛犬がかじっていたという内容です。サスペンス・伏線・結びと文章の構成が巧みで、まるで小説の一節のような組み立てです。
 塩田きぬ子さんの「北帰行」は、子供のころ、北に帰る鶴に、ビリの鶴が先頭になれと叫んだら、聞こえたのか本当にそうなったという思い出です。この思い出には、農作業をする両親の「映像」と、その「大地」に渡ってくる鶴の無事への祈りが絡まっていて、快い文章になっています。
 吉井三男さんの「感心!感心!」は、老骨のご自分を褒めた文章です。電気毛布も湯たんぽも借りず、自分の体温で温めた布団の「ぬくもり」を味わい、それだけの「エネルギー」があることに感心する、というのはいいですね。飄逸のなかに味のある文章です。
 入選作の外に3編を紹介します。
 伊佐市大口元町、今村照子さん(69)の「年明けに」(16日)は、対比(コントラスト)の巧みな文章です。寒波、不景気、鳥インフルエンザ、新燃岳の火山灰と騒然とした世情を列挙し、最後をいきなりお孫さんの出生で結び、ホッとさせます。出水市大野原町、小村忍さん(67)の「心に光を」(28日)は、視覚障害のマッサージ師が歌が好きだと知って、音楽会を開いてあげるという、心温まる内容です。「仁は恕(おもいやり)なり」といいますが、真似できない行為です。出水市上知識町、年神貞子さん(74)の「霜の朝」(1日)は、非常に優れた自然描写です。遠景の矢筈岳、刻々と変わる朝空の模様、菜園に降りた宝石のように輝く霜、それに霜柱を踏む時の音、どれをとっても懐かしい日本人の原風景です。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)
 

おちょめさん

2011-03-26 17:36:08 | はがき随筆
 中学3年の時、男子の転校生が私のクラスに入ってきた。国鉄職員の息子ということであった。背も高く勉強も出来て注目の的になった。誰が言い出したのか知らないが、男子も女子も「おちょめ」と呼んだ。
 彼が履いていたズボンのお尻の部分の布地が、薄くなったのであろう。ミシンでジグザグに補強してあったのが女子生徒の目に、とても新鮮に映った。そのころ、ミシンのある家庭は、我々のまわりには少なかった。
 雨の降る日、わたしは主人の破けた作業着の繕いをしている。ミシンの力を借りながら。
  中種子町 美園春子 2011/3/21 毎日新聞鹿児島版掲載

図書館にて

2011-03-26 17:29:46 | はがき随筆
 図書館にて、辞典を片手に分厚い本を読む高校生がいる。日本法規を読む彼は、夏休みには六法全書を広げていた。
 「難しい本を読むね」「将来、法学の道へ進む予習です」。彼の名答に、心臓をわしづかみされたような驚きと興奮を覚えた。100巻を超えるその本を読破する意気もよし。
 昼は将来の勉強をして、夜に大学受験の勉強をする。根を詰める君に勧めたい。「自然に遊ぶもよし。音楽を聴くもよし。ほどよい息抜きは、集中力を持続させる魔法の薬だよ」 
 彼の肩に手を置いて、エールを送り、図書館を後にした。
  出水市 道田道範 2011/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載

祈り

2011-03-22 10:47:08 | ペン&ぺん
 作家、大江健三郎氏が、かつて講演で語った話。
 長男は脳に障害を持って生まれた。当初は言葉が話せないと思った。ただ、鳥の鳴き声を聞いた時に、ピカピカと輝いた気がした。5歳ぐらいの時期た。そこで鳥の声と、その鳥の名を順番に紹介するテープを家で流し続けた。長男は言葉を発しないまま鳥の声を聞いていた。
 ある晩、大江氏が湖のほとりで長男を肩車していた。鳥の声がした。頭の上から子どもの声がした。「クイナです」。幻聴かと疑った。長男は、それまで全く言葉を語らなかったからだ。
 再度、クイナが鳴く。再び声がする。
 「クイナです」
 講演で大江氏は、こう語っている。
 「鳥の声を聞いた時、一番最初に聞いて、二番目の声が聞こえるまでの間、自分の心にあったものが、自分としては、ある祈りみたいなものだったと思っています」(新潮カセット講演「信仰を持たない者の祈り」)
   ◇
 東日本大震災が発生した。5日ほど経過した時点で知人に安否を問うメールを送った。電話回線がつながらない可能性もあった。本人が負傷している恐れも考えた。ただ学生の時、非常に世話になった人で、どうしても無事を確認したかった。短いメールを送った。
 「返事が来なかった場合どう考えたら良いか」
 「今はメールを出すべき時期ではなかった?」。送ったあとで思い悩み、戸惑った。そして返事が来るまでの間、何か祈った。特定の神様に対してではない。祈りのような気持ちと呼ぶべきか。
 しばらくして、返事が来た。
 「私は元気です」
   ◇
 震災報道が続く。悲惨な状況が日々、伝えられる。他方で、何か自分に出来ることを探す人の姿も伝えられる。震災報道が不安ばかりをあおるものでないことを願う。
  鹿児島支局長 馬原浩 2011/3/21 毎日新聞 

エコ対策

2011-03-19 15:47:39 | はがき随筆
 朝。「おい、夕べからトイレの電気がつけっ放しや」
 昼。「パソコンのスイッチ入れっぱなしよ」
 「おい、誰もいない風呂場も洗面所も電気煌々やないか」
 「あんた、テレビつけっ放しで、どこに行ってたのよ」
 「おい、応接間の電気、消すのをまた忘れてるぞ」
 夜。「くだらないテレビなんか、いつまでも見ないで早く寝なさい。地球にも家計にも優しくないわよ」
 お互いに相撲の四十八手にもない「揚げ足取り」での星取をしなが、エコ対策に一日中いそしんでいる。
  肝付町 吉井三男 2011/3/19 毎日新聞鹿児島版掲載

滑稽か本能か

2011-03-19 15:40:54 | はがき随筆
 岸壁に釣り糸を垂らし、ゆったりと魚が釣れるのを、釣り人が待つ。シューイ、シューイと水平に翼を広げてカモメが行き交う。釣り糸にかかった魚をカモメが横取りするさまを目のあたりにした。せっかく糸にかかった魚。それを風のように口ばして挟み取る横柄なカモメ。上空を旋回しては挟みとる。「滑稽? それとも本能?」。
 カモメとは知らずに夫から教わった。新発見だった。釣り人は複雑な心境だろう。憎らしいカモメと思うだろう。近くにはヒヨドリも4,5羽飛び交っていた。藍色した冬の海の潮騒が漂う和やかな光景。
  姶良市 堀美代子 2011/3/19 毎日新聞鹿児島版掲載

くらべてきたよ

2011-03-17 16:27:15 | 女の気持ち/男の気持ち
 げた箱の上の小さな置物を落として割ってしまった。これは42歳になる次男が、小学校の修学旅行で買ってきてくれたものだ。
 私は当時、慣れない倉敷の地で社員の食事作りを任されていた。料理は大の苦手にもかかわらず。
 朝7時、我が家へ5人の男子社員が食事にやってくる。昼間は女子社員の昼食作りに会社まで行った。後片付けをして10人分の夕食と朝食の食材を買い、自転車に積み込んで帰宅。午後7時過ぎ、仕事を終えた社員がバラバラにやってくる。家族を含めて全員が食べ終えると11時過ぎだ。私の自由時間は皆無。疲れ切っていた。夫は前任から引き継いだ赤字の会社を建て直すのに必死で家族を顧みる心の余裕はなかった。
 私は子どもたちについついつらく当たっていたのだろう。ある日、次男が言った。
 「お母さんはどうしていつも怒ってるの」
 私は彼の気持ちに向き合うこともせず、「うるさい」と一喝してしまった。
 そんなとき、このお土産である。それは、大きく口を開けて笑っている素焼きの人間。メッセージがついていた。
 「くらべてごらん」 
 一瞬、ガツンと一撃を食らった感じがした。
 その時から今日まで30年、自分を戒めるために目につく所に置いていたのだ。粉々になったそれを見て、しまったとは思ったが、もう許してくれたんだよねとも受け取っている。
 宮崎市 若杉英子 2011/3/17 毎日新聞の気持ち欄掲載

南埠頭の桜島

2011-03-17 16:07:08 | はがき随筆

 鹿児島大学病院の定期検診、そろそろ無罪放免かと、呑気に構えていたのだが、再びコルセットを着用し、1ヵ月後に診察を受けることになった。港に着き、ちょっと落ち込んだ気分で舟を待つまでの間、ドルフィンポートの足湯につかった。
 目の前の桜島をぼんやりと眺める。ふと思い出した。前回の検診の際、カメラを忘れて撮れなかったので、今回は持ってきたのだった。カメラを構え改めて桜島の雄大さを認識した。
 「そうだ、来月またこのでっかい山を撮れるじゃないか」。船に乗り込む時、少し気が大きくなっている私がいた。
  西之表市 武田静瞭 2011/3/17 毎日新聞鹿児島版掲載 写真は武田さん提供 

かえらぬ先輩

2011-03-17 15:49:41 | はがき随筆


 先月86歳で逝去された大先輩S氏の亡き後、心の空間はそのまま。「人の価値は、いかに世のために生きたかで決まる」と常々口にされていた。
 合併前の樋脇町で七つの長の肩書きで最善を尽くし、住民の信望の的であり、気配りと面倒見のよい優しさが地域の「サロン作り」の先導となっていた。
 本紙の「はがき随筆」における積極的な自己主張で、多くの読者を支え、刺激を与えた。
 ハーモニカ同好会のボランティアに参加し、さつま狂句同好会に属しユニークな発想の句で他に範を示された。尊敬する大先輩。死を悼むことしきり。
  薩摩川内市 下市良幸 2011/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載
写真は在りし日のS氏 毎日ペンクラブ総会にて ハーモニカ演奏