はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

可愛い来訪者

2006-01-31 10:28:58 | はがき随筆
1月31日
 寒い師走の夕暮れ時、閉めきった家のどこから侵入したのかパタパタ羽音を立てて、高く低く伸び伸びと居間を飛び交っているつがいのスズメを見つけた。真夏の昼下がりにも同様に、2羽のスズメが舞い込み、居間を2~3周しただけで開いた窓から、すんなり庭先を抜けて去り、事なきを得た。今回は寒く、暗くなったせいか出ていく気配すらなく、挙げ句の果ては窓際のカーテンレールの上に寄り添うように止まり、動こうともしない。やむなくお泊まりとなった。二度もつがいで来訪とは、もしかして。新たな年に……と夢と希望をふくらませている。

   鹿屋市札元 神田橋弘子(68)

はがき随筆特集版 1月30日

2006-01-30 16:41:14 | はがき随筆
博多織りの財布
 めったに開けない棚の整理をした。色あせた日記帳。思わず開いてみる。「竹之内さんとお会いした。スーツ姿の彼は長身で鼻が高く格好よかった。しかし一見クールな感じに思えた」。すっかりタイムスリップして、ページをめくる。「お兄さんの家に誘いをうけて同伴する。子供がいるから、ケーキを買っていきましょうと博多織の財布を渡されて驚いた」。あれから半世紀。そして健康が取り柄と自負していた。しかし、今は先の見えない病気なれど2人で頑張りましょう。私がついていますから。
   鹿児島市城山 竹之内美知子(71)


初日
 初日をカメラに収めようと自宅近くの白銀公園に行った。初日にカメラを向けると、まるで大きな真珠だ。シャッターを押そうとしたら薄雲にかかり悔しい。方角を変え公園内の白銀橋へ。高欄に杖を立て初日を見ると雲から抜け出す寸前。今だと、シャッターを3回押すと足元でゴトゴト音がした。風で杖が川の土手に落ちていた。高欄の隙間から手を延ばすが届かない。自宅に帰り妻に話すと笑いながら「まだ私の方が機敏だよ」と言う。現場に行った。川沿いの土手を通り、拾って「はい、じいさん」。橋上の私に渡してくれた。老母の姿に感激。
   姶良町平松 谷山 潔(79)


まずは基礎から
 15歳の春。工業高校に行きたかったが思いはかなわなかった。実家に住んでいると、家が古いので大工さんに頼むことが多い。やっぱり建築家で学んでおけばよかったなあ。
 今からでも遅くはない。基礎を教えてもらおうと、田代町の「手作り工房・山小屋」のMさんに相談をして弟子入りした。43歳の純朴で優しい人である。初めての作品はカセット・コンロ台。板を削り、ヤスリをかけてバーナーで表面を焼いていく。我ながらよく出来た。見ていた母が「面白そうね。次は何が出来るか楽しみね」・眼を細めて言った。
   阿久根市赤瀬川 別枝 由井(63)


願うこと
 毎年計画を立て努力しようと思うが続かない。加齢と共に考える事をしないで毎日を楽しく過ごせば良いのだと自分を納得させていたが、あれもこれも、と考えているうちに2時、3時と夜が更ける。
 外に出ると満天の星だ。両手を広げ冷気を胸いっぱいに吸う。爽快だった。書き初めの墨をすり、太い筆に墨液をたっぷりつけて一気に書く。「得手應心(手に得て心に応ず)」の4字を半切にしるした。
 今年はささやかな希望を持ち一歩でも進み考えて行動したいと願う。
   薩摩川内市高江町 上野 昭子(77)


警鐘は鳴っている
 年末に菜園の蕪を収穫したが、昨年に比べやや小振りだった。栽培方法を反省し、より大きい蕪を目指して励みたい。世の中には生活習慣病によるダメージ、耐震偽装の巧妙さ、教師等の暴力や殺傷事件など、自覚やモラルの欠如に起因すると思われる事象が多発している。生活習慣病は本人に努力による改善の余地がある。だが偽装や教師等の問題は本人に行為の結果(他人を傷つける)が予見されていて、すでに警鐘は鳴っている。その悪事を阻止するモラルは高度の勇気に期待するしかない。仮に懲罰に処しても心が変わる保証はない。
   薩摩川内市樋脇町 下市 良幸(76)


携帯電話
 携帯電話を持たない主義と言っていたテレビタレントが「ついに買ってしまったよ」と語っているのを見て、やはりこれからは携帯電話くらい使いこなせなくては、世の中について行けないことを悟った。実は私も持ってはいるのだが、もっぱら受信のみで、自ら掛けることは滅多になかった。これからはもっと活用しなくてはと、カメラ付きに買い替えようと考え、カタログを取り寄せた。ところが、先日の随筆欄にK氏が、ユックリズムに徹するために、先ず携帯電話を処分したと書かれていた。ウーン、これも一理ある。私の心は今揺れている。
   西之表市西之表 武田 静瞭(69)

水鳥の舞う漁港

2006-01-29 20:21:37 | はがき随筆
1月29日
 ギャーギャーギャー。おびただしい数のカモメが乱舞し、定置網漁から戻ってくる漁船を迎える。初競りの朝、魚市場に6日ぶりに活気が戻った。身を切るような寒さだが漁師の顔も晴れやかだ。ゴイサギやカラスなど数種類が船べりや水揚げ台の側まで来て、こぼれた小魚を奪い合ってついばむ。作業車の音にさっと逃げるが、またすぐ集まって来る。
 競りも機械化され、買いたい値段をカードで投票しパソコンで処理される。威勢の良い掛け声の代わりに、卸商とのケイタイ電話が響く。寒ブリの大漁を求めて夢は果てしない。
   鹿屋市札元 上村 泉(64)

春を待つ

2006-01-28 11:43:04 | はがき随筆
1月28日
 シンビジウムの花芽は、たった5本。いつになく寂しい冬。鉢植えのジャスミンは、ハープに巻きついたつるをすこし切り場所を変えてみた。長い丈の添え木3本と共に。
 玄関の空間がすっきりして気持ちがいい。ハープもこれで伸び伸びと出来ることだろう。今まで物言わぬ植物に悪いことをしたと思っている。枝を揺らしただけで、いい香りを放ってくれるのに。チューリップの芽も、プランターの花々もじっと寒さに耐えて春を待っている気がする。コトコトと胸躍ることもない私だが、されでも春は待たれるもの。
   霧島市国分中央 口町 円子(66)

心して

2006-01-27 17:45:14 | はがき随筆
1月27日
 05年1月1日は、大安の日、酉の日、長女も年女だった。風は冷たいが晴天、薄化粧の雪、初日の出が素晴らしかった。今年は良い年だぞと感じた事だった。
 が、3月20日に博多で大地震に遭遇、7月には私が入院手術、12月は妻が散歩中に転倒即入院。昨年は夫婦ともども思わぬ難事に見まわれた。長い年月住めば、逃げられない事もあるのだろう。これも老境に向かう一過程なのか。
 幸い2人とも快方に向かっている。これから、仲良く心して暮らして行こう。今年こそは良い年でありますようにと願いながら。
   大口市小木原 宮園 続(74)

はがき随筆投稿規定

2006-01-26 19:32:16 | アカショウビンのつぶやき
 はがき随筆は、だれでも投稿できるミニ随筆です。日常生活の印象的な出来事を日記がわりに、気楽に書いて下さい。
作品は文章部分が250字前後(17字×15行)。他に7字以内の題。
住所(番地まで)、氏名、年齢、電話番号を明記し、
〒892-0817 鹿児島市小川町3の3、毎日新聞鹿児島支局「はがき随筆」係へ。
 はがき、封書など書式は問いません。新人の投稿を歓迎します。

   1月26日掲載記事より

はがき随筆12月度入選

2006-01-26 14:55:53 | 受賞作品
鵜家さん「程がある、しかし」 鹿児島市
川端さん「ラッキョウの花」 鹿児島市
竹之内さん「300円の値札」 鹿児島市

 はがき随筆12月度の入選作品が決まりました。
△鹿児島市武、鵜家育男さん(60)の「程がある、しかし」(11日)
△鹿児島市鴨池、川端清一郎さん(58)の「ラッキョウの花」(2日)
△鹿児島市城山、竹之内美知子さん(71)の「300円の値札」(21日)の3点です。

 今月は、深みがあって、しかも何とも面白い味のある文章が出そろいました。年の終わりを迎えて、ご年配の方々が様々な人生経験を思い起こされたかなと思ったりしています。まず、鵜家さんの「程がある、しかし」でしょうか。お孫さんとデパートに行って、会った皆から可愛い可愛いと褒められたので、帰宅後に孫の父親である息子さんにその話をしたら、喜んで何回も聞き返したのです。親バカにも程があると鵜家さん、「バカ者、いい加減にせい」と大声で叫んだとか。「しかし、そうは言うものの、もう一人の満足そうにほほ笑む自分がいるのに気づくのであります」と結びました。この結び、さらりとした中に読み手をくすりと笑わせる鵜家さんの人間味が出ていますね。この味は、蠅と遊ぶ岩田昭治さんの「珍客万来」や、ご自分を車に見立てた清田文雄さんの「私とだんな様」、竹之内さんの「300円の値札」などなどたくさんの文章にもあり大いに楽しませてもらいました。
 さて、川端さんの「ラッキョウの花」にはびっくり。ラッキョウを酢味噌で食べてシャキシャキ感を楽しんだ後で、食べ残りを庭先に植えて花を楽しむ人がいるとは驚き。そして川端さん最後に一句、「堂堂のラッキョウの花秋深し」。ついでに、詠み人知らず……とまであって、つい大笑いしてしまいました。楽しい人生ですねえ。
 人生と言えば、今月はご自分の人生観をストレートに書いた方も多かったように思います。谷山潔さんの「人生航路」、上村泉さんの「ユックリズム」、浅山清子さんの「戌年生まれ」など。有村好一さんの「殿様湯」、竹之内さんの「晩秋の露天風呂」も、生き方を楽しむ意味で立派な人生論です。ともかく、今月は、楽しい思いをさせていただきました。
 (日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授・吉井和子)

 係から 入選作品のうち1編は28日午前8時40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。作者へのインタビューもあります。
 「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。


月間賞作品の紹介


程がある、しかし

 久しぶりに大阪から帰鹿した初孫をデパートへ。私にとって念願の女児。バッタリ2組の知人に出会う。皆が「可愛いね」と言ってくれる。
 帰宅後、父親の息子に話すとニヤリのしたり顔で更に催促する。「まだ何かほかに言ってなかったね」と何回も聞き直すのである。親バカにも程があるとはこのことか。
 可愛いのはわかるが「バカ者、いい加減にせい」と、つい叫んでしまった。
 しかし、そうは言うものの、もう一人の満足そうにほほ笑む自分がいるのに気づくのであります。
   鹿児島市武 鵜家 育男(60)


ラッキョウの花
 ある日、八百屋から生ラッキョウを買ってきた。生で食べたらこの世の物とは思えないあのしゃきしゃき感、酢味噌とのハーモニーは堪らない。二日ぐらい食べたが残った分をうっかり忘れていた。袋の中を見ると芽が出ているではないか。庭先に植えてみた。花が咲いた。初めて見るラッキョウの花だ。線香花火に似た花は、線香花火に似て命短くはかないもとの思いしや、周りの植物を押し退けて堂々と咲いている。ひ弱そうに見えてしゃんとした姿は、私をとりこにした。
 「堂々のラッキョウの花秋深し」詠み人知らず。
   鹿児島市鴨池 川端清一郎(58)


300円の値札
 洋服ダンスの中が片付き、すっきりとなった。しかし、なぜか寂しさがこみあげてきて、過ぎ去りし長い日を思い出す。ある時は同窓会に、旅行に、慶事にと私をエレガントにさせてくれた。あなたたちは、もういない。フリーマーケットに出店するからと、娘が私のタンスをターゲットにやってきた。デザインが古いと言う。どれも素敵だったと私は反論する。「でも、もう着ないでしょう。だったら出してよ」と決断を迫る。いつかは、この日が来ると思いつつも、私の気持ちは揺れ動いていた。氷雨降る日。300円の値札をつけて、みんなとお別れした。
   鹿児島市城山 竹之内美知子(71)


感動

2006-01-26 14:49:55 | はがき随筆
1月26日
 先日、温泉に行った時のこと。昼食のため席に着くと、見知らぬご婦人が「ご一緒によろしいでしょうか」。「どうぞどうぞ」と答えると「いいお天気ですね」と、にっこり。
 注文の品が届く間に会話も弾み、親しい友人といるような気分で楽しい食事ができた。
 その人は目が不自由で、家事一切をご主人がなされるとのこと。白い杖を頼りにバスで温泉に来られたとのこち。たった一つの楽しみはカラオケで歌うことだと笑顔で話された。
 楽しみを自分で探し、明るく暮らしておられる姿に感動した。
   出水市上鯖淵 橋口 礼子(71)

主婦のお正月

2006-01-25 13:08:34 | はがき随筆
1月25日
 女の50代前後は何かと身辺に変化が起き、親の自立も問われる年齢と言えよう。そのころから、同級生4人は心のサプリメントを求めて自然に集まりようになり、今年も主婦のお正月とヘルシー膳を囲んだ。 ご主人に先立たれた2人はたくましく自立し、介護を乗り越えると今度は夫の愚痴を言う他の人に矢を向ける場面も。立場を越えて気さくに話せ、素直に理解し合える雰囲気がうれしい。さめたコーヒーも気にせずワイドショー並の話題。まずは健康第一に支え癒し合えるささやかな一時の絆を大切に、今年もよろしくとお開きになった。
   薩摩川内市宮里町 田中由利子(64)

第三の人生

2006-01-24 12:58:53 | はがき随筆
1月24日
 初日の出は、ただ無心に手を合わせただけだったが、新しい年の始まりである。第二の人生になった生け花教室を昨年閉じた。理由はともあれ一大決心である。長年培ったものへの決別は身を削がれる思いであったが、今は素直に安堵している。
 家事に専念をして、出来れば本をいっぱい読んで、やっと始めたピアノのレッスンを怠りなく、そして何より地域の行事に出来るだけ参加する事を心に決める。
 気負うほどの事ではないが、第三の人生の始まりである。胸を張ってしっかり歩いて行こう。
   南さつま市加世田村原 寺園マツエ(83)

はがき随筆特集 支局長が選ぶはがき随筆「心に残る1本」

2006-01-23 16:48:09 | 受賞作品
はがき随筆特集として、2005年12月20日に掲載されたものです。
 
  今年は戦後60年でした。毎日新聞の九州・山口地区の地域面で掲載している「はがき随筆」には、節目の年に思いを綴る作品が多数寄せられました。戦乱の中で最愛の人を失った悲しみ、あるいは過酷だった体験などの数々が、多くの読者の胸を打ちました。現代は豊かさとの引き換えのように、多くの問題も抱え込んでいますが、改めて「平和」をすべての礎とすることの大切さが作品から伝わってきます。担当の各支局長・デスクが印象深かった作品を選び、合計11本を特集しました。

月見草
 「いい嫁さんになれよ」と言って、兄は佐波川の川原に咲く黄色い月見草を私の髪にいっぱい飾ってくれた。手をつないで歩いた川原。やがて押し花にしてレイテに送ろうと郵便局に行ったが、受け付けてもらえなかった。母は山口の局で土下座して受け付けてもらった。母も私も届く日を信じた。
 私はその花を探しに行く。河川改修工事で、もう咲くことはないと諦めていたが、花は堤防に生きて咲いている。兄の化身のように。届くはずのない月見草に抱かれて兄はレイテの海に永遠に眠っている。私は嫁さんにならなかった。
   山口県防府市 粟本 房子(77)

山口県版の戦後60年特集への応募は150点。この作品には選者もうなった。
   山口支局長・菊池 健


平和の今
 「今日はもう帰ってもいいぞ」。坑木担ぎに明け暮れていた動員先の炭坑で終戦の玉音放送を聞いた8月15日。中学2年生の暑い夏だった。「戦争が終わったらしいぞ」と、ささやき合いながらも胸にポッカリ穴が開いたようだった。あれから60年。B29の空襲に毎日おびえたことも、山の向こうの福岡の空が真っ赤に染まっていたことも、米軍が上陸したら皆殺しになるらしいと、戸締まりをして息をひそめたことも、食糧難で毎食がカボチャゃサツマイモばかりだったことなど、すべてが今では遠い昔の物語。平和の今をかみしめながら、そのころを思う。
   福岡県飯塚市 安部田正幸(74)

「遠い昔の物語」を、ずっと「物語」にしておくことが私たちの責任と痛感。
   筑豊支局長・武内 靖宏


同期の桜
 幼稚園に通う孫から「おじいちゃん、『同期の桜』を歌って」と電話がありました。私は、この歌の孫の結びつきが理解できずに一瞬戸惑いました。
 「早く『貴様とおれ』のだよ」と催促され、我にかえって受話器に向かい歌いました。そばにいた妻がけげんな顔をしたので「わけは後で話す」と言って、妻と2人で歌いました。孫はアニメが何かで知り、分かりにくかったのか、ママに聞いたら「おじいちゃんに聞きなさい」といわれ、電話となった次第でした。
 8月下旬のことで、彼の時代があんなことにならないよう祈るばかりです。
   福岡県瀬高町 黒田 直(73)

孫からの催促に戸惑いを隠せない祖父。平和への思いは人一倍強い。
   久留米支局長・満島 史朗


あの日
 「またサイレンで授業はないでしょう。お休みしたら」。いつにない母の言葉をいぶかる私を送った後、母は松山町へ叔父の葬儀に出向いた。8月9日。
 火の海となって燃えさかる長崎を見ながらなすすべもなく、無惨に日を重ねた。
 消えた街。たどり着いた家の後の焼けつきた土に転がるアルミの弁当箱を見た。ぐにゃりと変形して中身が入ったまま炭の塊になっている。お母さん! すがるように抱きしめた。まだ熱かった。
 「これからどうなるのだろう」。がれきがくすぶる中で感じた漫然とした不安と恐ろしさ。今も忘れない。
   長崎市   高橋栄美子(73)

炭の弁当箱で「あの日」を描写した。身近な品だけに、かえってむごさが伝わる。
   長崎支局長・松田 幸三


西君の思い出
 戦時下、女学校4年生の夏休み、村の学生5人で役場の仕事を手伝った。〝黒一点〟の西君は凛としていて優しく、私たちのミスでもすぐに解決してくれた。昼休みは鬼ごっこやかくれんぼに熱中した。こうして、2週間の奉仕は終わり、西君と「さようなら」。
 やがて終戦。9月の風に、西君が長崎原爆で亡くなったことを知る。同年齢と思っていたが、長崎医大生だった。驚きと畏敬。人の命を救う勉強をしているのに、なぜ……。絶句してしまった。
 あれから60年。今でも『長崎の鐘が鳴る』の歌声を耳にすると、つい涙ぐむ。
   福岡県上毛町 瀬口久美子(76)

伯父も医大在学中に被爆死した。惨禍を語り継ぐ大切さを改めて思う。
   報道部デスク・平山 千里


黒パン
 戦後60年、私には忘れることの出来ない映像が残っている。北朝鮮の興南という街に住んでいた。終戦直後の厳しい冬、6歳の時だった。ソ連軍の宿舎の近くまでロシア人を見に行った。ソ連兵7、8人が、笑いながら私たちの側にいた若いお母さんに手招きしている。かたわらに幼い男の子が2人いた。母親は走って倒れこむようにソ連兵の中に消えた。しばらくして母親は「1本の黒パン」を大事に抱え、泣きじゃくりながら、そのパンを子どもたちに与えた。私には何も分からなかった。ソ連兵はガムをかんで笑っていた。敗戦、母の深い慈愛を思う。
   福岡市早良区 大森 京子(68)

後日、作者より秘め続けた話しだったとのお便り、反戦の気持ちと共に。
  報道部編集委員・小川 敏之


日記帳
 実家のおいが戦死した兄の日記帳を持って来てくれた。女学生だった私が引き継ぎ、書いていると言う。「エッ! ウソッ!」。開くと確かにわが筆跡。でも、びっしりと赤裸々につづった兄と比べ、いとも単調、勤労奉仕のことばかり。戦後60年、くしくもこの手のひらにあるセピア色の日記帳。兄の魂をよみがえらせる天の啓示に違いない。
 読み進むうち、昭和初期の懐かしい残像が鮮明に浮かび、笑わせてばかりいた兄の悩み、苦しみに触れ、胸が痛む。大学卒業と同時に、お国のために散った青春の足跡を、じっくりひもときたい。
   佐賀県唐津市 向 タエ(74)

戦後60年関連の作品は各自の思いがこもり、採点不能。一番早い掲載作品を選択。
   佐賀支局・関野 弘


残された健君は
 敗戦とは思いがけない事実であった。北朝鮮から歩いて日本に引き揚げる。気の遠くなりそうな距離を野宿の日々。60人組。健君が熱を出した。真っ赤な顔でもう歩けない。彼の母はリュックとその弟を背負い健君の手を引く。余程の決断に一軒の家の門を叩く。なけなしのお金を出し「すぐに迎えに来ます。預かってください」。悲痛な叫びは届いた。「すぐに…」を健君にも言い含め振り返りながら別れたその母。戦後60年、健君は無事だったろうか。熱っぽい眼差しで懸命に黄色い帽子を振っていた幼い姿が目に焼き付いて離れない。8月とは心が重い。
   大分県竹田市 三代 律子(70)

幼児との悲痛な別れ。残された孤児。今も続く悲惨な出来事。これが戦争である。
   大分支局長・陣内 毅


ラジオ
 春浅い朝、温かい思いで目を覚ました。眼の中に亡夫の笑顔が残っている。
 ああ、あの人の夢を見ていたんだ。
 私は二階を見上げている。夫はラジオを持って、歌いながらトントンと降りてくる。「君には君の夢がある。僕には僕の夢がある」。私も一緒に歌っていた。
 その頃の夫は毎晩、布団の中でラジオを聴きながら歌っていた。翌朝2人一緒に同じ歌を歌い出したこともあった。私は夫のイヤホンからこぼれる音を、夢の中で聞いて覚えたのかもしれない。
古い小さなラジオが、本棚の隅でほこりをかぶっている。
   宮崎市 藤田リツ子(70)

文中の歌謡曲「若いふたり」の大ヒットは1962年。戦後もまた若かった。
   宮崎支局長・大島 透


靖国の杜
 同期生会の企画で、靖国の杜を訪れた。久しぶりの上京で、すっかり変わった羽田、進化を続ける東京の街に驚きながら地図に導かれ、靖国の杜にたどりついた。英霊にお詣りしてから、境内で白い鳩の群と遊び、戦友のことを思った。彼は奥薩摩にある山村の国民学校高等科卒業と同時に、飛行兵学校に入り、15歳で戦死した。東京を見たこともなかった彼の霊が、果たしてここまでたどり着けただろうか。まっすぐ母親の懐へ帰り、故郷の山河に抱かれ、安らかに眠っているのでは……。
 大鳥居がむなしく聳える秋の空
   鹿児島市  福元 啓刀(75)

15歳で戦死。霊は温かい母の懐を求め、故郷に帰ったはず。胸が打たれる。
   鹿児島支局長・竹本 啓自


あれから60年
 ソ連兵の「ダモイ(帰国)」の連呼にせき立てられ、兵たちは長い貨物列車に乗り込んだ。昭和20年10月29日、牡丹江(現中国東北部の都市)は朝から初雪が舞っていた。列車は東へ向かい夜中にソ満国境を越え暗闇をひた走る。荒野に真っ赤な太陽が昇る。「あっ、北へ向かっている」と誰かが叫んだ。ウラジオストクから日本に帰るのだとみんな聞かされていたのだ。列車は不安と恐怖に戦慄きながらシベリアの奥へ奥へと。そして流刑地である小さな町のラーゲリ(捕虜収容所)で過酷な日々が始まった。当時、軍属の一員だった私もその中にいた。
   熊本県玉名市 高村 正知(76)

抑留体験記。筆者は当時15歳。恐怖心はいかほどだったか。続きも読みたい。
   熊本支局長・柴田種明




報道の責任

2006-01-23 14:58:39 | かごんま便り
 「マスコミは信用できない」「警察も信用できない」
 今年初め、鹿児島県選出の国会議員から、こう言われた。言い返そうとしたが、こうなると売り言葉に買い言葉。会話にならないから控えた。
 閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」に、この議員も携わったと言う。ちょうどいい。私たちの仕事に関係するので話を向けたら、まず「信用できないから」だった。
 基本計画で、私たちが最も危惧してるのは、警察による被害者の実名発表、匿名発表について「個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく」の項目。警察の裁量で事件、事故の被害者を実名にするか、匿名にするかが決められる。
 司法権を持つ警察の発表をそのまま鵜のみにした報道はできない。被害者やその周辺をも取材して、初めて客観的で責任ある報道ができる。匿名で発表された場合、被害者の存在が不明で、事件の背景さえ分からない。
 昔の言論統制下の墨塗り新聞どころか、事件そのものが包み隠されたり、恣意的につくられる可能性もある。マスコミに盾突かせないような動きとも受け取れる。
 新聞社は警察が実名で発表した場合、加害者、被害者の周辺取材を踏まえて、紙面では実名か匿名かを判断している。それは被害者の安全、二次的被害を被る可能性がある場合などのケースを考えて報道する。
 マスコミも被害者の自宅や関係者宅に押し寄せる集団的加熱取材(メディアスクラム)や、プライバシー問題にも社内や他社とも連携して取り組んでいる。被害者からの要望には正面から向かい合っている。 
 政治家が中心となってつくり、警察にゆだねる「権力側」の基本計画に対しては、あくまでも実名を発表してほしい。実名か匿名かの責任は私たちが持ちたい。 実際、鹿児島県の警察発表にも「被害者の強い要望」を理由に、匿名が増えた。他県では警察が、公職選挙に違反した地方議員の名前を明かさなかったり、容疑者と被害者の関係を「親子」ではなく「知人」と虚偽発表したケースもある。
 皆さんはどう思われますか。私が議員に言うのを控えた言葉は、「信用できないい政治家、官僚がいる。それを監視するために、この仕事に就きました」です。
   鹿児島支局長・竹本啓自 毎日新聞鹿児島版 2006.1.23掲載

年女の願い

2006-01-23 14:29:48 | はがき随筆
1月23日
 「はぁー」。つい、ため息がもれ、言わないようにと思いながらも、ぐちがこぼれてしまう。
 頻発する大災害に胸を痛め、人間の良心なんて、どこ吹く風で自分の得だけで動いている、心浅ましい人たちへの怒り。心穏やかに生きたいと願うものの、なかなかそうはいかないご時世みたいである。
 一人一人の口から、小さなため息や怒りの声がフワフワ浮かび、それが一つにまとまって、大きな怒りのエネルギーとなり、爆発するのではないかと、ふと想像してしまう。どうか、平和で心豊かな1年でありますように。
   枕崎市別府西町 西田 光子(47) 

元旦の朝

2006-01-22 14:14:09 | はがき随筆
1月22日
 晴という予報だったので、初日が拝めると思って、いつものように4時に起きて外に出たら雨。こたつに戻り新聞を読む。7時過ぎ外に出てみると雨は止み、青空がのぞいている。風は冷たい。今年を象徴するような天気に見える。
 雨のち晴。人生もそう行きたいものであるが、初日を見られなかったのは残念。初詣にも行きそびれてがっかりしたが、後でゆっくりと思い直す。
 2月の初めに80歳の誕生日を迎えるが、幸い元気になっので、定年のない仕事なので生涯現役を目指して、大いに頑張って行きたいと思う。
   志布志市志布志町志布志 小村豊一郎(79)