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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

中国では明時代になるとなぜモンゴル(蒙古)をタタール(韃靼)と言い換えたのか

2011年12月16日 | 東洋史
通説では、1388年に北元が滅亡した(皇帝トグス・テムルが殺されフビライ系皇統が断絶)したことを境に、それまでのモンゴルと区別するために「蒙古」から「韃靼」へと呼称を替えたという。『明史』では少しくニュアンスを違えて書いてある。

 而敵自脫古思帖木兒後,部帥紛拏,〔・・・〕不復知帝號。有鬼力赤者篡立,稱可汗,去國號,遂稱韃靼雲。(巻327「列伝」卷327 列傳第215 外國八 「韃靼」
 トグス・テムルの後、部族や主立った指導者たちが互いに争い、もはや帝号を称することもなくなった。グイリチ(オルク・テムル)という者がハーンと称した。もはや国号を名乗ることもなくなり、ただ韃靼(タタール)とだけ称するようになった。


 中国式の帝号や国号を名乗らなくなったから(つまり王朝として滅亡したから)と判断してのことだというのだが、その説明そのものの当否はさておき、それでもなぜここで「韃靼」を持ち出したのかの理由は明らかになっていない。
 そもそもこの『明史』の「韃靼」伝、冒頭「韃靼,即蒙古,故元後也」とあるのは、いかにも簡明直裁で宜しいが、それはどうしてかを続けて書けよ。