佐々木毅先生の『よみがえる古代思想』(講談社学術文庫)を読んでいると、十七世紀に近代哲学から目的因が消えていくという指摘がある(114頁)。この時期に「自分/我」という存在を指す語が例えば英語ではobjectからsubjectに変わり(いわば視角が反転し)、そしてこれも英語だが、いくつかの形容詞の意味が、外見のそれ、もしくは他者から見える状態の形容から、内面の、その原因となるもとの状態(=作用因)を形容する意味へと変わるのもたしかこの頃の筈だが、何か関係はあるのだろうか。
記憶に頼っての思考のため、あとで改めて書き直す。
記憶に頼っての思考のため、あとで改めて書き直す。