はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

浴衣リフォーム

2011-08-31 12:21:48 | はがき随筆
 町の果物屋さんで、M子さんと数年ぶりに出会いました。
 「うわ、すてき、自分で作ったの?」「そう、浴衣よ。箪笥の中の片付けも兼ねてね」「私にも教えてちょうだい」という訳で、K子さんと3人で作ることになりました。
 しつけ糸を通す人、切りじつけをする人、縫う人となり、モンペ風のパンツはすぐできました。上着は型だけ採って、自分でしてもらうことにしました。
 後日、彼女が「見て、見て」と大喜びでやってきました。しま模様が上手に生かされ、体にぴったりで、格好よかったですよ。
  阿久根市 別枝由井 2011/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載

巣立ったキジバト

2011-08-30 23:45:19 | アカショウビンのつぶやき


ちょうど1週間まえのキジバト「キーチャン」です。
胸の産毛はまだ残っていますが
幹に止まるのも大分安定してきました。
まだ上手に飛べないようで、よく親鳥がやって来ます。
ある時は、厳しい特訓中? かと思われる場面を見てしまいました。
ヒナに飛びかかっていたのです。
最初は授乳中かな…と思ったのですが、
よく見ると飛び立つように厳しく促しているようでした。
しかし、ヒナはやっぱり木陰に逃げ込んでしまいました。



このキウイフルーツの根っこが好きでよくこの幹に止まっています。
地上から50㌢そこそこの高さなので、猫が心配ですが、
ここから動こうとしません。
よく見ると羽根がアンバランスに見えます。



後ろから見るとやっぱりおかしい…。
羽根のたたみ方がまずいのかなぁ。

いろいろと心配は尽きませんでしたが
この日以来姿を見せなくなりました。
たぶん、厳しい母親の(いやパパだったのかな)の特訓によって
無事に飛び立ったのでしょう。そう信じています。

2カ月近く、やきもきしましたが、楽しい観察をさせて貰いました。

キーチャンありがとう。

でもチョッピリ寂しい アカショウビンです。

私の秋

2011-08-30 23:02:27 | アカショウビンのつぶやき


ここ数日、明け方の涼しさには、寒ささえ感じるようになった。
全開の窓から入る夜風は、もうすっかり秋の気配。
日中の暑さは相変わらずだが、
木陰に入ればさわやかな風にホッとする。

例年ゼフィランサスが、ポツポツ咲き始める頃が私の秋。
日中の強い日差しの中でも、真っ白な花弁は涼しげに周りを彩る。
白ばかりでは変化がない!
と今年は五色のゼフィランサスの球根を植えたが、
やっぱり私の庭にふさわしいのは白だった。

今年の夏の庭の優等生はなんといっても、フロックス。
一昨年株を頂いたものだが、すっかり咲き終わっても、
またすぐに新しい蕾が現れ、酷暑の夏も元気に、
かすかな甘い香りを振りまきながら、
こぼれるように咲き続けている。

来年は株分けして差し上げる約束がいっぱい…。

今日も水やりが忙しい アカショウビンです。

ブログ更新も、ままならぬ、多忙な日々で、
お越し頂いた皆様には本当に失礼いたしました。
これからは、滞らぬよう心して参ります。
「はがき随筆」ブログをよろしくお願いします。
 
by アカショウビン

知らなかった!

2011-08-30 22:01:59 | はがき随筆
 月曜掲載の「週刊漢字」をいつも見させていただいて「なるほど」「日本語は難しいな」と思っていたが、7月25日の「竹夫人」(ちくふじん)には驚かされた。今まで知らなかったとはいえ、感動であった。
 あの竹や籐で編んだ抱き枕を竹夫人というのだそうだ。早速、広辞苑を引いてみるが、それ以外の意味は載っていなかった。いつの時代から、どういう人たちの間で使われるようになったのか。中国あたりからやって来たのか。さまざまを考えて眠れない。竹夫人を用いると安眠できるのかもしれないが……。涼しくて心地よさそうだ。
  肝付町 永瀬悦子 2011/8/30 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの記憶

2011-08-30 21:54:12 | はがき随筆
 ぼくは5歳、母と妹の3人で暮らしていた。武蔵野の雑木林の一角。家の周りには赤松の大木があった。環境の記憶はずっと見ながら成長したが、あの日の出来事はたった1日の今思うと瞬間的に経験した記憶である。雑音が多いラジオの声を必死の形相で聞く母の迫力に、言葉を掛けることができず、縁側に腰掛けて焼けるような日差しを浴び、蝉の声を聞いていた。母は戦争は終わったと言ったと思う。出征している父が帰ってくると喜ぶぼくを母はたしなめた。そしてその夜から空襲警報のサイレンを聞くことはなかった。
  志布志市 若宮庸成 2011/8/29 毎日新聞鹿児島版掲載

ご苦労様

2011-08-30 21:46:26 | はがき随筆
 私は生まれてこの方、新聞を踏んだことがない。いや、踏めないと表現した方が的確である。それが、先日の日曜日に踏んでしまった。空高く快晴なのに、私の心は黒雲がすき間なく覆い、一日中晴れなかった。
 小5で本紙を配り始め、高校卒業までの8年間従事した。各戸で待っておられる。ホットなニュースを朝一番に届ける。風雪にぬらさないように、遅延しないようにするには、並大抵の苦労ではなかった。
 その苦労と努力を踏みにじるようで新聞を踏むなどめっそうもない。5時ちょうどに、今朝も新聞が届く。「ご苦労様」。
  出水市 道田道範 2011/8/28 毎日新聞鹿児島版掲載

洋服今日考

2011-08-30 20:57:27 | はがき随筆
 寝間着は私も弟も前あきのタオル地のつなぎものが1.2年生のころの服。そのあと弟妹に譲り統制・配給時代に突入した。私はネルの着物を常用し夏は母の縫ったサラシの襦袢にスカート? よく思い出せない。いよいよ厳しくなった戦争の世情。親の着物を解いてモンペを作ってもらった。4年生の裁縫で下ばきの形作りを習い、自分で縫ったが、もう布がなくて……。今日のあふれる四季の服を見ると「選ぶ」稽古をしなかった私は面倒くさくなり必要な時、あつらえたスーツに逃げる。それが15年ほど前のことになるのに着れるので幸いだ。
  鹿児島市 東郷久子 2011/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載

ヘチマ

2011-08-30 20:52:09 | はがき随筆

 我が家の緑のカーテンは順調に育ち、ゴーヤの実も食卓に上った。ビールのつまみにもってこいだ。さて、ヒョウタンは。
 「鹿児島人はツルになる実は何でも食べるので、ヒョウタンも食べるのか」と尋ねると聞こえぬふりをされた。
 子どものころ、自宅の庭になったヘチマをタワシにした経験がある。鹿児島に来て結婚した当初、ナスビの味噌汁と思い口にした具がヘチマだった。経験したことのない食感に、思わず「鹿児島の人はタワシも食べるのか」と毒づいた。今では多様な食文化にもなれ、タワシいやヘチマも美味だと感じている。
  鹿児島市 高橋誠 2011/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載

敬老パス

2011-08-30 20:45:20 | はがき随筆
 鹿児島市民になる。写真付きの敬老パスを申請、大いに利用できそう。家に居ることもなく天文館も中央駅までも片道で、なんと110円。けち臭い私に幸運な一時をつくりだす。
 温泉も100円で25回も、無料入浴できる。健康作りにバッチリ! たっぷり気分爽快。満70歳以上の市民の優遇か。利用者が多いことで、街も賑やかに、活気作りに役立つことが狙いとも思われる。
 余分は、貯金し旅行の夢か。焼酎代それとも本代か。ゆったりの気分が、介護保険料のお知らせで一瞬に消えてしまうる福々顔もいつの間にやら。
  鹿児島市 岩田昭治 2011/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載

死は後ろより

2011-08-30 20:39:25 | はがき随筆
 脳出血で倒れて、半身マヒのままの夫の療養生活も、やがて6年目を迎える日が近くなってきた。
 夫のすぐ前にある、と思っていた「死」を意識し、怖がってきたが、死は目の前にはっきりわかるように存在するものだろうか? 「死は前よりしも来たらず。かねてうしろに迫れり」と兼好法師様も言っておられるように、死は後ろから静かに迫って来るのだ。夫ではなく、私かもしれない、と思う。
 今、生かされていることを感謝し、命を愛し、大切に時を運ばなければならない、と強く感じる夏である。
  鹿児島市 萩原裕子 2011/8/24 毎日新聞鹿児島版掲載

特集「絆」

2011-08-30 17:09:30 | はがき随筆
 今年の毎日はがき随筆大賞表彰式に合わせ、東日本大震災の発生を踏まえて「絆」「命」をテーマに、はがき随筆文学賞を募集しました。県内からも多数の応募をいただき、ありがとうございました。残念ながら文学賞5作には入賞を逃しましたが、味わい深い作品が寄せられたことから、県内からの応募作のうち、「絆」に関するいくつかをご紹介します。なお、執筆時点から時間が経過しておりますが、表現や作者の年齢などは投稿時のままとさせていただきました。また、一部の作品にはサブタイトルを付しました。ご了解ください。
鏡島支局長 馬原浩


 「母は生きている」 出水市武本 中島征士
 私の料理を3人娘がよく食べてくれる。その味が今は亡き祖母を思い出されるらしいのだ。
 少年の日、6年近く病気で寝ていた母。料理が上手だった母は、日常食の作り方のコツを私に分かりやすく伝授した。
 「父ちゃんにウナギを食べさせてくいやん」。ある日、母は父の好きなかば焼きを私に頼んだ。私はウナギが嫌いだった。が、母の調理法で作ったかば焼きは、全くにおいが消えて私にも美味だった。
 既に父母はいない。が、娘たちとかば焼きを作って食べる。やはり母の味はいい。今でも私の中に母は生きている。


「被災地を思う」 出水市 清田文雄
 大地震→大津波→原発爆発。信じがたい惨状に息をのみ、涙し心を痛める東日本大震災。
 世界初の大災害に外国の支援援助の手は早く、人間の“絆”を感じて胸を熱くする。国民は何かをしなければ……と行動を起こした。ボランティアに行けない我が家では義援金や生活用品、クリーニングした毛布や紙オムツを送り、気持を鎮めた。今は節電に努めたり、夏物衣類を準備中だ。
 9年前、福島県であった「うつくしまねんりんピック」では多くの人の世話になった。記念の大タオルを枕カバーにして被災地に手を合わせる日々。


「声のリレー」 霧島市 久野茂樹
 「おい久野、みんなの声を聞かせるぞ」
 耳に当てた携帯電話に次々と声がリレーされる。続けて届いた写メールには、しどけない浴衣姿で酒盛りに興じている初老の男たち。高校時代、共に柔道に打ち込んだ仲間たちだ。
 思い出が頭をよぎる。練習をサボろうとして見つかり油を絞られたこと。新人戦の先鋒で一本負けしたこと。練習後、パンの耳をもらいに行かされたこと。
 あれから40年以上、自ら命を絶った仲間もいるが、青春を謳歌した仲間たちとの絆はつながっている。


「約束の再々会」 伊佐市 山室浩子
 亡き夫の学生時代の親友が夫の病気を知り秋田から35年ぶりに会いに来てくれた。
 2人は苦楽をともにした4年間を、昨日のことのように語り合い、そばで見ている私は男同士の熱い友情にちょっびり焼き餅をやいた。
 それからの6カ月、彼から128枚もの絵はがきが届いた。内容は近況や秋田の風物詩、観光名所などなど。夫を励ますための詩や句が必ず添えられていた。「故郷やどちらを見ても山笑う」
 夫は約束の再々会を夢見て過酷な治療を受けながら絵はがきを心待ちにしていたのである。


「夕焼け雲の絆」 姶良市 堀美代子
 夕暮れに部屋のカーテンを閉めようと、空に視線を注ぐ。琥珀色の夕空が美しく幻想的。雲の塊がゆったりと北の空へ流れる。雲は「角張ったお父さん雲、卵形の優しいお母さん雲、丸い小さい雲は子雲」。父さん雲と母さん雲は肩を寄せ合っている。声が聞こえるよ。父さん雲は母さん雲に「ご苦労さん、感謝してるよ」。母さん雲は父さん雲に「ありがとう」と言葉を交わした。家族団らんの幸せの時。親子雲は強く深い絆で結ばれている。強い風が吹き、親雲が両脇を包み真ん中に子雲がいる。震災地の空へと、やがて雲は流れ、つながるだろう。

喜寿の祝い

2011-08-30 17:02:39 | はがき随筆
 初任地は旧串木野市立荒川小学校であった。2年目に担任したのが6年生であった。一巡り違いの彼らとは無性に気が合い今でも太い絆で結ばれている。
 彼らは4年前に還暦を迎え、記念の同窓会に招かれた。その折、私の喜寿の祝いが話題となり、早くしようと数え年で、志布志ですることに決まった。
 あれから4年。各地から集まった20人が、バスを仕立て私邸に来訪。夜は夫婦を招いて祝ってくれた。2次会はオジさんオバさんがホテルの一部屋に集まり夜中まで過去を語った。
 女性の面々、初恋の相手が私であったと聞かされて驚いた。
  志布志市 一木法明 2011/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

人生花づくし

2011-08-30 14:09:51 | はがき随筆
 華やかな大輪の花、慎ましく控えめな花、野に咲く素朴な花、とげのある花、可愛い花、凜とした花、名も知らぬ花。花にもいろいろあります。どんな花でも、すてきな花言葉を持っています。花言葉は茶色や姿、香りや佇まいなど花それぞれの個性から生まれたものです。詩や歌、古い伝説、神話民話にも花は多く用いられます。
 花とは麗しいこと、華やかなことの意。女性も花にたとうられます。
 花が咲く。花も実もある。今が花。両手に花。花形。花盛り。花の18歳。花嫁……花で飾る言葉は、どれも縁起が良い。
  指宿市 池元民子 2011/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載

ラジオ体操

2011-08-30 13:51:14 | 女の気持ち/男の気持ち
 6年前に定年退職した夫は朝のラジオ体操を家の中でするのを日課としている。ある朝、床を指さしてのたまった。
 「ラジオ体操は身体全体に良かで、わいも俺の後ろでよう見て、ここでせい」
 絵に描いたような頑固者の夫。指先まできれいにそろえて気をつけの姿勢の夫の後ろに立ち、短い足の後ろ姿をまじまじと見て、2人でラジオを聞いた。
 「両手を肩に置いて、大きく肩を回しましょう」
 軽快な声とピアノ。すると夫は両手に肩に置いたまま、ぎこちなく上体を回し始めた。思わず噴き出してしまった。夫の前に行き、「こうだよ」と肩を回すと、「そうか」とばつの悪い顔。
 ラジオ体操第一が終わり、第二へ。途中、どうにもピアノと合わないところがある。すると夫は、早送り状態で合わせた。私は笑いを必死にこらえた。確かに夫の言う通り、身体全体、おなかの皮まで痛くなるほど運動できた。
 38年間、良くも悪くも夫の背中で生きてきた。たびたび途中下車しそうになりながらも時は流れ、気が付けば3人の子と5人の孫たちとの穏やかな老後の生活があった。
 3月の大震災では、人の究極の幸せは平凡な日常であると、改めて誰もが思い知らされた。住む家があり、家族がいて、こまやかな生活がある。その最高の幸せを大切にしたいと私もまた思いを新たにした。
  出水市 塩田きぬ子 2011/8/21  毎日新聞の気持ち欄掲載

炎天下の記憶

2011-08-30 13:43:45 | はがき随筆
 もう一つの甲子園、全国高校軟式野球選手権南部九州大会を観戦。弾むボール、打球の音が懐かしい記憶は誘い出してくれた。昭和33年武中学校の部活。軟式ボールが打てない。うまく守れない。一生懸命練習した。
 この努力が基礎となり、のちの野球人生に大いに役立った。
 プレーとは別な特別な思い出が浮かぶ。それは当寺昼食に牛乳が配られ、私の机に毎日何本も牛乳瓶が並んだ。級友が「練習ガンバレ」と、くれた。
 麦ご飯を山盛り詰めたどか弁に、その牛乳をぶっかけてたべた。これが成長時の強靱な筋肉をつくり上げてくれた。
  鹿児島市 鵜家育男 2011/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載