抽象的文体では動詞と形容詞がすくない。形容詞は、その場の事情を具体的にあらわすために、名詞につけ加えられるものであるから、これがないのは、いうまでもないが、抽象的文体では、動詞がすべて、抽象名詞と存在詞(あり)との結合に変えられてしまっているのである。 (「Ⅰ 文章心理学の原理」本書20頁)
動詞はうごきがあるので、場景がどうしてもはっきりとうき出してくる。これを抽象名詞と存在しの結合によってあらわすと、抽象名詞は、表象的でないから、はっきり心像が出てこないうえに、存在詞(あり)は、いわばごく漠然とした「結辞」(コプラ)なので、何も運動を示さないから、叙述が非常に抽象的になる。 (「Ⅰ 文章心理学の原理」本書20-21頁)
この前段と後段を纏めて要約すれば、「~は~する」という動詞文よりも、「~は~である」という結辞(繋辞)文のほうが、抽象的な印象を読者に与えるということである。その由来が前後段通じて解き明かされているのだが、この機制を理解せずに、たんに「繋辞文は抽象的」と結論だけをたばさむと、抽象名詞と繋辞ばかりを使うと高尚・知的になると誤解することになる。一方で、具体的対象の個別特殊な部分をすくい上げることができず、一般的な――それがすなわち抽象的ということだが――議論に陥る。具体的が低次で抽象的が高次というのは思い込みにすぎない。それが未証明であり、よしんば証明されたとしても別の証明と解がありうるという意味において。
(小学館 1988年12月)