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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

今村与志雄訳、魯迅「中国小説史略」「漢文学綱要」を読む

2018年02月28日 | 文学
 学研『魯迅全集』11(相浦杲編、1986年5月)収録。

 魯迅訳といえば岩波『魯迅選集』のお陰もあり竹内・増田・松枝三御大の作業しかほぼ知らなかったのだが、今村魯迅も素晴らしい。私が魯迅の原文や周囲の回想や研究者の評伝その他を読んで感じる魯迅の一面をよく伝えているように思う。

吉川英治 「田崎草雲とその子」

2018年01月12日 | 文学
 テクストは青空文庫

 昭和七年。戦後の司馬遼太郎「喧嘩草雲」に先行する当作は、題名のとおり、前者にはまったく出てこない一人息子格太郎が、草雲とほぼ同等の主人公となっている。そして司馬作ではやや陰の薄い妻お菊は、話半ばで死没するまで、草雲のかけがえのない伴侶として(これも司馬作ではまったく触れられるところがないが、豪快な草雲と馬の合う彼女の実家の破天荒な兄弟たちとともに)、重要な副主人公であり続ける。

吉森佳奈子 『「河海抄」の「源氏物語」』

2018年01月09日 | 文学
 出版社による紹介

 延喜・天暦を時代の准拠として強く主張した『河海抄』が、一方で、『源氏物語』以降の史実を挙げていることに充分留意してきただろうか。〔略〕言い換えると、『河海抄』を捉えるトータルな視点を持つことなく、作品の方法を論じるのに都合の良い先例だけを取り出して指摘していたのが近代以降の准拠(準拠)論ではなかったか。 (本書18頁)
 
 とりあえず、『河海抄』においては時間の観念が現代人とことなるのではないかという仮定を立ててみよう。過去から現在、そして未来へと不可逆的に直進はしないと。

(和泉書院 2003年10月)

金孝淑「『河海抄』の和と漢 『源氏物語』の世界を読み解く」

2018年01月09日 | 文学
 陣野英則・横溝博編『平安文学の古注釈と受容』第一集、(武蔵野書院 2008年9月)所収、同書124-144頁。
 出版社による紹介

 『河海抄』で「本朝(我朝)」、「異朝(また唐朝・漢朝)」という言葉が多用される(著者の言葉を借りれば「そうした例が際立つ表現として用いられ、「和」と「漢」を取り揃えようとする意識が顕著に見られる」)のは、まず漢語(漢文)で説明して、日本語による説明はそのあと、つまり漢語が主で和語は副もしくは従という、注釈の作者四辻善成の言語マインドによるものと、まず説明できるのではないか。
 要するにそれは漢語(漢文の語彙。少なくとも当人はそう考えていた)だからであろう。
 ただし別の研究によれば、この漢語第一の言語感覚は当時の注釈者においては通例のことだったらしいから、ではこの言葉遣いは他の注釈にはさほど見られず善成だけがなぜ多用したのか(ふたたび金氏の言葉を借りれば“「和」と「漢」を取り揃えよう”としたのか」)と、次なる段階に立った上での説明が必要になる。ちなみに「物語の内容に符号しない内容であっても和漢の例を合わせて並べようとする『河海抄』の注釈態度」(133頁)は、「『河漢抄』固有のものとは言い難い」(同)と合わせて、別の観点から解釈を考える必要があると私は思う。

ウィキペディア「大番 (小説)」項を見て

2017年12月25日 | 文学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%AA_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 この作品、書かれている世界はあまり好きではないけれど、文章の風通しのよさがとても心地よい。自分のそれもふくめて、湿気の高い(内容のみでなく)文章が身のまわりに常、目につくのが主、だから。主人公役の加東大介さん(映画)や渥美清さん(テレビ)がどう演じられたかに、すこしく興味がある。


前田雅之 「和語を和語で解釈すること 一条兼良における注釈の革新と古典的公共圏」

2017年12月13日 | 文学
 『文学』9-3、2008年5・6号掲載、同誌109-126頁。
 概要

 私にとってはたいへんな問題について重大な議論を提起しておられるのだが、まだそれを自分の角度と言葉で整頓できない。当座の宿題とする。

12月20日追記
 前田氏は、『和秘抄』における兼良の注釈方法の前例のない独自性を、一、和語をまず漢語で解釈しない。ぶっつけの和語(=仮名)でそのまま説明する。二、その和語がしばしば単なる言い換え、トートロジーに陥っている、の2点に挙げられる。
 一から氏は、兼良は仮名=漢字、漢語=和語という認識があったと主張されるがこれについてはいまだよくその論理を理解しない。
 そのほか、氏は「文脈の意味を一つの命題から演繹法的に展開していく理解」(132頁)をここ『和秘抄』に見出すとして、それを「朱熹の『論語集注』から始まる」(同)、「宋学あるいは宋学的思考が〔三教一致論・三才一致と合致しているように見える〕兼良の思考のベースを提供していたと思われる」(同)と指摘されるのも現状同断。

12月24日追記
 『(源氏)和秘抄』の注は内容から凡そ3種に分けることができる。

 ①兼良の時代には使われない古語を兼良当時の現代語で解釈し言い直す
 ②同じく古代の事物を現代語で説明する
 ③同じく古代の事物を相当する当時の事物に言い換えることで説明に替える。

 拠ったテクストは中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』2(武蔵野書院1978/12)収録のそれ。

川合康三/緑川英樹/好川聡編 『韓愈詩訳注』 第1冊

2017年12月10日 | 文学
 この訳注書、専門の方々からはどのような評価を受けているのか興味がある。各首毎に、まず解題を掲げ、次いで原文を頁の上に、訓読をその下に。然る後に校勘を付し、それから段落を改めて現代日本語訳を掲げ、最後に、詩中使用もしくは踏まえられる故事成語の補足と説明とを兼ねて、語彙・表現・文法の訳注を固めて置くという伝統的なスタイルである。漢文のジャンルのうち散文については訓読不要論があり、実際にも現代語訳しかつけない論著、あるいは原文も省略する例すら(史学の研究論文など)がすでに存在する。韻文については状況は何如かと。

(研文出版 2015年4月)