副題:"Reform and Revolution on the Russia-China Frontier"
出版社による紹介。
非常に興味深い。
セルゲイ・マーロフはその人生の早い時期にブルハン・シャヒディと出会っている。1913-1915年の間のいつか(1914年2月?)、ウルムチにおいて。本書51頁。ブルハンの『新疆五十年』にも載っていたかどうか。1921年アルマアタ(もしくはタシケント)会議のことは出て来ないが、1934年に彼が行った”唯一公的な”関係コメントとして、“クラプロートが主張しているように、新疆のテュルク系住民はウイグル人の伝統を受け継ぐ者であると科学的見地から言うことができる”(大意)という発言が紹介されている。本書229頁。
ただ、この“ウイグル人”認定の全過程において、マーロフのような言語学者の果たした役割は偶発的・副次的なもので中心的なものではまったくなかったと著者は断じている。ただしその根拠は示されていない(同上頁)。
2016年9月30日注記。
『新疆五十年』(北京、文史資料出版社 1984年2月)を、念のため「楊増新統治時期」の終わりまで繰ってみたが、マーロフの名は出て来ない。
(Harvard University Press, April 2016)
出版社による紹介。
非常に興味深い。
セルゲイ・マーロフはその人生の早い時期にブルハン・シャヒディと出会っている。1913-1915年の間のいつか(1914年2月?)、ウルムチにおいて。本書51頁。ブルハンの『新疆五十年』にも載っていたかどうか。1921年アルマアタ(もしくはタシケント)会議のことは出て来ないが、1934年に彼が行った”唯一公的な”関係コメントとして、“クラプロートが主張しているように、新疆のテュルク系住民はウイグル人の伝統を受け継ぐ者であると科学的見地から言うことができる”(大意)という発言が紹介されている。本書229頁。
ただ、この“ウイグル人”認定の全過程において、マーロフのような言語学者の果たした役割は偶発的・副次的なもので中心的なものではまったくなかったと著者は断じている。ただしその根拠は示されていない(同上頁)。
2016年9月30日注記。
『新疆五十年』(北京、文史資料出版社 1984年2月)を、念のため「楊増新統治時期」の終わりまで繰ってみたが、マーロフの名は出て来ない。
(Harvard University Press, April 2016)