はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

夏の旅

2011-07-28 13:53:41 | アカショウビンのつぶやき
 久しぶりのお出かけです。
この歳になると、身体のあちこちが悲鳴を上げ、大好きな旅も億劫になりますが、今年は重い腰を上げ、静岡→広島→岡山、また広島へと、11日間の旅に出ます。

私の所属する教会では、毎年修養会と親睦を兼ねた「キリストの教会・全国大会」を開催します。
今年は岡山県美作市の湯郷温泉に、全国各地から懐かしい信友が集まり、2泊3日の集会がもたれます。

大会の前にもう一つの嬉しいお誘いがありました。
配偶者を亡くした方のサポート組織「ほほえみネットワーク」で出会った友人で立ち上げたグループ「蔕の会」からです。
静岡の仲間が町の企画で楽しいイベントをやるので、一緒に盛り上げてほしい…とのことなのです。

ほほえみの仲間と出会って15年、10名いた同期の友人も高齢化、年に1度は集っていた仲間ですが、次第に全員集合が難しくなりました。

はるばる鹿児島から来るんだったら、ゆっくりしよう! と浜松で2泊することに。
もちろん私が最高齢…。「膝は大丈夫? 腰は…」といたわられながら行って来ます。

帰ったら、旅の報告などアップしましょう。

しばらくブログお休みになりますが、ごめんなさい。

by アカショウビン

腰の手術3度目

2011-07-28 12:49:20 | はがき随筆





 腰の手術3度目と言うと「よくやるねえ」という声が聞こえてきそうだが、今回は2度目(1年前)に打ち込んでクギがぐらつき始めたので、抜いてしまおうという手術。手術後に手渡された袋には6㌢はあるネジクギが2本など、大小さまざまな金具が入っていて、ずしりときた。カミさんは「怖い、気分が悪くなる」と目をそむけた。
 ところで今回の手術は、我が家の目と鼻の先にある地元の総合病院で行ったので庭がよく見えた。ベゴニアの赤が目立ったので病室からパチリ。退院してからアガパンサスにもパチリと「ただいま」の挨拶をした。
  西之表市 武田静瞭 2011/7/28 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆6月度入選

2011-07-27 12:22:07 | 受賞作品

 はがき随筆9月度の入選作品が決まりました。

▽中種子町増田、西田光子さん(53)の「6月のカモメ」(26日)
▽屋久島町平内、山岡淳子さん(53)の「せんだんの花」(24)
▽出水市上鯖渕、橋口礼子さん(77)の「少年の親切」

──の3点です。

 東北の被災地のニュースで、川柳大会が行われていて、皆さん大笑いの様子でした。句会や短歌の会なども行われているようです。小学生が避難所で壁新聞を作ったり、他地区の人がミニコミ紙を配ったりもして、喜ばれているようです。まずは衣食住ですが、同時に言葉の力もその効力を大いに発揮しているようです。ハムレットふうにいえば、人間はやはり「言葉、言葉、言葉」なのですね。
 西田光子さんの「6月のカモメ」は、陸前高田市でのボランティア体験記です。カモメの鳴き声だけの被災地で、知らぬ者同士が力を併せて、瓦礫を片付けた時の連帯感が書かれている、感動的な文章です。日本のことを外国では、国民は一流、政治は三流と言っているそうですが、確かに日本人が好きになる文章です。
 山岡淳子さんの「せんだんの花」は、日ごろ地味な花なので目立ちませんが、その数の多さのために美しさに目を見張ったという文章です。見落としがちな風景に気づき、素直な驚きとともに描写したところが好印象を与えます。
 橋口礼子さんの「少年の親切」は、買い物の帰りに、荷物を運んでくれた奨学生の描写です。そのごく当然だという態度とさわやかな笑顔との描写が、読む者の気持をも心地よいものにしてくれます。
 入選作の他に3編を紹介します。
 鹿児島市唐湊、東郷久子さん(76)の「紫陽花とともに」(11日)は、台風を避けてアジサイを室内に移動したという内容ですが、のぞいてみると「花毬」たちが「花の会議中」だったという、実にオシャレな文章です。
 阿久根市大川、的場豊子さん(65)の「ダイエット」(15日)は、昔の水着を無理矢理着てダイエットを試みようとしたら、それを見たご主人がアクマキみたいだと言われたという内容です。こういうのをブラック・ユーモアというのでしょう。
 鹿児島市薬師、種子田真理さん(59)の「私もへそ曲がり」(17日)は、過日の久野茂樹さんの、地デジ化に噛みついた随筆に賛意を示すとともに、反テレビ賛読書(?)の快い、気風のいい宣言です。

(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

約束

2011-07-27 12:09:14 | はがき随筆

在りし日の山室夫妻

 A4判、46頁の簡素な文集ができあがった。内容は「はがき随筆」に掲載された22編と、未投稿分15編が主。亡き夫の1年半の結晶である。
 早速、近くに住む妹に届けたら「この上ない形見だね」と喜んでくれた。
 病に苦しみながらも文面は意外と穏やかである。原稿用紙に向かっている間が至福の時だったのだろう。書く楽しみが後は生きがいとなったこの欄に感謝の気持ちでいっぱいになる。
 一周忌を前に、夫の文章をまとめる約束を果たせた私は肩の荷が軽くなった。夫の笑顔が見えるようで、うれしい。
  伊佐市 山室浩子 2011/2/27 毎日新聞鹿児島版掲載以上

小さな命に

2011-07-27 11:55:22 | 女の気持ち/男の気持ち
 「車にはねられたら可哀そうだから、畑のくさむらに置きました」
 知り合いの男子高校生が声をかけてきた。電線から落下して動けなくなったスズメらしい。急いで行ってみると、まだくちばしの黄色い子スズメであった。巣立ちに失敗したのだろうか。触っても逃げようともしない。手のひらに乗せると私の指を爪でしっかりつかみ、安心しきった様子で目をうとうとさせている。それは母の胸ですやすや眠っている赤ん坊のようで、思わず母性本能をくすぐられた。
 天敵に襲われたら大変と、我が家の庭に連れて帰り、茂みに放った。うずくまったまま元気がない。夫が米を与えてみるが、食べる気配もない。私はご飯粒と水を持っていく。
 それが2日目、2.3歩よたよたと歩けるようになった。夜はパッキンケースに入れ、勝手口の土間に置く。夫と代わる代わる様子を見に行くと、なんと可愛い寝姿。首を後ろに回し、背の羽の中に突っ込んで丸い塊となり、決して鳥と分からない姿で立って眠っている。一首の擬態のようなものだろうか。
 3日目の朝であった。箱は空っぽ。辺りを捜すと勝手口の網戸の一番上に止まっていた。戸を開けた途端、元気よく空に飛び立って行った。
 その日の午後、お礼に来たのか、前の電線に親子らしいスズメが2羽。心優しい高校生の彼に朗報が伝えられる。
  山口県光市 初田照子 2011/7/27 毎日新聞の気持ち欄掲載

平和への祈り

2011-07-26 21:26:57 | アカショウビンのつぶやき
長崎市にお住まいの>“おたくささま”のブログよりお借りしました。


2011年3月11日、「東日本大震災」により日本は未曾有の災害を受けました。
その後の福島原子力発電所の事故は、原子力の持つ
人間では制御できない恐ろしさを、まざまざと見せつけています。

1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
長崎を最後の被爆地にしようという思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。

画像は平和公園内にある「折鶴の塔」と「平和祈念像」です。
「折鶴の塔」は原子爆弾犠牲者の霊をなぐさめるとともに、
二度とこの地球上に原爆の惨禍を招くことがないよう、
世界恒久平和をいのって寄せられた折り鶴を塔に掲げています。

「平和祈念像」は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。

長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m
(2011年7月24日)


台湾への思い

2011-07-26 16:16:57 | はがき随筆

北回帰線の石碑


 亡夫は台湾生まれ。夫の父が役人だった関係で、来客が多く軍人さんたちも着て、よく遊んでもらったと言っていた。
 家に台湾人のお手伝いさんがいて朝はおかゆを炊くのだが、重湯をこっそり家に運ぶので、まずいおかゆだったと、姑がまゆをひそめながら言っていた。 
台湾上を北回帰線が通っていて、その碑が草原にぽつんと建っていたのを見たと夫が話していたのが忘れられない。
 高くそびえる雪山や玉山。台北、台南、高雄。風にそよぐ草原の碑。夫の家族が戦前を暮らし、戦後引き揚げてきた台湾。夫と一緒に行きたかった。
  霧島市 秋峯いくよ 2011/7/26 毎日新聞鹿児島版掲載 写真はフォトライブラリより

焦りを誘う

2011-07-26 16:12:22 | はがき随筆
 七回裏だった。ノーアウトで四球を運び、ランナーが一塁に出た。
点差は1点。守る鹿児島商がリードしていた。攻める鹿児島実は当然、同点を狙って、送りバントを試みる。すると、鹿商のサードは守備位置を思い切り前にした。打者の目の前。
軟式野球とはいえ、投手と打者の間に入らんばかりの守備位置。バックネット下の本部席で見ていても驚くほどだった。
バントを試みる打者も心理的にプレッシャーを受け、焦ったはず。その結果なのか、バントは小飛球となり、投手と捕手の間でサードが捕球。スコアブック上はサードフライと記録された。
 今月10日、姶良市野球場で開かれた高校軟式野球選手権大会の決勝。その試合の行方を決めた場面だったと思う。
    ◇
 小学生のころ、軟式野球のチームに入っていた。外野手で打順も下位。できの悪い選手だったが、監督から教わり、覚えていることがある。
 ぼてぼての内野ゴロを打つ。明らかに一塁でアウトになるタイミング。それでも全力疾走する。なぜか? 小学生は「選手がミスをして、セーフになるかもしれないからです」と元気に答える。
 「違う。ゴロをつかんだ選手の目に、全力疾走する打者が入る。全力疾走を見せれば野手は焦る。野手を焦らせ、ミスを誘うため全力で走る」と言うのが“正解”だったと記憶する。いわば高度な心理戦を解説されたようで、忘れられない。
 あるいは、そのころ強かった巨人軍の川上野球の受け売りだったかもしれないが……。
    ◇
 さて、鹿商、鹿実が出場する高校軟式野球南部九州大会が30日から2日間、鹿児島市の県立鴨池球場で開幕する。「もう一つの高校野球」。ぜひ球場に足を運んでほしい。硬式とは違う打球の音が、懐かしい記憶を誘い出すかもしれないから。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/7/25 毎日新聞掲載

私がいつも…

2011-07-26 12:52:18 | はがき随筆
 歩道には、生い茂る雑草。
 「これでは手に負えぬ」。
 今日も愚痴をこぼしながら歩いていると、ステテコ姿で汗だくのご老人。
 片手には庭ぼうきを持ち、草むしり。
 「精が出ますね」と声をかけると「いやいや、私がいつも歩いている道ですから」。
 誰かがするだろうと考えていた自分が恥ずかしかった。
 みんなが共有しているものを数えれば、たくさんあるはずなのに。
 この「私がいつも……」の気持が、感謝に変わる瞬間かもしれない。
  姶良市 山下恰 2011/7/25 毎日新聞鹿児島版掲載

もったいない

2011-07-26 12:42:13 | はがき随筆
 お片づけの達人が言っていました。「2、3年、手を通していない服は処分しましょう」と!
 10㌔ぐらい細いころのスリムな服。いつかは、また着れるかも! 型の古い服も、めぐりめぐって、また流行するのかも!
 もったいない、もったいないで育った私には、処分ができないのです。
 服ばかりではないのです。裏の白い広告紙、紙袋、そして主人の食べ残した料理も、もったいない、もったいないと私の口に処分。
 これじゃ、スリムな服を着る時は、着そうにないけど処分できないのです。
  阿久根市 的場豊子 2011/7/24 毎日新聞鹿児島版掲載

食べにきてね

2011-07-26 12:31:49 | はがき随筆
 父の日の朝、ぼんやりと思った。娘が食事に誘ってくれていた父の日のことを。
 「特上のうな重」を、おいしそうに食べていたあの日が、夫との最後の食事会となった。私はそれから先は考える気力もなく、ただぼーっとしていた。しばらくして9歳の孫と娘が来てくれた。白とピンクのバラの花束が、遺影の前に飾られた。娘は「お父さんメロン大好きだったね」と、極上のメロンを供えてくれた。心の中で父への感謝の気持ちを持つ優しさが私にも伝わった。「じいじメロン食べにきてね」。無邪気な孫の言葉はどことなく寂しそうだった。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/7/23 毎日新聞鹿児島版掲載

豊かな緑を

2011-07-26 12:22:40 | はがき随筆
 長い梅雨もあけ、ひさびさに田舎の一本道に車を走らせる。左右の景色は、緑の稲。風になびいてビロードの波のよう。目を凝らすと、もう稲穂のついているのもある。この豊かな広々とした景色を眺めていると、何だか胸がいっぱいになってきた。青空のもと、はるか向こうに見える山並み。生け垣に囲まれた家々、トマトやキュウリの実る家庭菜園。何気ない風景も、一瞬にしてなくされた方々を思うとたまらない。
 自分たちのこのささやかな日常の景色に感謝しつつ、震災の傷跡の1日も早い回復を願っている。
  肝付町 永瀬悦子 2011/7/22 毎日新聞鹿児島版掲載

言えず仕舞い

2011-07-26 12:05:53 | はがき随筆
 50年以上前。4歳の私と2歳の弟を、歩いて10分のところにある銭湯に連れて行くのは5歳離れた姉の役目だった。2人を並ばせ、髪をを洗う。せっけんを頭になすり、ごしごししてお湯を2.3回流し、水気をタオルでふき取る。坊主頭の弟に比べ私の時は、まあ、そのふき方が手早く力強いので痛いのなんのって。もう少し弱くしてほしかったが「ひとりでお風呂に行けば」と言われそうで我慢した。
 その姉は闘病する間もなく急逝して七回忌が過ぎた。ベッドに伏せたままでもいい。介護士さんから髪を洗ってもらう横でこの話をしたいものを。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2011/7/21 毎日新聞鹿児島版掲載

このイライラは

2011-07-26 12:03:46 | はがき随筆
 雷鳴が轟く雨に閉じこめられ、食っちゃ寝のわが身を恥じて家の中をウロウロ。老猫千代美と目が合うが、冷たく逸らされ、それなら本でもと開くが、睡魔が容赦なく襲ってくる。
 梅雨明けを発表した気象庁に向かっ腹を立てたら戻り梅雨とかわされ、ここで眠っては元の黙阿弥。テレビに目をやれば暴言を吐いた揚げ句辞めてゆく大臣。それが大震災の復興を司る最重要ポストの体たらくに、やり場のない怒りをかんじる。自分にも腹が立つが、たとえ死に体の首相からの要請であっても引き受けた以上、最善を尽くすのが心意気だと思うが……。
  志布志市 若宮庸成 2011/7/20 毎日新聞鹿児島版掲載
 

自身をもらって

2011-07-26 11:42:09 | 女の気持ち/男の気持ち
 6月3日深夜、新宿から被災地へ向かうボランティアツアーのバスに乗り込んだ。
 大丈夫かな?
 不安を抱えての出発。参加者は21~64歳の男女半々の42人。殆どの人が1人での参加だった。
 4日早朝に入った岩手県は緑が美しく藤の花がきれいに咲いていた。しかし陸前高田市に入った途端、景色が一変し、現実の世界とは思えない光景に息をのむ。動揺したまま活動地の田んぼに着いた。
 田んぼには畳やコンクリートの塊など想像を超える物が散乱している。ぬかるむ田んぼに足を踏み入れてがれき撤去の作業が始まった。
 ひ弱そうに見える若者たちが、顔をまっかにしながら力を合わせて重い物を運び出している。若い女性も泥だらけになりながら、懸命に働いている。若い人たちのたくましい姿を見ていると、日本は大丈夫と、明るい光が見えた思いだった。
 1人として力を抜くことなく黙々と、時には声を合わせながら作業を続ける。見ず知らずの42人が、同じ思いのもとでがっちり心が一つになった。
 私は、陸前高田市と大槌町の被災地から、人間のすばらしさを教えてもらい、生きる自信をもらった。
 被災地の方々が1日も早く心から笑える日が来るよう祈りながら、自分なりにできることをやっていきたい。
  中種子町 西田光子 2011/7/18 毎日新聞の気持ち欄掲載