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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『芭蕉研究論考集成』(クレス出版 1999年12月)の第三巻をゆえあって開いたら、・・・

2018年04月15日 | 思考の断片
 『芭蕉研究論考集成』(クレス出版 1999年12月)の第三巻をゆえあって開いたら、板坂元氏の論考が収録されていた。そのひとつが「芭蕉研究の動向」(もと『芭蕉研究』昭和26年12月、復刊第一号掲載)。氏は当時の斯界に芭蕉を「ルムペン町人」「階級脱落者」と規定する風潮があると指摘して、そのような規定が「軽率」であり研究になんらの貢献も行わないと切言しておられる。昭和26年とは西暦にして1951年である。中華人民共和国成立の2年後のこととて、中国史研究でも、天下はまだ初々しく、いまから見てわけがわからず、書いた本人も後年引き下げるような“論文”が相当の専門誌を飾っていた頃である。

中国史のある分野の最新の専著(ことし1月に出たばかり)を繙いてみたところ、・・・

2018年04月15日 | 思考の断片
 中国史のある分野の最新の専著(ことし1月に出たばかり)を繙いてみたところ、ある事実の解釈と説明のくだりで、途中で「よくわからないが」と言ったあと、「たぶんそうするのが当時は重要と見なされていたのだろう」(要約)とあるので、驚倒した。これで通るらしい。
 その他おおよその部分は従来の通説と用語を網羅し取り合わせて叙述してあるだけの、該分野の概説も兼ねる本著は、かつて出た大御所によるどうしようもない同名の前作につづいて、また該分野が取り組む対象の全体像を提供するどころか、研究にも何の益ももたらさなさそうである。
 なぜ書こうと思ったのか。

豊田有恒 『邪馬台国を見つけよう』

2018年04月15日 | 日本史
 韓国から出発して九州、そして近畿へと、実際に移動しながら行う、フィールドワーク風の知的探検記なのだが、表紙絵の人物がリビングストンのようなアフリカ探検用の出立ちで、しかも象に乗っている。いったいどこへ行くつもりかと言いたくなる。

(講談社 1975年5月)

森千里 『鴎外と脚気 曾祖父の足あとを訪れて』

2018年04月14日 | 自然科学
 高木兼寛との脚気論争では鴎外を擁護する。具体的には鴎外責任説を流布した対象の批判というかたちをとり、某小説作品がやり玉に挙げられる。個人的には、板倉聖宣先生の『模倣の時代』の名が出ず、この書がここでも専門家による評価を受けないのが、残念ではある

(NTT出版 2013年1月)

『玉台新詠』に収められている「擬~」という題の作品は、・・・

2018年04月13日 | 思考の断片
 『玉台新詠』に収められている「擬~」という題の作品は、(全部がそうではないが、)我が国の詩歌でいうところの「本歌取り」であり、“擬”という語は、まさに、「本歌取りをする」という意味ではないのか。ざっと見、漢語辞書では当然ながら“效法;摹拟”という、漢語の世界における理解と説明であるが。

『文選』の散文の文体類別は、文体そのものの特徴を実例から抽きだして・・・

2018年04月09日 | 東洋史
 『文選』の散文の文体類別は、文体そのものの特徴を実例から抽きだしてそれで他の例の当否を判断してゆくのではなく、何の為に書かれたか、そしてそれは誰から誰へのものだったか、上から下へか、下から上かという、使われた用途や授受の行われた際の両者の社会的関係、つまり外見から判断したようだ。
 前に自分はこんな↓ことを書いていた。いまのツイートと内容的に整合するのかどうか。

 →2014年09月13日「福井佳夫 『六朝文体論』」