書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

司馬遼太郎/山崎正和 『日本人の内と外』 から

2009年05月22日 | 抜き書き
山崎 たしかに日本人は一方では数の子みたいな群居性をもっていますけれども、その反面、個物への関心が裏にあるために、趣味ということがかなり問題になって、同時にそれが技術尊重の精神に結びついて、半分だけですけれども、近代的個人主義につながる要素がある。それから商業道徳というものがかなり早い時期に生まれていて、商売人は本質的にうそをつかない人間と考える風潮がある。(略)  こういう要素を重ねていきますと、日本人はまず七割くらい西洋人です。しかも近代の西洋人だと言える。ところが、実際には、西洋人と大きな違いがあるのは当然で、まず一神教というのは、日本人にはまったくわからない。ある一つの原理からすべてを説明するというようなことは、どうでもいいと思う国民です。しかし、それじゃ合理的でないかというと、そうでもなくて、合理主義にもう一つのタイプがあるわけですね。つまり一つのものと別のものとに共通の要素を見いだして、そこに二つだけのあいだの共通の原理を見いだす。三つ目が出てくると、この三つ目を加えてまたその共通の原理を広げ、四つ目、五つ目とだんだん広げていく。そしてこの範囲だけは合理的に理解できるわけです。しかし、世界の全体がどうなっているか、ということはわからないし、また問題にもしない。日本人にはこういふうな合理主義があるので、事実、その合理主義で十七世紀の西洋人がかなりへこまされたわけです。 (「Ⅴ 日本人の自己表現」、本書170-171頁)

(中央公論新社中公文庫版 2001年4月)