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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

鎌田茂雄 『中国仏教史』

2015年05月25日 | 東洋史
 再読

 朱熹は形而上・形而下のあらゆる面から仏教を排撃した。 (「第12章 転換期の仏教 宋の仏教」本書300頁)

 朱熹は仏教を排撃したというが、彼のいう「性(理)」は「仏性」とどうちがうのだろう。万物に性は内在する、知のない植物にもあるというのなら、無情の草木にも仏性はあるとする「一切衆生悉有仏性」と変わらないのではないか。

(岩波書店1978/9)

ダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャムツォ著 今枝由郎訳 『ダライ・ラマ六世恋愛彷徨詩集』

2014年12月08日 | 文学
 黄泉の地獄の閻魔王/善悪映す鏡持つ/この世は公正ならずとも/あの世に清き裁きあれ  (70頁)

 今枝氏のすばらしい日本語も与っているとは思うが、全篇すばらしい詩編である。
 ところでここの「公正」はいかなる意味だろう。
 その教えを嫌って還俗した六世にとり、チベット仏教が公正の基礎(=正義)たりえるはずがない。そしてそもそも、ここはもとのチベット語ではどういう詞で、どういった概念のものなのだろう。博雅の士の教えを乞う。

(トランスビュー 2007年5月)

陳寅恪 「清華大學王觀堂先生紀念碑銘」

2014年11月14日 | 東洋史
 http://tw.aboluowang.com/2013/0705/317215.html

 2014年11月14日『漢典』「真理」
 2014年11月14日『漢典』「俗諦」
 より続き。 

  士之讀書治學,蓋將以脫心志於俗諦之桎梏,真理因得以發揚。思想而不自由,毋寧死耳。
  士たる者が、書物を読み、学問をするにあたっては、こころの向かうところを世間的常識の束縛から切り離すことによってこそ、真理が力を持つことができる。思想が自由でないならば、死ぬほうがましである。(注)

 。日本語訳は平田昌司「『仁義礼智』を捨てよう 中央研究院歴史言語研究所の出現」(小南一郎編『学問のかたち もう一つの中国思想史』汲古書院 2014年8月所収)、同書309頁から。

 ここにある「俗諦」「真理」とも、平田訳の示すとおり、仏教色を払拭した用法であること、言うまでもない。


後藤基巳 「『天主実録』」

2014年08月20日 | 東洋史
 後藤氏著『明清思想とキリスト教』(研文出版 1979年7月)所収、同書177-198頁。もと『天主実録』(明徳出版社 1971年10月)の「解説」として執筆、収録されたもの。

 マテオ・リッチがカテキズムを漢語(文言文)で著した『天主実義』を執筆した理由は、その前に出たルッジェリの同じく漢文による教理問答書『天主実録』が、仏教の語彙用語をもってカトリックの教義を説いていたために、これを除くためと、それから『天主実録』が儒教に関して無関心でまったく配慮するところが無いので、補綴の必要があるとリッチが判断したためだという(同書184頁)。
 さらに後藤氏によると、自身儒教経典を読みこんでラテン語に翻訳するなど儒教への造詣が深かったリッチは、宋学以前の原始儒教の「上帝」に人格神の性質が強く、キリスト教の神(天主)と重なる部分があることに気づき、上帝=天主という論法を用いることで中国における布教の利便を考慮したとする(同、190-191頁)。
 なおこの論考では『天主実義』の文体についても言及がある。

 この書物はなるほど明代風の漢文で書かれてはいるけれども、決して典雅流麗な名文であると称しがたい〔略〕。 (「『天主実義』」177頁)

 時にはオーソドックスな漢文法から桁はずれの珍妙な句法や、漢文としては耳慣れぬ生硬な熟語――私はこれを利瑪竇的造語と呼ぶ――も飛び出してくる。 (同)

武内義雄 『支那思想史』

2014年08月07日 | 東洋史
 ウィキペディアの「武内義雄」項にこうある。

 『支那思想史』(戦後『中国思想史』と改題)は、武内の思想史研究のエッセンスを盛り込んだハンディかつ高水準の概説書として現在でも広く読まれ、彼の著作のなかでは最もよく知られている。この書は、個別の哲学書の体系を列伝式に記述した従来の『(中国)哲学史』と異なり、思想そのものの発展プロセスを明らかにしようとした点、また儒教中心に片寄っていた従来の著作に対して仏教・道教にも光をあてた(特に宋学に対する仏・道二教の影響を明らかにした点で、画期的であると評価されている。
 (“業績”条)

 私の持っているのは戦前に出た版(第11刷・昭和17年)だが、そうだろうか。たとえば「上世期(上)諸子時代 第八章 論理学の発達」に、

 所謂墨経とは経上、経下、経説上、経説下、大取、小取の六篇で、最後の二篇がその概論で大取には墨家の宗旨を説き小取に於て特に弁証法をのべて居る。さうして経上下篇には名家の間に問題と成つた名辞の定義がのせられて居り、経説上下はその説明である。 (本書106頁。原文旧漢字)

 とあるが、孫詒譲『墨子間詁』の読みと解釈(たいへん恣意的で拠りがたい)に、そのまま乗っかっている。自分で読んでいない。

(岩波書店 1936年5月)

荒木見悟 「一 気学解釈への疑問 王廷相を中心として」

2014年07月26日 | 東洋史
 同氏著『中国心学の鼓動と仏教』(中国書店 1995年9月)、同書3-49頁。

 気学とは、「宋代の張横渠〔載〕に始まり、明代における王廷相以下を通過し、清代の王船山〔夫之〕・戴東原〔震〕に至る、気尊重論者の思想」として、「従来の『理学』『心学』に対する独自の哲学として認識すべき」(3頁)と張岱年によって提唱されて以後、「中国においてはこれに同調する学者が多く、しかも気学者は唯物論の先駆をなすものとして、理学者・心学者よりも優位に立つものとして顕彰されつつあるようである」(同)ものである。

湯浅幸孫 『中国倫理思想の研究』

2014年07月25日 | 東洋史
 張載は、気は不生不滅であり集散を繰り返すとした。「第二部 中國倫理思想の諸問題 三 思想家としての王廷相 張載と王廷相」、本書205頁。では張のこの発想は何処から出てきたのか。
 朱子は仏教と見たらしい。「朱子は氣は絶えず生産され、一旦散じた氣は復た聚まらず、遂に消滅すると考え(「文集」四五、「答廖子晦」)、張氏の聚散説は、『釋子の輪廻の説』であると貶した(「語類」九九)」(本書206頁)。

(同朋舎 1981年4月)