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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

濱田正美 「『鹽の義務』と『聖戰』とので」

2012年10月04日 | 地域研究
 これも面白い。異教徒であるジューンガルや清朝の支配を、東トルキスタンのイスラム教徒たちは、古く突厥時代からテュルク系民族に伝わる「塩(とパン)の義務」という、いわば「一宿一飯の恩」の倫理で正当化したのだと。そしてそれはやがて、「聖戦」というイスラームの異教徒に対する義務の観念によって優越されることになった由。
 しかしその結実であったはずのヤークーブ・ベクはおのれの権力掌握の過程で、各地で「聖戦」のために立ち上がったそれらイスラム教徒の蜂起集団を各個撃破して潰して行き、ついには左宗棠に倒されて東トルキスタンはふたたび清朝の支配下に還るとともに、新疆省として内地扱いにさえされてしまう。

(『東洋史研究』52-2, 1993.9, pp. 122-148)

千葉正史 「清末における電奏・電寄諭旨制度の成立 清朝政治體制への電氣通信導入をめぐって」

2012年10月04日 | 東洋史
 リヴァディア条約交渉において崇厚が独断で調印したのは特命全権大使として当然の職権を行使したまでで、本国からの電報による訓令の位置づけがまだ確立していなかったことに、事態紛糾の原因のすくなくとも一斑は求められるらしい。それにしても曽紀澤はその言動を観るに物のわかった男のようで、俄然興味が湧いてきた。

(『東洋史研究』64-4, 2006.3, pp. 73-102)