書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

安重根は平和の使徒だそうな(1)

2008年10月25日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2008/10/24 17:01、兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 「『安重根は東北アジアの平和都市を夢見ていた』(上)」
 〈http://www.chosunonline.com/article/20081024000069

 安重根の銃弾が絶叫していたのはほかでもない、“東洋の平和”だった  (兪碩在記者)

 1909年10月26日、安重根による狙撃は単なる暗殺ではなく、侵略への抵抗という平和のメッセージだった (兪碩在記者)

 安重根は被植民諸国の民族を代表していたのであり、東洋平和のかく乱者を処断することでアジアの平和に貢献した“世界史的な人物”だった (中国ハルビン市に住む安重根研究家のソ・ミョンフン氏(元ハルビン市民俗宗教事務局副局長)

 安重根による伊藤博文殺害は、韓国侵略の元凶であり東洋平和の破壊者に対抗し、人間の自由を守ろうとする正義の行為だった (国民大学の張錫興(チャン・ソクフン)教授)

▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2008/10/24 17:01、兪碩在(ユ・ソクジェ)記者 「『安重根は東北アジアの平和都市を夢見ていた』(中)」
 〈http://www.chosunonline.com/article/20081024000070

 安重根をテロリストとする認識は、韓国近代史そのものに傷をつける危険な発想だ。ある一人の義挙ではなく、“義兵部隊組織の指揮官”として行動したのだから、“ハルビンでの大勝利”と呼ぶべきだ (ソウル大学の李泰鎮(イ・テジン)教授)

 おおっぴらに殺人行為を賛美し、殺人者を賞賛し、さらには人殺しを平和のメッセージやらに平和に貢献する行いであるなどと唱え、正義のためなら人を殺すのはそれはテロではなく“勝利”であると言う。しかもそれを公言する。私には狂っているとしか思えない。
 たとえば井伊直弼の暗殺は、歴史の高みから見れば、かなりの程度正当化できるかもしれない。しかしもしそうであっても、井伊を暗殺した水戸藩と薩摩藩の浪士たちを手放しで誉めるのは憚られる。吉良上野介を討って主君の仇を取った赤穂の浪人たちは、少なくとも当時の価値観からみれば義士であろう。だが、私はそのことを理解しつつも、いわばよってたかって老人一人をなぶり殺した行いそのものは、とても褒める気にはならない。