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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

朱鈞侃/潘鳳英/顧永芝 『徐霞客評伝』

2014年05月30日 | 伝記
 明末清初の中国における科学的思考様式の出現について、限界があったとか独自の歴史的発展によるとか過去の関連研究のようないじましい留保をつけずに当時宣教師を通じて流入してきた西洋の科学技術の影響によると綺麗に認めているのは進歩といえば進歩だが、こんどは反対に、その時代に生きていたからというだけの理由で徐霞客の業績までを無条件にそうとしてしまうのはどうであろうか。傍証のみで直接証拠が提示されていない(この著者連の手法ではできない)。根拠なしの肯定はいつでも根拠なしの否定に転じうる。

(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)

唐錫仁/柳文衡主編 『中国科学技術史』「地学巻」

2013年09月16日 | 東洋史
 徐霞客の『徐霞客遊記』について、その精密詳細な記述内容をおおいに賞賛していながら、時に指摘される西洋科学からの影響については、なにも触れるところはない(「第八章 明代 第三節 王士性、徐霞客対地学貢献」)。直接的な物証はないのであるから、こちらのほうが態度として科学的である。
 なお地理学に関しては、中国のそれは明末清初以降、西洋との文化交流が拡大して彼の地の自然科学の知識が不断に流入して、認識の枠組みが根本的に変化してそれまでの誤った観念が取り除かれ、以後一貫して水準が上がり続けた旨の主張がなされている(第九章 清代 第五節 外国地理著作的編写」本書457頁)のだが、乾嘉の時期から何も言わずに突然阿片戦争時期以後へ、『瀛寰志略』『海国図志』『五洲地理志略』へと跳ぶのはいかがなものであろうか。

(北京、科学出版社 2000年1月)

沈定平 『明清之際中西文化交流史―明代:調適与会通 贈訂本』

2013年09月01日 | 東洋史
 “資本主義の萌芽が封建主義社会の基本矛盾と新旧の事物の矛盾を深刻化させた”(435頁)という調子の書籍である。
 ただし注意すべきは『徐霞客遊記』を、同時期の西洋科学精神の影響下で成立したものと見なしているところ。根拠の提示はない。「第八章 明末的统治危机、社会安定思潮和西学传播的确文化部氛围」、494頁。

(商務印書館 2007年3月)

李重煥著 平木實訳 『択里志』

2013年04月24日 | 東洋史
 18世紀初頭朝鮮の地誌。「李重煥の30年にわたる放浪生活で得た知識が反映されており」(『世界大百科事典 第2版』)というのだが、描写が全然具体的でない。ほとんどの現地には行ったことがないのではないか。それとも行っても目が節穴だったか。『徐霞客遊記』のような旅行記に比べるのは酷としても、行文の精密さからいって(量ではなく)、『読史方輿紀要』ほどの情報の密度もない。書き方も平板である。風水を本気で信じ込んでいるらしいところは彼が蔑視している琉球で同時代を生きていた実学者蔡温にも及ばぬ。ずいぶん緩い著作であり著者の知性である。

(平凡社 2006年6月)

徐葆光著 原田禹雄訳注 『中山伝信録』

2013年01月29日 | 東洋史
 分量と、従って情報量においてはやや遜色があるが、沖縄版の『日本國志』と思えばよい。それほどの偉著である。徐葆光という人はよほど綿密な性質の人だったのだろう。それにこの人は中国の読書人=科挙官僚にはめずらしく、変わったもの、見慣れぬもの、あるいは異文化に対する好奇心が強かった人のようで、約半年に亘る滞在中、いろいろな場所を訪れ、見て回ったらしい(後述)。市場の風景や一般民家の機織り機についての説明など、自身の眼で見たうえでないと書けないと思われる記述が多々ある。平安貴族の日記ではないが、数十年に一度しかない琉球王冊封の一部始終を記録してその有職故実を後の使いのために遺すという目的もあって、日々の出来事が驚くべき緻密さで描写される。その緻密さには事物・現象の形容に計測数値が多用されるという意味も含まれる。徐はこの著のなかで、琉球や琉球人に対して、「夷狄」と見なしての侮蔑的言辞をいっさい弄していない。中立で客観的な記述に徹している。すこし時代は遡るが『徐霞客遊記』の文体を想わせる。この『中山伝信録』が上梓されたのは康煕帝時代の終わりであるが(1721年)、明末から清のしばらくにかけての時期というのはやはり、それ以前そしてその後の中国と比べて、すこし変わった時代だったのかもしれない

 閑話休題。巻四の琉球の地誌を叙述した部分で、徐は尖閣諸島(釣魚嶼)を、琉球諸島の一つとして列挙している。つまり琉球王国の領土として認識している。無論それはそれまでの中国側の認識であり、さらにはこの書を書くに際して琉球王朝側が提出した史料および政府関係者の証言に基づくものである(注)。

 。主な情報源は『中山世鑑』といった琉球王国の正史や、当時の琉球朝廷の重鎮であった程順則の関係著作である。そしてまたおそらくは、直接冊封使節の接待と交渉の任にあり、徐の琉球本島各地への視察旅行にも随行した、まだ30代の若さであった蔡温からも多大の説明と示唆を受けたであろう。

 ・・・であるから、「一度も琉球領であったことはない」と断言した井上清は無学である。「日清戦争で日本が中国から奪ったもの」だという主張になると確信犯の嘘吐きと評するほかはない。私は井上は地獄で閻魔様に舌を抜かれるべきだと思っている(多分抜かれただろう)。

(言叢社 1982年6月)

トゥリシェン著 今西春秋訳注 羽田明編訳 『異域録 清朝使節のロシア旅行報告』

2013年01月05日 | 東洋史
 原著は満洲語・漢語(文言文)の2バージョンあり。著者はバイリンガルだった。
 本訳書は満文テキストに漢文版をも参照したものであると今西氏「解題」にあり(漢文版は、満文版にない注釈があったりする反面、満文版にある内容をしばしば漏らしたりしている由)。
 本書劈頭の旅行地域の地図はもとより、全巻の体例に著しく西洋的とも形容すべき特徴が窺えること(私に謂わせれば例えば客観的な描写、記述における具体的数値の頻用、さらには体例の立て方)について、同じく「解題」は、「トゥリシェン等の出発数年前の康煕四十七年(一七〇八)から帰国後数年の同五十七年(一七一八)にわたる十年間は、その〔引用者注・清朝による、西洋人教師の指導のもとでの辺境地帯の測絵作業を指す〕最も本格的な工作の進められたときである。いわば中国には従来見ない科学的な地理学の鬱然として起きていた時である」として、「『異域録』がこれに無縁であったとは考えられない」としたうえで、西洋地理学および地誌の影響を強く示唆している(本書184頁)。
 それで想い出すのは徐霞客の『徐霞客遊記』である。こうして両者を読んで思うのだが、両者は明晰・平易さ、そして具体性・客観性において通底している。『徐霞客遊記』にもやはり当時の西洋科学あるいは学問の影響があったのではないか。
 
(平凡社 1985年5月)

朱葵菊 『中国思想通史 清代巻』

2012年10月25日 | 東洋史
 2012年10月05日「李沢厚『中国近代思想史論』」より続き。
 これは明末清初から1940年代のウェスタン・インパクト時期はもちろん、清末の厳復・康有為・梁啓超までを取り扱っている。しかし明中期から清朝初期までの第一次ウェスタン・インパクトともいうべき当時の西洋の科学・技術の影響を幅広く認めながら(論拠は挙げないものの『徐霞客遊記』までその一つとして数えるのには驚いた。「第一章 清代的社会背景和思想概況」本書5頁)、乾隆時代以後、次第にその影響が薄まり保守化が進んだ学術・思想状況にまったく触れることなしに、1840年代以降の19世紀西洋科学・学問の影響を取り込んだ結果としての厳復とその思想と作品にいきなり繋げてある。それを受け入れる下地としての清の科学・学問・思想情況についての説明分析がまったくない。これではやはり戴震ほかの啓蒙思想の設定が浮いてしまう。それともやはり中国独自の発展だという見地だからだろうか。実際、総論というべき「第一章 清代的社会背景和思想概況」では、そうなっている。「商品経済の発展と資本主義の萌芽によって、士民意識が覚醒し、思想文化の領域において、市民階層の利益と願望を反映した啓蒙意識が出現した」(同、5-6頁)。科学的知識や思惟が明中期以前に退化した一方で歴史的に進歩した啓蒙思想が興起するというのはどういうことなのか。理解できない。

(武漢大学出版社 2011年7月)

徐霞客著 周暁薇等訳注 『徐霞客遊記』

2012年01月23日 | 東洋史
 この書の大抵の紹介は、傑出しているとほめあげるばかりで、具体的な優れた特徴については書いていないことがおおい。
 そのなかではこの「簡介」は、如何に伝統中国の旅行記のなかで傑出しているか、その点の列挙がなされている。しかしそれは何故かの分析が全くない。
 あの着実精確な観察眼と客観に徹した文体(私にいわせれば時代離れしていると思う)がいかにして生まれたのかを、不思議に思わないのだろうか。読んで頭に情景の描ける叙事文言文って、とてつもなく凄いことではあるまいか。
 これは、部分注および現代中国語訳である。原著を読むことにする。原文が極めて平易だから(これはこの本の客観描写に関わってくることだが、故事成語の使用や比喩・誇張表現が極めて少ない)、さして困難はあるまい。

(「中国名著選訳叢書」89、台北、錦繍出版事業股份公司、1992年10月)