『管子』という書物が、すくなくとも部分、もしかしたら全部、管仲本人の書いたものではなく後世の人間、大きく括って「管子学派」と分類すべき人々によって著された文章の集成であること、しかもその編集方針にも内容にも取り立てて一貫性は認められず、雑然とした編纂物となっていることはわかった。
『○○先生紀念論文集』みたいなものと考えれば遠からずだろうか。
付記。
『管子』「立政」篇を読んで、その言葉と内容の薄っぺらなことに驚いた。多分に戯画化されているが、いわゆる経営コンサルタント(コンサル屋と貶めて呼ばれるらしいが)がよく使うとされて、しばしば揶揄される話法に、そっくりである。
國之所以治亂者三,殺戮刑罰,不足用也。國之所以安危者四,城郭險阻,不足守也。國之所以富貧者五,輕稅租,薄賦斂,不足恃也。治國有三本,而安國有四固,而富國有五事,五事五經也。 (「諸子百家中國哲學書電子化計劃」)
やたらに数立てて理由やら条件やら案を述べ立てる所がである。しかもこの場合、始末の悪いことにそのどれもが具体性に欠け、曖昧で、確かな中身がない。
(岩波書店 1987年7月)
『○○先生紀念論文集』みたいなものと考えれば遠からずだろうか。
付記。
『管子』「立政」篇を読んで、その言葉と内容の薄っぺらなことに驚いた。多分に戯画化されているが、いわゆる経営コンサルタント(コンサル屋と貶めて呼ばれるらしいが)がよく使うとされて、しばしば揶揄される話法に、そっくりである。
國之所以治亂者三,殺戮刑罰,不足用也。國之所以安危者四,城郭險阻,不足守也。國之所以富貧者五,輕稅租,薄賦斂,不足恃也。治國有三本,而安國有四固,而富國有五事,五事五經也。 (「諸子百家中國哲學書電子化計劃」)
やたらに数立てて理由やら条件やら案を述べ立てる所がである。しかもこの場合、始末の悪いことにそのどれもが具体性に欠け、曖昧で、確かな中身がない。
(岩波書店 1987年7月)