書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

2009年08月12日 「片岡一忠 『清朝新疆統治研究』 から」 より続き

2009年08月15日 | 抜き書き
1.宮脇淳子『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』(講談社、1995年2月) から

 一五七五年、イヴァン四世はモスクワにシメオン・ベクブラトヴィッチなる人物を迎えてツァーリの位につけ、自分はこれに臣事して、翌年あらためて譲位を受けてツァーリとなった。〔中略〕イヴァン四世自身、父方ではドミートリー・ドンスコイの嫡孫であるが、母方ではその敵手ママイの血を引いていた。ママイは、チンギス・ハーンの男系子孫ではなかったが、「白いハーン」と呼ばれたという。モスクワのツァーリも、ラテン語で「白い皇帝」と自称し、東方のモンゴル族からは「白いハーン」(チャガン・ハーン)とよばれた。ロシア皇帝も、その出発点は、モンゴル帝国の後継者だったのである。 (「第五章 十七世紀のオイラト」 本書161-162頁。太字は引用者)

 称号まで引き継いだのか。しかも自称している。これはまさしく自覚的な後継者ではないか。
 しかし・・・・・・。

2.佐口透『東西文明の交流 4 モンゴル帝国と西洋』(平凡社、1970年10月初版第1刷、1980年4月初版第3刷) から

 金帳ハン国〔キプチャク・ハーン国〕のルーシ支配の余波は、ロシア史の各所に認めることができる。〔中略〕イヴァン三世はビザンツ帝国最後の皇帝の姪であるソフィヤ=パレオログスと結婚することによって、文化的にも密接な関係のあるビザンツの後継者たることを意識したが、ツァーリはビザンツの帝号であったのである。他方イヴァン四世はカザン・アストラハンの両ハン国を神から与えられたと称することによって、金帳ハン国のこのふたつの継承国家に対する相続権をもつことを示そうとした。 (「第二章 モンゴルとルーシ」 本書142頁)

 イヴァン四世の祖父にあたるイヴァン三世は、ロシアはビザンツ帝国の正統な後継者であると唱え、孫のイヴァン四世は今度は一転してロシアをモンゴル帝国の正統な後継者であると主張した。このいわば節操のなさを見ると、それほど深い哲学的な理念や文化的な背景あってのことではなく(そのどちらもが)、たんにその時々の状況下における政治的な利益(権威の強化、対外拡張政策の正当化)を得るためのマヌーバーにすぎなかったのではないかという気もしてくる。