2016年07月06日「J. ゴンダ著 鎧淳訳 『サンスクリット語初等文法 練習題,選文,語彙付』」より続き。
5・・・・・・asti「~である」(繋辞)は省略されることが多い。
その場合、述語が先行することがある。〔以下例文、省略〕
6・・・・・・astiには(1)~である,(2)存在する,の2義がある。〔以下例文、省略〕 (「繋辞」本書5頁)
いまふと思ったが、『爾雅』の「悠,傷,憂,思也,懷,惟,慮,願,念,惄,思也」は、繋辞がないこともさることながら(古代漢語には繋辞自体が存在しない)、これは述語が先行している構文ではないのか。これは「思」という字の説明なのだから。そしてさらに思うのだが、古代漢文には、従来AB(AはBである)と解釈訓読されている文に、もしかして「BはAである」の文がまじっているということはなかろうか。
(平河出版社 1989年6月)
5・・・・・・asti「~である」(繋辞)は省略されることが多い。
その場合、述語が先行することがある。〔以下例文、省略〕
6・・・・・・astiには(1)~である,(2)存在する,の2義がある。〔以下例文、省略〕 (「繋辞」本書5頁)
いまふと思ったが、『爾雅』の「悠,傷,憂,思也,懷,惟,慮,願,念,惄,思也」は、繋辞がないこともさることながら(古代漢語には繋辞自体が存在しない)、これは述語が先行している構文ではないのか。これは「思」という字の説明なのだから。そしてさらに思うのだが、古代漢文には、従来AB(AはBである)と解釈訓読されている文に、もしかして「BはAである」の文がまじっているということはなかろうか。
(平河出版社 1989年6月)