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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

コトバンク 「和漢混交文」

2017年12月15日 | 人文科学
 https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E6%BC%A2%E6%B7%B7%E4%BA%A4%E6%96%87-153934

「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」の説明。

 漢文訓読の際の語法,すなわちいわゆる訓点語には,純粋の和文と異なる特徴が多くみられるが,平安時代になってそれらの要素が,当時の口語に近かった和文のなかに交り合って,和漢混交文が成立した。鎌倉時代以降,当時の俗語なども混入するようになり,特に軍記物語によくみられる。

 なるほどそうか。

 明治に確立した普通文も,やはり一種の和漢混交文である。

 やはりね。
 「日本大百科全書(ニッポニカ)」の解説もいい。

 平安時代の和文・漢文訓読文の両様の性格を取り入れ、当時の口語や武士詞(ことば)を交えてなったもの。和文のもつ情緒的なやわらかみに、漢文特有の力強さ、明確な論理性等が加味され、〔中略〕平安時代後期に、漢文の色彩の濃い『三宝絵詞(さんぼうえことば)』『打聞集(うちぎきしゅう)』『今昔物語集』のような説話が文章として残され、和文を基調とした『大鏡』などのなかにも漢文の強い影響がみいだされる。これらを経て鎌倉時代の和漢混交文はできあがっている。鎌倉時代以降は、和漢混交文が文章の主流となり、〔中略〕江戸時代の国学者たちの記した、いわゆる擬古文(ぎこぶん)においても和漢混交文から影響されたものは大きい。[山口明穂]


 いうまでもないが、どちらについてもすべての論点に賛同するわけではない。

渡部昇一 『日本語のこころ』

2017年12月14日 | 人文科学
 学術論文など、知的な文章のときに漢語が多いのは、それは漢語の方がよそよそしいからである。よそよそしいと言って悪ければ、情緒を比較的からませないですむからである。 (「第一章 大和言葉と外来語」 本書20頁。下線は引用者)

 その後の議論は措いてここは同意する。

(講談社 1974年10月)

ウィキペディア 「ウドムルト語」

2017年12月14日 | 人文科学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%89%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%88%E8%AA%9E

 動詞の過去形には話者の経験によるか否かの区別がある(日本語の文語体に似る)。

 面白いな。英語版の同項には同じことをこういう表現で記している。

  The second preterite is a past tense with an evidentiality distinction. It can be compared to the English perfect in which the speaker did not personally observe the past event. The preterite II is marked with (э)м/(е)м, which is historically related to the third infinitive in Finnish. ('Past tense, Preterite II')

『明治学院デジタルアーカイブズ 聖書和訳デジタルアーカイブス』 

2017年12月14日 | 人文科学
聖書和訳史概説 明治元訳の完成ー日本初の聖書全訳『新約聖書』

1872年(明治5)9月、横浜居留地39番のヘボン邸で宣教師会議が開かれ、各派共同での翻訳を決定し、翻訳委員社中を結成した。

委員長をS.R.ブラウン(オランダ改革派)とし、ヘボン(長老派)・グリーン(組合派)・マックシー(メソジスト派)・N.ブラウン(バプテスト派)・パイパーとライト(イギリス教会宣教会)の7名で発足したが、事実上ヘボン・S.R.ブラウン・グリーンが中心となり、日本人補佐人は奥野昌綱・松山高吉・高橋五郎・井深梶之助であった。

翻訳を成し遂げた聖書は1876年より順次分冊刊行して、完訳は1880年(明治13)である。

この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた。

新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。この明治訳は、漢字交じりの格調高い文体であり、本文の正文はかなである。漢字表示は漢訳聖書から当てた字が多く、翻訳を補助した日本人の知識層は漢文に慣れており、漢語調の文体が標準と考えた。しかし、翻訳する宣教師たちは、日本語として誰でもわかる言葉が重要であると考えた」「新約聖書は、平かな版、真仮名(カタカナ)版などの版があり、言葉が定まらない時代に実践的にどのような文字表現が良いかも試している。
 (太字は引用者)

 太字にした部分、『井深梶之助とその時代』では書かれていなかったことを、結果だけ、しかしきっちりと書いている。私にとって肝心の過程が書いてないと、うっかり読み飛ばすところだった。これから推測ができる。

「和漢混交文」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク

2017年12月07日 | 人文科学
 https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E6%BC%A2%E6%B7%B7%E4%BA%A4%E6%96%87-153934

 文語体の一つ。和文体と漢文訓読体とが融合した文体。漢文訓読の際の語法,すなわちいわゆる訓点語には,純粋の和文と異なる特徴が多くみられるが,平安時代になってそれらの要素が,当時の口語に近かった和文のなかに交り合って,和漢混交文が成立した。鎌倉時代以降,当時の俗語なども混入するようになり,特に軍記物語によくみられる。狭義ではこの文体を和漢混交体という。明治に確立した普通文も,やはり一種の和漢混交文である。

擬人法と疑物法

2017年12月05日 | 人文科学
 西洋のレトリックに擬人法があるが、擬物法はさほど例がなく、日本語においてより多用され、後者のかなり特徴的で独自の修辞法として見なせると、このあいだ何かで読んだ憶えがあるのだが、書名を思い出せない。当座の宿題とする。
 それに関して、べつに思い出せるのは、韓愈「送孟東野序」 の「人聲之精者為言;文辭之於言,又其精也,尤擇其善鳴者而假之鳴。 其在唐虞,咎陶、禹其善鳴者也,而假以鳴。夔弗能以文辭鳴,又自假於韶以鳴。夏之時,五子以其歌鳴。伊尹鳴殷,周公鳴周。凡載於詩書六藝,皆鳴之善者也。」のくだりである。これは擬物法である。漢語にはともかくも有るわけだ。

森岡健二 『近代語の成立 明治期語彙編』

2017年11月30日 | 人文科学
 「第七章 新約聖書の和訳」「第八章 旧約聖書の和訳」がとくに、かつて(2,3年前)欽定訳、文語訳、各種漢語訳、そして露語訳を比較参照してみたことのある身には、手が震えるほど面白い。同時に、おのれの先行研究への無知とそれを十分に調べなかった自身の怠惰とを、激しく恥じている。

(明治書院 1969年9月)

岡崎元軌 『中華俗語藪』

2017年11月22日 | 人文科学
 岡崎元軌という江戸時代の儒者の『中華俗語藪』という白話文辞書がイロハ順に排列されていると聞き、仰天して実物(天明3・1783年刊)を啓いてみたらば、個々の語彙に当てられた日本語訳語の頭の音をイロハ順に並べたものだった。なおイロハ各条にはさらに漢字類書風の分類項目(ただし厳格に伝統的な規格通りではない)が立てられている。

久野誠 「対照レトリックの可能性」

2017年11月21日 | 人文科学
 『岐阜聖徳学園大学紀要 外国語学部編』44, 2005年、71-83頁。

 日本語にも,欧米のレトリックと重なる部分をもった文章表現法は存在しているが,それは,漢文や和歌の手法に端を発するもので,西欧のレトリックそのものは,一種の輸入品である。 (72頁)

 要は普遍的な“レトリック”などというものはないという当たり前すぎる事実の指摘なのだが、これのわからない人が多いとも(そこまで明白にではないが)書いてある。だから論より証拠に(用語概念は西洋のものを使うにせよ)日本語独自のレトリックの一端を示して見せようという内容である。


植木雅俊 『仏教、本当の教え』

2017年11月20日 | 人文科学
 出版社による紹介

 第二章「中国での漢訳と仏教受容」を読む。中国に入って以後の仏教は漢訳経典が根本テキストとなったと言われるが、この著で(窺)基は、「サンスクリット原本を参照したこともあったようである」と、『シナ人の思惟方法』における中村元氏の言を引用して、微妙な評を与えられている。その中村著では、基(同書では窺規と表記される)は、声明(インド論理学)の根本を理解していなかった凡僧として、これは確実に、たいへん評価が低い

(中央公論新社 2011年10月)