副題「Феномен государства Чингисхан в истории Евразии」
(日本語訳:スルタン・アキムベコフ 『ステップの歴史 ユーラシア史におけるチンギス・ハーン国家という現象』)
世界史ではないにせよ「ユーラシア史はモンゴル帝国より始まる」というどこかで聞いた主張。
ちょっと毛色が違うのは、チンギス・ハーンは中国の中央集権制度を取り入れ、彼の息子たちはそれをユーラシアに広めたという点。著者によれば、ジョチ・ウルス崩壊後に出現したその継承国家たるロシア帝国(モスクワ大公国・モスクワ・ツァーリ国を含め)の専制体制は、正にモンゴル帝国を経由した中国の専制体制の影響というより輸入だという。そして17世紀に成立する清朝も、もちろんモンゴル帝国(元)の後継者であるとともに伝統中国の専制の正当な後継者であり、つまりユーラシアは中国とモンゴル帝国双方二重の意味での継承国家によって二分されたというのが、著者のとなえる雄大な構図である。
そのなかでカザフスタンは両者の中間で独特の自立した地位を保ったというのが、カザフスタン国民である著者の主張である。大・中・小ジュズの存在がその根拠らしいが、このあたりにくるとよくわからない。モンゴル帝国の影響を最後に受けて成立したからだというのだが、それはつまりは歴史が浅いということである。歴史が浅いということが自慢になるのかしらん。
(Алматы: Центр Азии, 2011)
(日本語訳:スルタン・アキムベコフ 『ステップの歴史 ユーラシア史におけるチンギス・ハーン国家という現象』)
世界史ではないにせよ「ユーラシア史はモンゴル帝国より始まる」というどこかで聞いた主張。
ちょっと毛色が違うのは、チンギス・ハーンは中国の中央集権制度を取り入れ、彼の息子たちはそれをユーラシアに広めたという点。著者によれば、ジョチ・ウルス崩壊後に出現したその継承国家たるロシア帝国(モスクワ大公国・モスクワ・ツァーリ国を含め)の専制体制は、正にモンゴル帝国を経由した中国の専制体制の影響というより輸入だという。そして17世紀に成立する清朝も、もちろんモンゴル帝国(元)の後継者であるとともに伝統中国の専制の正当な後継者であり、つまりユーラシアは中国とモンゴル帝国双方二重の意味での継承国家によって二分されたというのが、著者のとなえる雄大な構図である。
そのなかでカザフスタンは両者の中間で独特の自立した地位を保ったというのが、カザフスタン国民である著者の主張である。大・中・小ジュズの存在がその根拠らしいが、このあたりにくるとよくわからない。モンゴル帝国の影響を最後に受けて成立したからだというのだが、それはつまりは歴史が浅いということである。歴史が浅いということが自慢になるのかしらん。
(Алматы: Центр Азии, 2011)