これも面白い。異教徒であるジューンガルや清朝の支配を、東トルキスタンのイスラム教徒たちは、古く突厥時代からテュルク系民族に伝わる「塩(とパン)の義務」という、いわば「一宿一飯の恩」の倫理で正当化したのだと。そしてそれはやがて、「聖戦」というイスラームの異教徒に対する義務の観念によって優越されることになった由。
しかしその結実であったはずのヤークーブ・ベクはおのれの権力掌握の過程で、各地で「聖戦」のために立ち上がったそれらイスラム教徒の蜂起集団を各個撃破して潰して行き、ついには左宗棠に倒されて東トルキスタンはふたたび清朝の支配下に還るとともに、新疆省として内地扱いにさえされてしまう。
(『東洋史研究』52-2, 1993.9, pp. 122-148)
しかしその結実であったはずのヤークーブ・ベクはおのれの権力掌握の過程で、各地で「聖戦」のために立ち上がったそれらイスラム教徒の蜂起集団を各個撃破して潰して行き、ついには左宗棠に倒されて東トルキスタンはふたたび清朝の支配下に還るとともに、新疆省として内地扱いにさえされてしまう。
(『東洋史研究』52-2, 1993.9, pp. 122-148)