『芭蕉研究論考集成』(クレス出版 1999年12月)の第三巻をゆえあって開いたら、板坂元氏の論考が収録されていた。そのひとつが「芭蕉研究の動向」(もと『芭蕉研究』昭和26年12月、復刊第一号掲載)。氏は当時の斯界に芭蕉を「ルムペン町人」「階級脱落者」と規定する風潮があると指摘して、そのような規定が「軽率」であり研究になんらの貢献も行わないと切言しておられる。昭和26年とは西暦にして1951年である。中華人民共和国成立の2年後のこととて、中国史研究でも、天下はまだ初々しく、いまから見てわけがわからず、書いた本人も後年引き下げるような“論文”が相当の専門誌を飾っていた頃である。
中国史のある分野の最新の専著(ことし1月に出たばかり)を繙いてみたところ、ある事実の解釈と説明のくだりで、途中で「よくわからないが」と言ったあと、「たぶんそうするのが当時は重要と見なされていたのだろう」(要約)とあるので、驚倒した。これで通るらしい。
その他おおよその部分は従来の通説と用語を網羅し取り合わせて叙述してあるだけの、該分野の概説も兼ねる本著は、かつて出た大御所によるどうしようもない同名の前作につづいて、また該分野が取り組む対象の全体像を提供するどころか、研究にも何の益ももたらさなさそうである。
なぜ書こうと思ったのか。
その他おおよその部分は従来の通説と用語を網羅し取り合わせて叙述してあるだけの、該分野の概説も兼ねる本著は、かつて出た大御所によるどうしようもない同名の前作につづいて、また該分野が取り組む対象の全体像を提供するどころか、研究にも何の益ももたらさなさそうである。
なぜ書こうと思ったのか。
韓国から出発して九州、そして近畿へと、実際に移動しながら行う、フィールドワーク風の知的探検記なのだが、表紙絵の人物がリビングストンのようなアフリカ探検用の出立ちで、しかも象に乗っている。いったいどこへ行くつもりかと言いたくなる。
(講談社 1975年5月)
(講談社 1975年5月)
出版社による紹介。
著者は一般に和漢混淆文と呼ばれる文体をさらに二分して、漢語が“雅”ならざる漢語のまま使われるものと、和文脈のなかに漢語を融合させた“雅”なる和漢融合文とに分ける。その例として宴曲(早歌)と『方丈記』が挙がる。
(講談社学術文庫版 1997年12月)
著者は一般に和漢混淆文と呼ばれる文体をさらに二分して、漢語が“雅”ならざる漢語のまま使われるものと、和文脈のなかに漢語を融合させた“雅”なる和漢融合文とに分ける。その例として宴曲(早歌)と『方丈記』が挙がる。
(講談社学術文庫版 1997年12月)
書誌情報はこちら。
テクストは『批評集成・源氏物語』4「近代の創見」(ゆまに書房1999/2)収録のものを読む。研究者として小西先生の両訳、とりわけウェイリー訳への評価とスタンスに、また翻訳者としてウェイリーのスタンスに、100%賛成である。
テクストは『批評集成・源氏物語』4「近代の創見」(ゆまに書房1999/2)収録のものを読む。研究者として小西先生の両訳、とりわけウェイリー訳への評価とスタンスに、また翻訳者としてウェイリーのスタンスに、100%賛成である。
「本歌取り」をウィキペディアの英語版で引いたら、"allusion", "trope"という説明(翻訳)がなされている。https://en.wikipedia.org/wiki/Honkadori 後者は当然といえ、前者のallusion(引喩)とするとは教えられた。興味深い。
高木兼寛との脚気論争では鴎外を擁護する。具体的には鴎外責任説を流布した対象の批判というかたちをとり、某小説作品がやり玉に挙げられる。個人的には、板倉聖宣先生の『模倣の時代』の名が出ず、この書がここでも専門家による評価を受けないのが、残念ではある。
(NTT出版 2013年1月)
(NTT出版 2013年1月)
出版社による紹介。
日本の洋食の歴史を書いた一般書を図書館から数冊借りて目を通したが、偶然かどうか、鴎外と高木兼寛の脚気論争について触れているものは少なかった。これはそのなかで例外のひとつ。ただ脇道だから簡単に。本書67-69頁。
(講談社 2000年3月)
日本の洋食の歴史を書いた一般書を図書館から数冊借りて目を通したが、偶然かどうか、鴎外と高木兼寛の脚気論争について触れているものは少なかった。これはそのなかで例外のひとつ。ただ脇道だから簡単に。本書67-69頁。
(講談社 2000年3月)
『文選』の散文の文体類別は、文体そのものの特徴を実例から抽きだしてそれで他の例の当否を判断してゆくのではなく、何の為に書かれたか、そしてそれは誰から誰へのものだったか、上から下へか、下から上かという、使われた用途や授受の行われた際の両者の社会的関係、つまり外見から判断したようだ。
前に自分はこんな↓ことを書いていた。いまのツイートと内容的に整合するのかどうか。
→2014年09月13日「福井佳夫 『六朝文体論』」
前に自分はこんな↓ことを書いていた。いまのツイートと内容的に整合するのかどうか。
→2014年09月13日「福井佳夫 『六朝文体論』」