副題「中華世界とチベット世界の狭間で」。
『史学雑誌』118-7(2009年7月)、1330-1356頁掲載。
木氏による周辺チベット地域への勢力拡大は、中国側からは藩塀の行い――褒むべきあるいは当然の義務としての――として観られていたが、実際は自らの勢力拡大の為の行動であったという指摘。そして、土司としての木氏は、現実には中国からの掣肘をほぼまったく受けていなかったという、いまひとつの重大な指摘。
『史学雑誌』118-7(2009年7月)、1330-1356頁掲載。
木氏による周辺チベット地域への勢力拡大は、中国側からは藩塀の行い――褒むべきあるいは当然の義務としての――として観られていたが、実際は自らの勢力拡大の為の行動であったという指摘。そして、土司としての木氏は、現実には中国からの掣肘をほぼまったく受けていなかったという、いまひとつの重大な指摘。