はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

バイキング

2015-03-29 22:50:26 | はがき随筆


 行きつけの生協でたまに「おかずバイキング」を利用する。
 台の上に出来立てのおかずが40品くらい並ぶ。いろいろパックに詰めて、その場で量ってもらうと料金も記される。1㌘1円。
 先日、本紙「時代の風」に京都大学長が描いておられたが、ドイツのハイデルベルク大学の学生食堂のランチもこのような方法が取られていた。人件費の節約にもなっているとか。
 5人家族の賄いをする私は、時には息抜きがしたいし、おいしいお総菜をかれかれ選ぶ楽しさもある。学生さんたちの感想が知りたかった。
  鹿児島市 内山陽子 2015/3829 毎日新聞鹿児島版掲載

浦島太郎と私

2015-03-29 22:40:14 | はがき随筆
 55~62歳の間、夫の介護を考えてみるとやはりきつかったと思う。気付いたら「美魔女?」の時期をとっくり通り越し、おばあちゃんになっていた。
 いざ、新しい何かをしてみようと思っても、7年間のブランクは私の中の世間も狭くしているし、見渡せば、変わった事だらけだ。飛行機にも乗ってみたいが、今どんな航空会社がどんなサービスをしているのかも知らない。そして、一番の問題は、心と体か行動についていけるかだ。安定剤なしに。
 物語の浦島太郎は、あれからどう生きていったのだろう……。最近よく考える。
  鹿児島市 萩原裕子 2015/3/28 毎日新聞鹿児島版掲載

罪滅ぼし

2015-03-29 22:20:32 | はがき随筆


 間もなく鶴の北帰行が終わる。その時期になると、今度は南からの便りツバメの初見がある。今年はとても楽しみである。
 昨年、日本野鳥の会が販売を開始した木製のツバメの巣箱を購入した。年の瀬に知り合いの電気屋にモルタルの壁に取り付けてもらった。
 昔巣を掛けていた所に毎年顔は見せても、私がそぎ落としたので改めて巣作りをしなかった。しかし去年はそれまでと違い数多くの泥を運んで来た。でもそこまでだった。だからその隣に巣箱を取り付けた。難儀を少しでも減らしてやりたい。はてさて、私の罪滅ぼしは、いかに。
  いちき串木野市 新川宣史 2015/3/27 毎日新聞鹿児島版掲載
Wild Bird日本野鳥の会ホームページ

今年の桜

2015-03-29 22:11:59 | はがき随筆
 桜は絢爛豪華に咲き誇り、鳥は高貴な声で奏でる。孫息子と孫娘の入学、入園を迎える。好きな絵をはがきに描いてくれる。じいじとばあばのしわの寄った顔、芸術作品風。誕生日には画用紙いっぱいにクレヨンで塗り潰しの絵のプレゼント。「ありがとう」。絵を壁に貼る。部屋が反射しまぶしく明るい。時には孫娘の張り切った声。魔法の声に力が湧き、元気をもらう。何にも代え難い。宝物。神様からの賜物。4歳の妹と母親は登下校の道のりを歌を歌い、おしゃべりの道中はあどけない光景が目に浮かぶ。「心の桜」が咲いた。おめでとう。
  姶良市 堀美代子 2015/3/26 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆 2月度

2015-03-29 21:41:30 | 受賞作品
 はがき随筆の2月度の入賞者は次の皆さんです。(敬称略)

【月間賞】15日「笑顔の春になれ」清水昌子(62)=出水市明神町
【佳作】2日「切り干し大根」塩田きぬ子(64)=出水市下知識町
【佳作】16日「たこ揚げ」宮路量温(68)=出水市中央町


 笑顔の春になれ 入学は一般的には期待や楽しみですが、養護施設の児童は小学校に入る時に、今までの職員とも別れ新しい学童棟に移るので、それを不安に感じるS君の心の動きを思いやっての優しい文章です。社会的な弱者に対する思いやりには、こういう気づきが大切だと考えさせられます。
 切り干し大根 切り干し大根を作っていたら、孫娘に手つきがいいと褒められた。考えると、母も義母も作っていて、それを自分が引き継いだ。自分の母や義母への思い出と同じように、祖母の思い出として孫娘の映像に残るといいと感じた。ささいなことかもしれませんが、こういう家族の歴史は大切なものだと思います。
 たこ揚げ 定年を過ぎてから、正月には妻とたこ揚げをしている。足下の稲株の踏みつけられる音やたこ糸の力強い手応えが楽しい。傍らを通る人も立ち止まって見てくれる。特別のことでもない遊びですが、高齢になって夫婦でたこを揚げるというのは、やはり特別の充実した贅沢な遊びといえそうです。文章に心地よい雰囲気が流れています。
 次に3編を紹介します。
 武田静瞭さんの「かくれんぼ」は、庭木に来るメジロをカメラに納めようとしたら、まるでかくれんぼをしているように、動き回る。近くでヒヨドリも参加(?)したいのかそれを見ていた。今月は小鳥を素材にした文章が多かったのですが、メジロの動きをかくれんぼとした見立てが、軽妙な味をだしていますので選びました。
 小村忍さんの「子守唄」は、五木の里にも天草の福連木にも伝わる同じ子守唄に、子守に出されて子どもたちの貧しさと辛さとを思いやった内容です。子守唄の背景への思いがよく表れています。
 本山るみ子さんの「元気で何より」は、大正未年生まれの叔父から年賀状がこなかったので、心配して電話してみても、応答なし。ところが、年賀状の返事に元気な電話があって、一安心。年賀状はやはり、家族のつながりではあります。
  (鹿児島大学名誉教授 石田忠彦) 2015/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載

桜の季節に

2015-03-28 22:02:27 | ペン&ぺん
 


全国のトップを切って21日、鹿児島で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表された。春本番だ。
 この季節になると、鹿屋市で開かれる特攻隊の戦没者慰霊祭を思い出す。戦争末期、海軍の鹿屋航空基地から多くの特攻機が出撃し、南海に散った。戦後は海軍から海上自衛隊の航空基地となり毎年4月に小塚公園の慰霊塔で営まれている。20年前、私は鹿屋通信部の記者で慰霊祭を取材。家族らが参列する公園上空を海自の航空機が慰霊飛行したのが忘れられない。特攻機も眼下の桜を見て、沖縄方面に向かったのだろう。遺族の高齢化は当時から顕著で父や兄弟を失う悲しみ、戦争の非情さを語り継ぐ人たちが少なくなっている。MBCテレビでドラマ「永遠の0(ゼロ)」が放送されたこともあって、娘2人を連れ、鹿屋市にある海自の鹿屋航空基地資料館を訪ね、零戦の復元機や戦死した若者らの遺影、家族宛の手紙などを見た。生きていれば89歳で、敗戦の年に20歳だった私の父と多くの特攻隊員が同世代。18歳の長女は「私と同年齢の人やおじいちゃんと同級生ぐらいの人が大勢いたよ。死ぬ前にこんな立派な手紙は書けない」と信じられない様子だった。
 選抜で神村学園は強豪校の仙台育英(宮城)に破れたが、最後まで諦めず、高校生らしいプレーを見せてくれた。県外から「鹿児島の神村」を志して進学してくる選手も多い。毎日新聞社が「選抜」の主催者だからではないが、選手らは取材に対し、誠実に受け答えした。鹿児島の皆さんの応援や協力があったからこそ、甲子園の土を踏めたのだと感謝している。今大会は、本来の実力を出せなかったが、夏の甲子園も、来春の選抜もある。
 この春、受験で失敗した人も、進路の希望がかなわなかった人も、悔しさをバネに、努力を忘れず、大きな夢に向かって再び挑戦してほしい。
 鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載

昭和19年戦死

2015-03-28 21:53:18 | はがき随筆
軍港だった佐世保の宿に面会に行ったのは、私が4歳になる少し前の3月か。面会でごった返すその日のことはぼんやりと覚えている。「母ちゃんのげたを履くな」とよその子に言ったとか。2人並んで座るように父と母をくっつけたとか。一緒に行った伯母がよく話してくれた。だからか、その日のざわめきは耳に残るのに、父の顔も姿も声も思い出せない。もうこれが最後だろうと父ははっきりと言ったという。その時の父の気持ちを思うと切ない。父の乗っていた艦は3月25日に出航。6月8日に南洋で敵の雷撃に沈没。2日後に父は戦死した。
  霧島市 秋峯いくよ 2015/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載

毎日俳壇年間賞

2015-03-28 21:44:39 | はがき随筆
 例年のごとく本紙に平成26年度毎日俳壇年間賞が発表されました。小川軽舟先生選<ポケットの外は教室雨蛙>の私の句が選ばれたのです。
 「やったあ、万歳!」。4年前の受賞に続き、2度目の快挙です。思い起こせば、俳句も短歌も川柳も誰彼の師事を受けるでもなく、7年前に手探り状態で始めたのです。
 本来なら句会や歌会などにも足を運び、幅広く研鑽を積まなくてはいけないのでしょうが、無手勝流を通しています。どうかお許しください。賞金はそっくり妻にプレゼント。再び私の旅は続きます。
  霧島市 久野茂樹 2015/3/24 毎日新聞鹿児島版掲載

浄土への入り口

2015-03-28 21:37:35 | はがき随筆
 昨年1月、私は腹部大動脈瘤の手術で全身麻酔をしました。背中の下の方にチクリチクリと針で刺したような感触、そのうちに脳の方に麻酔が効いてきて、何も感じなくなりました。
 「済みましたよ」との看護師さんの声に目を開けると、そこは病室のベッドの上でした。私は記憶をたどろうと一生懸命考えましたが、何も思い出せません。完全な無の世界の4時間、夢も見ていませんでした。
 もし手術に手違いでもあって死ぬことがあったとしたら、その時花園が見えたでしょうか。いいえ何も見えません。「千の風」も吹いていませんでした。
  鹿児島市 野幸祐 2015/3/23 毎日新聞鹿児島版掲載

通知表

2015-03-28 21:30:51 | はがき随筆
 実家で中学の通知表を見つけた。1年生のもので、担任は理科の山口重夫先生。40代のおおらかな先生で、生意気盛りの私たちは伸び伸びと勉強できた。
 当時、私の身長は133㌢、体重が27㌔。通知表には虚弱体質を心配されたのか「夏休み中に鍛錬をするように」。学習面では「読書は思考的な読み物を心掛け、点数に拘泥せず実力をつけるように努力しなさい」と。きれいな文字で書かれている。
 先生は2年間、担任をされたが、卒業後一度もお会いすることはなかった。六十数年ぶりに出会えた通知表。先生に感謝し、大切にしまっている。
  鹿児島市 田中健一郎 2015/3/22 毎日新聞鹿児島版掲載

僥倖

2015-03-28 21:22:26 | はがき随筆
 揺るぎなき幸福などありえない。日々の営みの中で私たちにもたらされるささやかな幸せは、時にもろく、時にはかない。それはこの世に生を受けたもの全てにつきまとう、運命。
 「いつ、何時、何があるかわからない」幾多の災厄の度に人々が感じる畏れ。だからこそ願う「恒久の平和」。
 どんなに大切に守り、育んでも、いつかは失われてしまう運命にあるこの世の命たち。私たちはこの命の輝きによってのみ、真の幸せを知る。
 生きとし生けることの幸せ。それこそがまさに僥倖。天から与えられた賜物(ギフト)。
  鹿児島市 奥村美枝 2015/3/21 毎日新聞鹿児島版掲載

便秘

2015-03-28 21:14:33 | はがき随筆
 9年前に炊事軍曹を引き受けて、私は野菜をほとんど出さなかった。それまでも便秘がちな母が「出ない、全く出ない」と朝、大騒ぎを始めた。
 母は93歳になる。今更と思いつつも、3食にサラダを付け、緑の野菜も付けた。20日も過ぎた頃、「ちっとじゃが、出たよ」と喜ぶ。1ヶ月経過した朝、「でた、出た……」と。母の歓声がボロ家をゆする。
 あまりにも早い効果に、母は目をパチクリしてはしゃぐ。もっと早く、野菜中心の食事にしなかったのか。炊事軍曹は臍を噛む。「難儀をさせて、ごめんなさい」
  出水市 道田道範 2015/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載

年寄りの冷や水

2015-03-25 22:27:17 | 岩国エッセイサロンより
2015年3月25日 (水)


岩国市  会 員   沖 洋子

 この歳になって、昔習ったことのあるエアロビクスを始めた。若い人たちに交じってのレッスンは思った以上にハードだ。リズムに合わせてステップを踏むだけなのに、難しい動きになると体がついていかない。動作がワンテンポ遅れてしまう。  
 30分のレッスンが終わると、出口でインストラクターが「最後までやったね!」と声がけをしてくれる。下手を恥ずかしいと思う気持ちが吹っ飛ぶ。帰りにはよれよれになりながらもケガだけはしないようにして続けたいと思う。体を動かすことが出来る楽しさをもっともっと味わいたいからだ。  
   (2015.03.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロン より転載

定年は折り返し 納得

2015-03-24 21:57:22 | 岩国エッセイサロンより
2015年3月23日 (月)

    岩国市   会 員   山本 一

 在職中に交流のあった関西の知人が、「一緒に飲みたい」と岩国にやってきた。
 彼の話は衝撃的たった。65歳で退職後、料理学校に入学し、1年後のこの3月に卒業。これから小料理屋を始める予定で、90歳までやるとするとまだ20年はやれるという。寮に入ったので、既に約400万円を先行投資したそうだ。
 私は61歳で退職した。その時「人生の大半は終わっ た。これからの第二の人生をどうしようか」と考えた。いうなれば、「付録の人生」として意識した。
 しかし、よく考えてみると、今は人生100年の時代だとあの日野原重明先生も暗示している。私の場合、在職は42年で退職後は約40年もある。どうみても付録の人生は聞違いだ。定年は人生の折り返し点なのだ。
 とはいえ、身体機能は明らかに下降線をたどっている。体と折り合いをつけながら、余生ではなく「後半の人生」を生きよう。
 知人に刺激され、趣味ざんまいの日々が心の中で、より重要さを増した気がする。

   (2015.03.23 中国新聞「広場」掲載 )岩国エッセイサロンより転載

北帰行

2015-03-19 15:51:22 | はがき随筆


 ツルを見れば、10年前に逝った同僚の君を思い出す。「ツルは私の家からよく見える」と毎年、誘ってくれた。久しぶりに君に会いたくて、紅梅と水仙を一輪ずつ持参し墓参り。
 小高い丘の一角の墓石は整備され、納骨堂と化していた。鶴観察センター、休遊地、鶴群が一望できる。鶴の夫婦仲、家族愛、団結力に、人を重ね合わせた鶴談義に生前がしのばれる。 合掌し、鳥インフルの顛末を語るが、無言の君は、僕の心から北帰行する。あたかも、休遊地辺りから、早春の穏やかな大空高く、鶴の一団が鳴きながら旋回し、上昇気流に乗る。
  出水市 宮路量温 2015/3/19 毎日新聞鹿児島版掲載