全国のトップを切って21日、鹿児島で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表された。春本番だ。
この季節になると、鹿屋市で開かれる特攻隊の戦没者慰霊祭を思い出す。戦争末期、海軍の鹿屋航空基地から多くの特攻機が出撃し、南海に散った。戦後は海軍から海上自衛隊の航空基地となり毎年4月に小塚公園の慰霊塔で営まれている。20年前、私は鹿屋通信部の記者で慰霊祭を取材。家族らが参列する公園上空を海自の航空機が慰霊飛行したのが忘れられない。特攻機も眼下の桜を見て、沖縄方面に向かったのだろう。遺族の高齢化は当時から顕著で父や兄弟を失う悲しみ、戦争の非情さを語り継ぐ人たちが少なくなっている。MBCテレビでドラマ「永遠の0(ゼロ)」が放送されたこともあって、娘2人を連れ、鹿屋市にある海自の鹿屋航空基地資料館を訪ね、零戦の復元機や戦死した若者らの遺影、家族宛の手紙などを見た。生きていれば89歳で、敗戦の年に20歳だった私の父と多くの特攻隊員が同世代。18歳の長女は「私と同年齢の人やおじいちゃんと同級生ぐらいの人が大勢いたよ。死ぬ前にこんな立派な手紙は書けない」と信じられない様子だった。
選抜で神村学園は強豪校の仙台育英(宮城)に破れたが、最後まで諦めず、高校生らしいプレーを見せてくれた。県外から「鹿児島の神村」を志して進学してくる選手も多い。毎日新聞社が「選抜」の主催者だからではないが、選手らは取材に対し、誠実に受け答えした。鹿児島の皆さんの応援や協力があったからこそ、甲子園の土を踏めたのだと感謝している。今大会は、本来の実力を出せなかったが、夏の甲子園も、来春の選抜もある。
この春、受験で失敗した人も、進路の希望がかなわなかった人も、悔しさをバネに、努力を忘れず、大きな夢に向かって再び挑戦してほしい。
鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/3/25 毎日新聞鹿児島版掲載