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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

岡田英弘 『世界史の誕生』

2011年12月19日 | 世界史
 2011年12月17日「宮脇淳子 『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』」より続き。

 〔1368年〕、元朝の皇帝トゴン・テムル・ハーンは中国を放棄してモンゴル高原に撤退した。しかし元朝は亡びたわけではなかった。モンゴル高原のモンゴル人は、依然としてチンギス家のハーンたちを戴いて「大元」の国号を使用し、明朝を皇帝とは認めず、明朝の中国を「イルゲン・ウルス」(領民のウルス)と呼んで、対立を続けた。 (「第6章 モンゴル帝国は世界を創る」本書210頁)
 
 とすると、『明史』「韃靼伝」の“去國號,遂稱韃靼雲”のくだりは、“遂稱韃靼雲(ママ。云?)”だけでなくその前の“去國號”も含めて曲筆ということになる。チンギス裔(チンギス・ハーン男系子孫)の最後のハーン、リンダンが死んだあと、その妻と子は後金(清)のホンタイジに元朝伝来の玉璽を献上しているから、「大元」という国号は使用され続けていたのだろう。すくなくともその国体意識はあったと見なすのが自然である(注)。
 あるいは、ここは主語が「明朝」に換わっているのを、私が読み違えたか。
 それにしても、“領民のウルス”とは、凄い表現である。もとの我らが領民どもが建てた国というほどの意味だろう。暖簾分けしてやったというくらいの意識か。あきらかに見下している。

 。そういえばエセンは、「大元天聖大可汗」と称してハーン位に就いていたな。チンギス裔でないので認められず、あっというまに殺されたが。そうだ、ダヤン・ハーンも、いまは中国では「達延汗」とか「太陽汗」だのと漢字を当てるが、あれは「大元のハーン」の意味だと、むかし岡田先生と宮脇先生に教えていただいたっけ。

(筑摩書房 1992年5月初版第1刷 1994年12月初版第6刷)