『文学』9-3、2008年5・6号掲載、同誌109-126頁。
概要。
私にとってはたいへんな問題について重大な議論を提起しておられるのだが、まだそれを自分の角度と言葉で整頓できない。当座の宿題とする。
12月20日追記。
前田氏は、『和秘抄』における兼良の注釈方法の前例のない独自性を、一、和語をまず漢語で解釈しない。ぶっつけの和語(=仮名)でそのまま説明する。二、その和語がしばしば単なる言い換え、トートロジーに陥っている、の2点に挙げられる。
一から氏は、兼良は仮名=漢字、漢語=和語という認識があったと主張されるがこれについてはいまだよくその論理を理解しない。
そのほか、氏は「文脈の意味を一つの命題から演繹法的に展開していく理解」(132頁)をここ『和秘抄』に見出すとして、それを「朱熹の『論語集注』から始まる」(同)、「宋学あるいは宋学的思考が〔三教一致論・三才一致と合致しているように見える〕兼良の思考のベースを提供していたと思われる」(同)と指摘されるのも現状同断。
12月24日追記。
『(源氏)和秘抄』の注は内容から凡そ3種に分けることができる。
①兼良の時代には使われない古語を兼良当時の現代語で解釈し言い直す
②同じく古代の事物を現代語で説明する
③同じく古代の事物を相当する当時の事物に言い換えることで説明に替える。
拠ったテクストは中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』2(武蔵野書院1978/12)収録のそれ。