書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

佐々木毅先生の『よみがえる古代思想』(講談社学術文庫)を読んでいると、・・・

2018年06月28日 | 思考の断片
 佐々木毅先生の『よみがえる古代思想』(講談社学術文庫)を読んでいると、十七世紀に近代哲学から目的因が消えていくという指摘がある(114頁)。この時期に「自分/我」という存在を指す語が例えば英語ではobjectからsubjectに変わり(いわば視角が反転し)、そしてこれも英語だが、いくつかの形容詞の意味が、外見のそれ、もしくは他者から見える状態の形容から、内面の、その原因となるもとの状態(=作用因)を形容する意味へと変わるのもたしかこの頃の筈だが、何か関係はあるのだろうか。

 記憶に頼っての思考のため、あとで改めて書き直す。

考えてみれば「塘」という字は不思議で、・・・

2018年06月28日 | 人文科学
 考えてみれば「塘」という字は不思議で、もともと堤防を意味していた(土偏であることに注意)のが、そのうちその堤防で防ぐもしくはせき止める対象の水、とくに溜まっている水(池や湖、のち風呂屋の大風呂も)をも、囲いごと示すようになった。引申義といえばそれまでだが、換喩としても理解できる。

米盛裕二 『アブダクション 仮説と発見の論理』

2018年06月28日 | 人文科学
 出版社による紹介

 アブダクションとは所謂“アイデア”もしくは“インスピレーション”というものを、「なんでそれを思いついたんかはわからへんけど、それで目の前のこれを説明できるやからそれでええやないか」を、「理屈は通らへんけどそれでええやんありにしよ」と認めることであるということが、ようやく理解できた。「ちゃんと説明できてることについてはきっちり検証して確かめてな」という但し書き付きで。

 付けたり。アブダクションというものは想像力、ひいてはその人の創造力に係わるものでもあると私は考えているが、結局、ある人にオリジナリティがあると認められる場合、そのオリジナリティのメカニズムは分からない、分からないから措いて触れないということかというふうにも、この論旨は理解しようと思えばできる。

(勁草書房 2007年9月)

平川祐弘先生の『デカメロン』解説で、アーサー・ウェイリーが用いた・・・

2018年06月28日 | 人文科学
 平川祐弘先生の『デカメロン』解説で、アーサー・ウェイリーが用いた二つの翻訳手法への言及があり、先生ご自身の同作翻訳と俱に大いに裨益さる。ウェイリーはこの対蹠的な二手法を、おそらく対象の性質によって意識的に使い分けたわけだが、それぞれを方法論的に確立させていたのであれば心強い。


『鳴門秘帖』が山本耕史さんの法月弦之丞でリメイクされていたとは・・・

2018年06月28日 | 
 『鳴門秘帖』が山本耕史さんの法月弦之丞でリメイクされていたとは知らなかった。田村正和さんの時に少し覧ている。原作も読んだがあまり憶えていない。三田村鳶魚翁には、生半可に江戸の知識を仕入れているのがかえっていけない、嘘がより目立つと酷い謂われ様である。 …

ヘッセ『荒野の狼』を里村和秋氏の日本語訳で読む。・・・

2018年06月28日 | 
 ヘッセ『荒野の狼』を里村和秋氏の日本語訳で読む。「それは彼らではなく時代の誤り」と言いながら、ワーグナーとブラームスを「あまりの過剰」「あまりに浪費」と、とどのつまりは似たもの扱いして、大笑いしながら小馬鹿にしまくるモーツァルトのパートは、三ツ矢雄二氏に朗読して貰いたい。ドイツ語はわからないながら、はたしてそれは翻訳だけの印象かどうかと想像してみるのは楽しくもある。

「三和人材市場」のNHKドキュメンタリーを覧た。・・・

2018年06月28日 | テレビ
 「三和人材市場」のNHKドキュメンタリーを覧た。いろいろな地方(=方言地域)から来た人たちからインタビューを取っているが、思ったほど普通話の訛りがきつくない。あと、主人公格の青年が道を歩いてどこかへ行くのを追いかけて撮影する形のカメラが、彼が途中ネットカフェに寄ったとき、どういうわけか彼の入ってくるのを店の奥から撮している構図のシーンがあった。むかしのなにやら探検隊のようだと思った。