はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

別れも言えずに

2010-02-28 23:02:40 | はがき随筆
 敬愛する俳句仲間のおば様が亡くなられた。87歳だった。お年に不足はないが私はいまだに割り切れない思いの中にいる。
 先月中旬に訪ねた時、応答がなく入院でもされたのかと心配していた。1週間後、再び訪ねると息子さんのお嫁さんが「3日前になくなり、昨日家族だけで葬式を出しました」と。
 驚愕とは正にこのこと。最期のお別れもできず「それが故人の遺志でした」と言われても。
 数年前、おば様と一緒にある葬式に出た帰りに「私のときも来てね」と言われ「もちろんです。きれいな花を皆で贈りますね」と約束していたのに。
  出水市 清水昌子(57) 2010/2/28 毎日新聞鹿児島版掲載

我が姓名

2010-02-28 22:04:33 | 女の気持ち/男の気持ち
 十数年前の結婚当初、我が家の姓の「吉田」の吉は、下の長い吉だから気をつけるようにと親父から言われた。しかしその時は、あまり気にもかけなかった。その後、間違えないようにと上と下を同じ長さに書いてごまかしていた。去年の暮れに父親が亡くなり、山形県の実家で葬儀が行われた。その通夜の席でのこと。通夜の場らしく、長兄が吉田の姓の由来について話しだした。
 我が家の家系は昔からの農家なので、吉田の吉は下の長い「土」の吉だ。これが、武士系の吉田は下の短い「士」の吉になるとのこと。私は、吉田の姓にもそういういわれがあるのかと感心した。
 私が小学生のころは、ヤギや鶏なども飼っていて、親父が搾ったヤギの乳を飲んで学校に通っていた。また、親父は村の人からも「鶏を起こすほどの早起きで」と言われたほど、根っからの百姓だった。
 小さいころは「次郎」というありふれた名前も私は嫌いだった。しかし親しみやすい名前ということで、今ではとても気に入っている。特に、カナダに駐在した時、ジローという名前はカナダ入もすぐに覚えてくれた。そして今回、「吉田」の姓の由来を聞いて、この姓にも愛着がわいてきた。
 今ではパソコンにも、下の長い「吉」を登録して名字を大事にしている。姓も名もともに気に入り、悦に入っている私である。
  福岡市早良区 吉田 次郎・47歳 2010/2/26 毎日新聞の気持ち欄掲載
※ 我が家のパソコンにはフォントがありませんでした。よしださんゴメンナサイ。

そうは問屋が

2010-02-28 21:52:33 | はがき随筆
 あるサークルで一緒だった人から聞いた。2人目の子の結婚式がすんで家に着いたら、荷物はそのまま着替えもしないで妻と茶の間でぐったり。小一時間動けなかった。「子供が結婚して初めて肩の荷が降りるって聞いていたけど本当ですね」と。
 うれしそうな口調に、自分にもそう言える時が来るだろうかと思って10年。一昨年、昨年と3人のうち2人が結婚して我が家にも春が来た。残り1人も身を固めて肩の荷を降ろしたい。
 しかし、付き合う人がいないらしいので、お見合いを勧めるのにあいまいな態度。そうは問屋が卸さないかもしれない。
  いちき串木野市 奥吉志代子(61) 2010/2/27 毎日新聞鹿児島版掲載



おしゃべり坊や

2010-02-28 21:50:10 | はがき随筆
 3歳の孫娘が点滴跡を指さし 「じいちゃん、痛い?」と尋ねる。「痛くないよ」と答えてもまた同じ質問をする。そこで私は「世の中は怖いぞ。いじめがあるぞ。リストラがあるぞ」と体をくすぐりながらからかう。もとより意味の分からぬ孫娘はキャツキャツとはしゃぎ回る。
 数日後娘から電話があった。孫の6歳の男の子が幼稚園で「世の中は……」と吹聴していると面談の席で担任から聞かされ赤恥をかいた。あのセリフを教えたのはお父さんでしょうと。
 私は6歳児に言った覚えはない。そう言えば孫娘をからかう近くでクスクス笑っていたな。
  伊佐市 山室悟入(63) 2010/2/26 毎日新聞鹿児島版掲載

辞典に咲いた花

2010-02-28 21:32:05 | 女の気持ち/男の気持ち
 その辞典のページをめくると、ところどころに朱色のボーダ-ラインが残っている。破れた部分をセロハンテープで補修したページもあり、使い込んだ長い歳月がしのばれる。
 国語、和英、漢和が一冊になったもので、戦後10年目に改版となり、学級に5冊ほど配給されたらしい。それをくじで引き当てた妻は、勉学に大いに役立ったと言っていた。部首索引が付いていて、I画から16画まで漢字の読みと意味が書いてあり、理解しやすかったとも。また字崩し一覧には楷書、行書、草書が記載されており、ペン習字や随筆、手紙書きに練習を重ねたという。
 結婚した時に妻が持ってきたその分厚い辞典はセピア色に変色してしまっている。
 彼女が黄泉の国へ旅立って13年。妻の形見は私にとって無くてはならないものとなった。ふっと寂しさが胸を吹き抜けるような日には、このセピア色の辞典を開いて、しばし妻の思い出に浸る。そうしていると次第に心が癒やされていくのが分かる。今やすっかり私の生涯の伴侶といった感じである。
 その辞典に花柄のカバーをつけてみた。すると、まるで机の上に花が咲いたように光り輝いて見える。
 「セピア色亡妻の形見にカバー掛け」
 この辞典は私の心にハチミツのような栄養を与えてくれる。ありがたい宝物である。
  熊本県荒尾市 石川 清治・80歳 
 2010/2/25 毎日新聞の気持ち欄掲載 

すくっと

2010-02-28 21:28:58 | はがき随筆
 朝起きの時間すっくと立ち上がる。目覚めと共に生きる喜びを感じる。さあ今日も元気で与えられた仕事をやり遂げよう。仕事場の準備とどこおりなく。
 孫娘ぐらいのお嬢さんたちに合わせてテレビ体操。古希を迎えたころから始めた。今、どこの職場でも始業前、体操をされるという。体操することで安全と健康につながり、仕事も万全である。
 理容業を天職と決め、この業界に入り60年になる。早いもので、もったいないぐらいありがたく思っている。体の続く限りこの業に尽くそう。人が好き仕事が好きがモットーである。
  伊佐市 宮園続(78) 2010/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載

おれは今どこ?

2010-02-28 21:24:19 | はがき随筆
 若いころ、甑島で勤務していた時、鹿児島市に出張した。仕事を終え、同僚と話が弾んで夜遅くまで酒を飲んだ。店を出て同僚と別れた後、途中で自分のいる場所が分からなくなった。すると何を考えたのか「おれは今どこにいるのか分からない」と甑島にいる妻に電話をしていたのだ。翌日甑島に帰ると、妻が「ゆうべのことは覚えているね。私は一晩中心配で眠れなかった」と機嫌がとても悪い。電話をしたことなど記憶にないのだが、ただただ謝るしかなかった。その時は「酒はもう飲まない」と誓ったが、三日坊主に終わり、今も時々飲んでいる。
  鹿児島市 川端清一郎(62) 2010/2/24 毎日新聞鹿児島版掲載

今度は鹿児島地区の勉強会です

2010-02-23 19:38:33 | アカショウビンのつぶやき
 毎日新聞投稿欄の愛好者でつくる「毎日ペンクラブ鹿児島」の、鹿児島地区勉強会が開催される。どちらかと言うと、北薩地区の活発な活動にくらべ、勉強会の動きが全然なかった鹿児島地区だったが、ペンクラブ創立10年の記念すべき年に、第1回の勉強会開催となった。運営委員やペンクラブの役員の方々に感謝!

 はがき随筆の体裁(題名 7字以内、本文約250字)の作品を持ち寄り、お互いに批評しあう合評会形式で、平山支局長の講評もあります。
会員以外の方も参加できますので、興味のある方は是非ご参加ください。
問い合わせは高野さん(099-256-0130)です。

場所 鹿児島中央駅、 西口のホテルユニオン
日時 2月27日(日曜) 午前11時から
会費 昼食代を含め  1500円

はがき随筆1月度入選

2010-02-23 17:11:35 | 受賞作品
 はがき随筆1月度の入選作品が決まりました。
▽出水市上知識町、年神貞子さん(73)の「日記」(7日)
▽同市上鯖渕、川頭和子さん(58)の 「雪の日に」(23日)
▽伊佐市大口上町、山室悟入さん(63)の「得度式」(12日)
-の3点です。

 一木法明さんの随筆(1月25日)に、所用で沖縄に行き「ひめゆり平和祈念資料館」での強烈な印象が、脳裏を離れないとありましたが、私も涙で正視できなかった経験があります。毎日の記事に、田中角栄氏が、戦争を知っている世代が指導者である間は、我が国は安全だと言ったとありましたが、ここ数代、戦争を知らない首相が続きます。沖縄も日本もどうなることでしょう。
 入選作を紹介します。
 年神さんの「日記」は、今年は曇天で初日の出は見られなかったが、元日の夜の満月の美しさに、一年の計を誓ったという文章です。内容の意外性とともに、張りつめた印象の残る文章です。
 川頭さんの「雪の日に」は、鹿児島の雪景色に、若いころ越後湯沢や蔵王にスキーに行った時の、温泉のにおいや玉コンニャクのおでんを思い出したという内容です。連想の妙のきいた文章です。まだお若いですから、また蔵王にでも。
 山室さんの「得度式」は、禅寺の得度式で、若い女性の剃髪の瞬間に立ち会った感慨がつづられています。剃髪前にパーマをかけたということですが、このようなまさしく人生に出会う瞬間はなかなかありません。
 次に数編紹介します。畠中大喜さんの「風呂たき」(5日)は、まきで風呂をたくと喜ばれた、子どもの時の記憶の中で、今でも冬場にはまきで沸かして楽しんでいる、という一時の至福の時間が書かれています。本山るみ子さんの「箱根駅伝を見る」(15日)は、箱根駅伝をドラマ化した映画の印象と、実際の駅伝の中継とを重ねて、学生たちの悲喜こもごもに思いをはせた文章です。
 高橋誠さんの「アルミの鍋」(22日)は、父親が戦後、工場で作った溶接された頑丈なアルミの鍋を、母親は捨てられないでいるという内容ですが、どこにもこういう「我が家の遺産」はありますね。吉井三男さんの「どっちもどっち」(3日)は、ご夫婦で物忘れ競争?)をなさっている様子が、軽妙に明るく描かれています。
(日本近代文学会評議員、鹿児島大名誉教授・石田忠彦) 

父の気持ち

2010-02-23 16:37:02 | はがき随筆
 長期休み、家族を連れて家に帰ると、父はうれしさいっぱいの表情。母は60歳で他界。それから父は独り暮らしだった。唯一の楽しみは少々の焼酎。「涼子ちゃんが帰ってきたから、今夜のダイヤメは特別おいしい」。楽しいだんらんのひととき。
 いよいよ任地に帰る私たち一家の見送り。「私は見送りには出ないからね。気をつけて帰れよ」。1人になる事がどんなにか寂しかったのだろう。後ろ髪引かれる思いで任地へ。最後は妻が何カ月も付き添ってくれた。それがせめてもの親孝行。父の年を越して、父の気持ちをしみじみと思う今日このごろ。
  薩摩川内市 新開譲(84) 2010/2/23 毎日新聞鹿児島版掲載

柿の木

2010-02-23 16:28:44 | はがき随筆
 母の作る干し柿を毎年楽しみにしていた。でもいつまでも母を当てに出来ないと12年前、送ってきた干し柿の種を庭に埋めたら運良く発芽し、成長した。
 3年前から実がなり、昨年は大収穫。晩秋、軒下の「柿のれん」が見事だった。干し柿で、試行錯誤しながら柿ようかんを作ってみた。無添加のようかんにするには、レンジで作るとよくできた。訪れた友に出すと甘さ、香り、しっとりした口当たりがよいと褒めてくれた。 
 昨日、柿の根元に収穫のお礼と次の実りを望み施肥した。母の干し柿を私に伝える、いとしい木である。
  出水市 年神貞子(73) 2010/2/22 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はwineさん

歳月の流れ

2010-02-23 16:26:44 | はがき随筆
 正月15日、皮膚科を訪ねた。前から手足のこう薬をもらっていたので「今年もよろしく」とあいさつ。後日、下痢なのにレバーを食べた。すると夜中に下腹がかゆいのでつい、ごしごしとやる。鏡を見ると発しんが腰部いっぱい。即診察。「じんましんです」とのこと。少し安心した。話は思い出になるが、20年前おでこを強打し血流が悪くなり毎日、鼻薬を注入。両乳下から出る液をがんではと心配したが、薬の出口だった。投薬治療で完治した。当時は先生も自分も若かった。改めて感謝を述べる。一瞬やさしい笑顔。歳月の流れは遠い彼方へ……。
  肝付町 鳥取部京子(70) 2010/2/21 毎日新聞鹿児島版掲載

親切な人

2010-02-23 16:17:40 | はがき随筆
 妹があるホームに入居した。面会にゆこうと思い、車を走らせた。初めての場所で途中、道順を聞くため車を止めた所がスーパードラッグの庭。店内に入り訳を話すと、店長さんらしい中年の人が来て紙に丹念に地図を書いてくださる。申し訳ない思いで見ている。目当てになる家、橋、医院、また見通しの悪い交差点は要注意と細かな説明をしながら出来上がった。厚くお礼を言ってから、一枚の地図を頼りに進むとスムーズに目的地に着いた。物騒な世の中だが、こんな親切な人がいる限り、日本の未来はまだまだ捨てたものではないと余韻は残る。
  霧島市 楠元勇一(83) 2010/2/20 毎日新聞鹿児島版掲載


桜島登山

2010-02-23 16:14:38 | はがき随筆
 桜島の爆発が活発化している。このニュースを見るにつけ55年前を思い出す。
 それまで静かだった桜島が突然爆発し負傷者も出た。それは昭和30年10月だった。私はその年の5月、友人と北岳に登った。間近に見る山の荒々しさに驚き、火山灰だらけの「馬の背」ではズルズル滑って難儀した。
 しかし頂上からは錦江湾を隔てて鹿児島市や霧島方面が見え、足元の大きな噴火口跡も一
望でき、すばらしい眺めだった。
 爆発後は登山禁止になった。
 遠い昔、登山できたことは幸運であったと懐かしい思い出になっている。   
  出水市 畠中大喜(73) 2010/2/19 毎日新聞鹿児島版掲載 
写真は茶瓶さん

「私の運動器具」

2010-02-23 14:01:53 | 岩国エッセイサロンより
2010年2月23日 (火)

    岩国市  会 員   林 治子

私の顔を見ると医者は「歩いているかね。あんたには賢い運動器具が付いているのだから頑張りよ」と言う。

 確かに朝夕、犬の散歩を兼ねて毎日1万歩以上歩いている。20キロを超える犬に引っ張られての歩きは、かなりきつい。機械のように調整がきけばいいのだがそれもままならず、私のほうが次第に合わす。お陰で筋力も付いてきた。少々のことでは転ばないようになった。これはやはり感謝すべきことと思う。

 手におやつを持ち、お座りをさせる。「ありがとうね」と言わないうちに飛びついて食べてしまった。しつけは、まだまだ今いちのようだ。
   (2010.02.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロンより転載
写真はちょびさん提供