はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ヤマダイ甘藷

2022-03-31 18:31:32 | はがき随筆
 3年半前に82歳で亡くなった夫は存命中、農業指導員として生産者の方々とさまざまな苦労の末、ヤマダイ甘藷の産地ができたと喜んでいた。今その甘藷が基腐病に遭っていると聞き心配でならない。
 農協のお一人が「収穫した甘藷を一番先に村上さんに見てもらいたくて」と3年も続けて届けていただいている。そのたびに、お気持ちがありがたく、涙てお仏壇に供える。
 その方も「おられればのう」と多く語ることもなく帰っていかれる。夫が存命なら、生産者と対策を講じていたのではと口惜しく、そっと遺影を見上げた。
 宮崎県串間市 村上恵子(83) 2020.3.21 毎日新聞鹿児島版掲載

列車にて

2022-03-31 18:24:53 | はがき随筆
 久しぶりに列車に乗った。車内は見る限り、やはりと言うか、ほとんどの人がスマホをいじっている。ところが一人だけ読書をしている女子高校生がいた。背筋をすっと伸ばし、集中して読んでいる姿が好ましい。私と言えば、ぼんやりと窓の外を眺めていた。空や山川、田畑や家、鳥、人など見えるものはたくさんある。その景色から人々の暮らしを想像するのも楽しい。疲れたら、うとうとする。かの女子高校生と私、今の世では全くの少数派である。それにしてもスマホを操作している若い男の子たちの指が白く細く華奢なのには驚いた。
 熊本県玉名市 立石史子(68) 2022.3.20 毎日新聞鹿児島版掲載

人生

2022-03-31 18:16:20 | はがき随筆
 人生を振り返る。親元で無我夢中の10代。社会と出合い、自分の小ささを知り飢え自己嫌悪に戦い続けた20代。性欲にもてあそばれ劣等感を育て続けた30代。アトピーにさいなまれながらも人生の根を張る実感を得た40代。のしかかる責任と金のやりくりの苦に囲まれ、苦だけを見つめ、苦から逃げたいと死の入り口を見つめ続けた50代。何とか苦を生き抜き人生の味を覚え始めた50代。
 古希間近。でも人生分からぬ事ばかり。亡き人への報告もまとめなければならない。父の寿命まで残り6年。何ができるかと残りの人生忙しそうである。
 鹿児島県湧水町 近藤安則(68) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

風と共に去りぬ 再び

2022-03-31 18:07:21 | はがき随筆
 半世紀以上前に感動した場面は、今見ても色あせていなかった。スカーレットは両親と娘を亡くし、更に夫が去る時に投げた言葉は「君ならどんな困難でも乗り越えるエネルギーを持つ」。
 地に伏して慟哭する彼女が偶然目にしたのは、不毛の土で懸命に生える大根。「神よ、私は負けません。絶対に生き抜いて、二度と民を飢えさせません」。それをつかんで、夕日に染まる大地に再び立ち上がった。
 大農園の娘である彼女は、気性が激しく美しく情熱的。あれを見た時から憧れいてた。幾つになろうが私、スカーレット、オハラでいたい。
 宮崎市 津曲久美(63) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

春の訪れ

2022-03-31 17:58:22 | はがき随筆
 長引くコロナ禍に加え、ウクライナの惨状のニュース、それに敬愛していた先輩の逝去の報に接し涙を流し、年明けからここまで、重苦しく心の晴れない日々を過ごしてきた。そんな中、見慣れた薄緑の封書が届いた。毎年発送を依頼している阿蘇高菜漬けの会社からの、いつもと変わらない活気に満ちた挨拶状とパンフレットが元気をくれる。いそいそと春の便りを楽しみにしてくれている遠方の親戚、友人に送る手続きをする。ああ、今年も春が来た、春が贈れる。庭の沈丁花が甘やかに香り、白いユキヤナギが風に揺れている。確かに春は訪れている。
 熊本県菊陽町 有村貴代子(75) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

生かされて

2022-03-31 17:51:05 | はがき随筆
 「石原裕次郎が亡くなったよ」。いきなり友からの電話。「ええっ」と思いながら多分、元東京都知事の石原慎太郎さんのことだろうと思った。「89歳だってよ」と続く。「あら一緒の年だ。順番がきているね」と返すと「あなたははがき随筆を書いているから100歳まで大丈夫よ」と言われ、思わず笑ってしまった。
 下手な文章でも脳が働いていれば、健康でいられる。ありがたいことだ。書く楽しみ、読む楽しみもあるから、生かされているような気がする。3回目のワクチンを接種し、安心して楽しく過ごしたいものです。
 鹿児島市 竹之内美知子(89) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

最後の計らい

2022-03-31 17:44:08 | はがき随筆
 義母は99歳になってすぐに新年を迎える事ができ、七草の翌朝安らかに息を引き取った。
 施設からの電話の度に会いに向かう道すがら「お義母さん誕生日が来るよ、正月もね」とつぶやき、枕元でも語りかけた。
 もう最期だろうと覚悟しても仕事のやりくりに頭を悩ませた。正月前後は気も休まらなかった。飾り餅は買って済ませ、賀状は書かず、寒中見舞いを出すことに決めた。
 正月過ぎまで頑張ってくれたのは、残された者への最後の計らいと受け止めた。好天下、大往生を祝福されているような晴れ晴れとした野辺送りだった。
 宮崎県串間市 武田ゆきえ(67) 2020.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

草と木と土と

2022-03-31 17:36:49 | はがき随筆
 早春、垣根のマサキがいっせいに芽吹き、初夏には柿の葉の重なりの間からキラキラと木漏れ日がこぼれる。大きな大きなドウダンツツジは春にはスズランのような花が咲き、秋の紅葉は見事だった。
 まめに庭師さんにお願いする余裕はなく、ただ草取りと落ち葉掃きに追われて55年。庭は老朽化し自身も老いてしまった。天をつくように伸びた木々と、草取りが遅れ花をつけた草、小鳥が肩先までおりて餌をついばんだ黒い土。私の大好きな風景で宝物だった。近い日、何もかも幻になる。みんなみんなありがとう。そしてさようなら。
 熊本市東区 黒田あや子(89) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

流れ解散

2022-03-31 17:30:19 | はがき随筆
 同級生の鈴木君が他界した。突然の脳梗塞だったと奥さんから聞かされる。彼とは中学で出会い、同じ高校へ連れだって自転車通学した仲だ。その彼によって私はビートルズを知り、一気に洋楽の世界へのめり込んだのだった。
 当人はその後、広島大学から教職の道へ進み、そこで出会った一回り年下である教え子を妻にした。「お前もやるねえ」と私はうらやましさ半分で冷やかした。
 昭和24(1949)年生まれの僕たちの流れ解散が始まった。今日も私は空を仰ぎ、一足先に旅立った友と会話している。
 鹿児島県霧島市 久野茂樹(72) 2022.3.19 毎日新聞鹿児島版掲載

母からの便り

2022-03-31 17:22:46 | はがき随筆
 手に取った郵便物。中の1枚にはっとした。福岡の施設に入所して3年になる母からだ。これまで折に触れ便りを書いた。しかし何の反応もなかった。
 「私のことは心配しないで。心を込めてお世話して下さい」。体が不自由になった夫のことを書き添えて出した、新年のあいさつ状への返信だった。虫がはったような弱々しい字。以前と変わらぬ母の気遣いが、私の胸を熱くも悲しくもさせる。
 かすれた字は「福寿」か? 北国育ちの母が、雪を割って顔を出すフクジュソウの愛らしさを楽しげに話したことがある。季節の移ろいも忘れていない。
 宮崎県日南市 矢野博子(72) 2022.3.18 毎日新聞鹿児島版掲載

心の風景

2022-03-31 17:11:37 | はがき随筆
 私が育った家の前には小高い丘があった。丘には大きな樹が数本あり、時々フクロウがきて、ホウホウと鳴いていた。
 その頃は、家の前から夜空を見上げると、好天の日には天の川銀河が空をおおうように流れ、宇宙の神秘を感じることができた。
 父と子が一緒に、バーチャルではない、本物の銀河を眺め、星々を指さしながら、宇宙について語ることができたら、どんなに良いだろう。
 それは、子供の心に残る風景となり、大人になってさまざまな岐路に立ったとき、きっと勇気づけてくれるに違いない。
 熊本市北区 岡田政雄(74) 2022.3.17 毎日新聞鹿児島版掲載

錦帯橋再建に大きな後ろ楯

2022-03-31 16:57:33 | はがき随筆
 山口県岩国市を流れる錦川に架かる5連の木造アーチ橋・錦帯橋は、日本3奇橋の一つとして知られている。橋は1922年に国の名勝に指定されて今年、100年を迎えた。流失しない橋として知られていたが、50年9月の台風で流失し、市民を悲しませた。
 この年、毎日新聞社主催で「新日本観光地百選」が選定された。はがきによる人気投票という形式で観光地を選ぶもので、各観光地は競って応募した。私が通う小学校は錦帯橋近くで、学校で応募はがきを書いたのを覚えている。
 結果は建造物部門で第一位を獲得した。これは53年の錦帯橋再建の大きな後ろ盾になったと思う。子供の頃の記憶があるのは、百選の裏方で頑張った父の姿を覚えているからだ。父は錦帯橋近くの郵便局に勤務しており、担当ではなかったが毎日投函されるはがきの消印の作業にもあたった。1位と載った朝刊の記事を見た父は「やったあ」と大きな声を発した。今でもその声が耳に残っている。
 山口県 片山清勝(81) 山口新聞ひろばより

2021年 熊本県はがき随筆

2022-03-16 14:28:24 | はがき随筆
 年間賞に西嶋さん(熊本市)
 毎日新聞「はがき随筆」の2021年熊本年間賞に、熊本市の西嶋千恵さん(33)の「心が小さくなる」(6月19日)が選ばれた。熊本県内から投稿され21年に月間賞・佳作となった16点から、熊本大名誉教授の森正人さんが選考した。

叙法新鮮で自在な筆致

 新型コロナ感染症の流行はいまだ終息していません。ウイルスの変異によって、流行の波はくりかえし襲い、社会全体が翻弄され続けています。私たちの行動も大きな制約を受けており、はがき随筆にも、その余波が現れています。選ばれることの多い素材が、コロナ禍のもとでの不自由な生活のひとこまであったり、逆に思いのままに活動できた頃の回想であったり、あらわになった社会的課題に対する批評であったりです。
 月間賞4編、佳作12編のうちから、熊本県の年間賞には、6月度月間賞の西嶋千恵さんの「心が小さくなる」を選びました。
 近年は公園や空き地で遊ぶ子どもたちの姿をほとんど見かけなくなりましたが、この作品は、コロナ禍のなかでも思い切り遊んだ後、時間がきて友達と離れがたく思う我が子に、自分の子ども時代の経験を重ね合わせたもの。夕方になり、遊びをやめて帰らなければならない時に覚える寂しさは、誰もが経験したはずです。そうした子どもの心の動きを見つめる母親のまなざし、触発されてよみがえる子供時代の気持ち、この二つを行き来する叙法は新鮮です。この自在な筆致が、子どもの発した詩的な言葉に対する共鳴を効果的に表現しています。
 このほか、家族の介護に関する廣野香代子さんの「時間」(2月19日)、話題を呼んだ元総理の発言をめぐる増永陽さんの批評「#わきまえない」(3月16日)、我が子たちの昔の写真が呼び起こす思いを記した鍬本恵子さんの「なつかしいあの頃」(8月30日)も印象に残りました。
 森正人

長男の言葉に心動く
 「まさかと思いました。未熟な文章なのに、申し訳ないくらいです」。受賞への驚きと喜びを率直に語る。
 小学4年の長男が近所の公園で遊ぶのを見守った時のこと。友達と駄菓子屋さんに行ったり、公園で缶蹴りをして遊んだ、自分の小学時代の楽しい記憶がよみがえった。帰宅の時間となった長男が「なんだかお友達と離れると心がさびしく小さくなる」とつぶやいた言葉に「いいこと言うな」と心が動いた。
 通っている看護学校の国語の授業の一環で随筆に投稿した。掲載されると長男も「すごいじゃん」と喜んだ。「闘病中の人を少しでも明るく笑顔にできるような看護師になりたい」と自らの目標に向かって励んでいる。
 【下薗和仁】


冬風呂のぬくもり

2022-03-16 11:41:54 | はがき随筆
 「お父さん、先に入っていいよ」とありがたい声だ。仕事帰りの私に合わせて、娘が湯船を準備してくれていた。私は息子を誘って一番風呂に向かった。
 服を脱ぎふたを開けると、湯が全く入っていない。おや? 底の栓が開いたままだ。
 「おうい、空っぽだぞ」と声を出そうとした途端、息子が私の口元を押さえた。「ねえ、黙っとこうよ」。がっかりする姉を見たくない彼の提案だった。迷わず「うん」とうなずいた。
 裸ん坊のままこっそり湯を張り直した。待つ間、冬の空っぽ風呂は寒かったが、立ち上る湯気に家族のぬくもりが見えた。
 宮崎県都城市 平田智希(46) 2022.3.15 毎日新聞鹿児島版掲載コロナ


2021年 鹿児島県はがき随筆

2022-03-16 11:02:54 | はがき随筆
 毎日新聞「はがき随筆」の2021年鹿児島年間賞に、鹿児島県湧水町の近藤安則さん(68)の「親捨て」(11月21日掲載)が選ばれた。鹿児島県内からの投稿で21年に月間賞・佳作に選ばれた計16作品の中から、鹿児島大学名誉教授の石田忠彦さんが選考した。

「自責の念」淡々と描く
 例年の通り、月間賞と佳作になった作品の中から、近藤安則さんの「親捨て」を選びました。それは次のような理由によります。
 深沢七郎に「楢山節考」という小説があり、何回か映画化されたりもしましたので、ご存知の方もおいでだと思います。民間伝承の姥捨て伝説を素材にした短編小説で、息子が食いぶちを減らすために、母を山に捨てに行く話です。近藤さんの作品を読み、この小説を連想しました。もちろん状況は全く違っていますので、こういう連想は失礼かもしれませんが、近藤さんの「自責の念」には共通するものを感じました。
 特に、親を施設に捨てたのではないかという心理的こだわりから、ご自分を解放されようとされる苦しみに、非常に重いものを感じました。そのうえで、このような状況は私たちにもいつ襲ってくるかもしれないという、社会問題としても理解されました。
 このほかに、一木法明さんの、私たち独特の端っこ文化を指摘した「端っこ文化」▽中鶴裕子さんの、電話を外すに際しての夫婦の歴史を語った「固定電話」▽野崎正昭さんの「」閉所を恐れて徴兵されても歩兵がいいと考えているうちに戦争が終わったという「閉所恐怖症」▽久野茂樹さんの、自分の俳句がラジオで放送され眠れなくなったという「寝付けない夜」⏤⏤などもそれぞれに個性のある文章で、記憶に残る内容でした。
鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

「苦しみを文字に」
 受賞作「親捨て」は、昨年7月に亡くなった母との葛藤を記した。「母さんを頼むぞ」との父の言葉を忘れずに長年、同居を勧めたが結局、応じてくれないままだった。
 その母は晩年、高齢者施設で過ごした。最期を見送ったことでほっとした気持ちになると同時に、夜中に目が覚めると自分を責める母の顔が脳裏に浮かび眠れなくなった。介護福祉士の妻に悩みを打ち明けると、在宅介護は家族関係で苦労するケースも多いと慰めてくれた。「苦しみを文字にしたことで、少し楽になった」と明かす。
 東京での個人タクシー運転手などを経て2年前に帰郷。「生きたあかしに」とはがき随筆を始めた。「書いて言葉にすることで、頭の中にあるぼんやりとした思考がはっきりする」。誰もが抱える影の部分に向き合い、憂いを帯びた文体に個性が光る。
鹿児島支局長 石田宗久